東北大学 大学院理学研究科・理学部

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新奇な電荷保持形態の観測 〜タンパク質における電子移動を司る新しい分子間相互作用〜

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図1. ベンゼン-硫化水素会合体正イオンの電荷分布
緑色の表面が電子が抜けて実効的に正電荷をもつ部分を示している。



概要

タンパク質中を電子が移動する際に、タンパク質を構成するアミノ酸に含まれる硫黄原子(S)と芳香環(π電子)(注1)が共同して正電荷(正孔)(注2)を受け取り、電子移動における中継点の役割を果たすという機構が提案されています。この機構においては、正電荷が硫黄原子と芳香環の双方に拡がって両者を結びつけており、これをS-π半結合と呼んでいます。生体中でS-π半結合を直接観測することは非常に難しいため、その性質を調べるためのモデル系が必要とされてきました。今回、気体のベンゼンと硫化水素の会合体(注3)をイオン化し、これに分光計測(注4)を適用することにより、両者の間にS-π半結合が生じることを明らかにしました。この極めて単純なモデル系は、理論計算の信頼性の検証などにも非常に有用であると期待されます。



研究内容

生体を構成するタンパク質が果たす様々な機能においては、電子の移動が非常に重要な役割を担っています。この電子移動における機構のひとつとして、タンパク質を構成するアミノ酸残基(注5)の側鎖に含まれる硫黄原子(S)と同じく側鎖の芳香環が共同して行う正電荷(正孔)の授受が大きな注目を集めています。これは、S原子と芳香環が接近して正電荷を一緒に受け取り(電子がこれまで正孔を持っていた相手側へと移動します)、正電荷が両者全体に拡がった状態を生じて安定化するというものです。S原子と芳香環との接近傾向がタンパク質の構造解析の結果見られるため、この様な機構が提案されており、正電荷を介してS原子と芳香環(π電子)の間にはS-π半結合と呼ばれる特異な引力(分子間相互作用)が働くと予想されています。しかし、タンパク質は複雑な系であるため、S-π半結合を観測し、その性質を明らかにすることは非常に困難でした。

S-π半結合の性質を明らかにするためには、S-π半結合を含む単純なモデル系が必要です。そこで本研究では、最も単純な芳香族分子であるベンゼン(C6H6)と同じく最も単純な硫黄含有分子である硫化水素(H2S)の気体状態の会合体に着目し、その正イオン(1電子が抜けて、正孔を生じたもの)の構造を赤外分光法(注6)と呼ばれる光を用いた構造解析手法で調べました。その結果、ベンゼン1分子と硫化水素1分子が会合したイオン[benzene-(H2S)1]+において、正電荷が双方の分子に拡がり、S-π半結合が生じていることが分かりました。更に、硫化水素分子の数を増やすと([benzene-(H2S)n]+, n=2-4)、正電荷が今度は硫化水素分子間で非局在化(注7)され、ベンゼン部分は中性の状態になることが見出されました。これは、S-π半結合とS-S半結合(硫化水素分子間での電荷非局在化による引力)という2種の異なった正電荷の保持形態が競合することを示しています。

現代の化学では、基本方程式を数値的に計算機で解くことにより、分子の様々な性質を理論的に予言することが出来ます。しかし、S-π半結合(およびS-S半結合)に関しては、計算結果が用いられる理論レベル(近似法)により非常に異なり、理論レベルの選択が非常に大きな問題でした。今回のベンゼン-硫化水素の系では、異なる電荷保持形態の競合を理論計算を使わずに、実験結果のみに基づいて確定する事が出来ました。すなわち、今回の実験結果を再現できる計算レベルが信頼できる計算レベルということになり、S-π半結合を解析する上で必要となる理論水準を定めることが可能となりました。今後の理論解析において、本研究の結果が大いに利用されることが期待されます。



発表雑誌

この研究は東北大学大学院理学研究科化学専攻、理学部化学科の王丹丹(博士後期課程3年)、服部圭吾(学部4年)、藤井朱鳥教授の研究チームが行い、英国王立化学協会発行の旗艦化学誌Chemical Scienceに発表されました。
Dandan Wang, Keigo Hattori, Asuka Fujii, "The S∴π hemibond and its competition with the S∴S hemibond in the simplest model system: infrared spectroscopy of the [benzene-(H2S)n]+ (n=1-4) radical cation clusters" Chemical Science, 2019, 10, 7260-7268.



用語解説

(注1)芳香環(π電子)
有機化合物の部分構造(官能基)において、炭素原子6個が環構造を作り、(形式的に)ひとつおきに炭素原子間の結合を二重結合としたものが芳香環です。芳香環の二重結合を作る電子の一部はひとつの結合間だけでなく、芳香環上を自由に動くことが出来ます。このような電子はπ電子と呼ばれ、芳香環の性質を特徴付けます。

(注2)正孔
電気的に中性であった状態から1電子が抜けると、電子が存在していた場所は原子核の正電荷により正に帯電してみえます。この様に、電子が抜けた結果、正電荷を帯びた部分を正孔と呼びます。付近の電子が正孔へ移動すると、移動先の正孔は正負の電荷が釣り合って消滅しますが、その電子が抜けた場所に新たな正孔が生じます。すなわち、電子の移動を正孔の移動とみなすことができ、正孔はあたかも正の電荷を持つ粒子の様に振る舞います。

(注3)会合体
分子の間には様々な引力(分子間相互作用)が働き、お互いを引きつけ合います。この様な引力が熱運動を上回り、複数個の分子が安定して接触しているものを会合体と呼びます。中性のベンゼンと硫化水素は分子間力が弱く、室温では安定な会合体を形成しませんが、本研究では特殊な方法で非常に低温な気体を作り、熱運動を抑えて両者を会合させました。

(注4)分光計測
分光計測とは、物質に様々な波長の光を照射し、その吸収や散乱、あるいは発光やイオン化などの光吸収後の後続過程を観測することです。光はその波長により定まるエネルギーの粒と見なせ、どのような波長の光を吸収できるかを測定することにより、物質の持つエネルギーの準位構造を知る事が出来ます。物質のエネルギー準位構造は、物質の幾何構造や運動に密接に関係しており、光を通じて、これらの情報を知る事が出来ます。

(注5)アミノ酸残基
タンパク質は様々なアミノ酸が1次元的に繋がって(重合して)構成されています。タンパク質中のアミノ酸の構成単位(-NH-CHRi-CO-)をアミノ酸残基、Ri部を側鎖と呼びます。側鎖の違いがアミノ酸の違いとなります。側鎖に硫黄原子を含むアミノ酸にはシステイン(Ri = CH2SH)、メチオニン(Ri = CH2CH2SCH3)があり、芳香環を含むアミノ酸にはフェニルアラニン(Ri = CH2-C6H5)やチロシン(Ri = CH2C6H4OH)などがあります。

(注6)赤外分光法
目に見える光よりも波長が長い光を赤外光と呼び、物質の赤外光吸収の波長依存性を計測するのが赤外分光法です。赤外光吸収により、分子は振動が励起されますが、振動のあり方が分子の構造に強く依存するため、赤外吸収の計測から、分子の構造に関する情報が得られます。

(注7)非局在化
電荷を持つ粒子(電子)の存在確率が複数の化学結合を含む広い空間に拡がった状態を指します。今回はそのような非局在化した電子が抜けてしまったため、広範囲に正負の電荷がバランスされず、正電荷(正孔)が拡がったと見なせる状態になっています。



問い合わせ先


東北大学大学院 理学研究科 化学専攻
教授 藤井朱鳥(ふじいあすか)
電話:022-795-6572
E-mail:asuka.fujii.c5[at]tohoku.ac.jp
*[at]を@に置き換えてください



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