1907年(明治40年)、東北帝国大学理科大学が、東京(1886年)、京都(1897年)に次ぐ3番目の帝国大学として創立されました。1911年(明治44年)に数学・物理学・化学の3学科が設置され、1919年(大正8年)に理学部となり、1949年(昭和24年)の新制大学制度によって東北大学理学部として再発足しました。
開設当初数学科、化学科、物理学科の3学科で構成されていましたが、地質学科、生物学科と順次整備され、現在では自然科学のほとんどの分野をカバーする日本で最大規模の総合的理学部に発展しています。初代理科大学長は、 ニッポニウムの研究で有名な小川正孝教授です。
*ニッポニウム:小川教授は43番元素と考えましたが、現在、75番元素のレニウムだったことが判明しています。
東北大学理学部は、林鶴一数学科初代教授が化学科の学生を対象に行った微積分学の講義をもって出発したとされています。最初の講義が行われた日付については二つの説があります。五十年史にも、百年史にも、明治44年(1911)9月11日(化学科)と同年9月17日(数学科)という記述があります。
調べてみたところ、明治44年3月18日付け官報に文部省令第12号として「東北帝国大学理科大学ニ数学科、物理学科、化学科及地質学科ヲ置ク各学科ハ本年九月十一日ヨリ授業ヲ開始ス但シ地質学 科ニ関シテハ別ニ之ヲ定ム」とありますので、9月11日に開講したのは間違いありません。河北新報明治44年9月11日号には、沢柳総長の挨拶が紹介されています。翌日号と併せた長大なもので、その末尾に「明治四十四年九月十一日理科大学授業開始の日」と記されています。しかし、その日は入学宣誓式のみが行われ、翌日から講義が始まった可能性が高いのです。また、9月17日は日曜日で、講義をした可能性は極めて低いでしょう。したがって、現時点では9月12日に最初の講義が行われたと判断するのが自然です。
そういう訳で、理学部開講の記念日としては9月11日とするのが妥当と思われます。
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