キャリア支援室(特任講師)の西村君平です。このページでは、本研究科への進学が学生のみなさんのキャリアにどのように寄与するのか、多角的に検討していきます。
みなさんは「就職無理学部」という言葉を聞いたことがありますか?
うまいこと言いますよね。初めて聞いた時は思わず笑っちゃいました。正確な定義はないと思いますが、言葉の使われ方を見る感じだと「理学部や理学研究科の学生は役に立たない研究に夢中で社会経験もろくに積んでないし、どうせ会社じゃ使いものならんでしょ」みたいな意味が込められているようです。
理学が実社会の課題の解決に直結した学問ではないということは一旦認めます。回り回って非常に社会の役に立っているのですが、今は理学研究の社会経済的インパクトはとりあえず横においておきます。それよりもわたしが問題にしたいのは、理学研究の教育的意義です。理学研究の教育的意義に着目することで、実は理学研究科は就職に強いということを主張したいと思います。
本題に入る前に、「なぜ体育会系は就職に強い(とされている)のか?」考えてください。
就職してから野球のバッティング技術が会社員の役に立ちますか?立ちませんよね。上手にサッカーのドリブルができたとして、それが実社会の課題解決に直結してますか?してませんよね。でも、スポーツを通して体が鍛えられたり、チームワークのノウハウが身につくことはありますね。それが企業から評価されるから体育会系の学生は就活に強いというわけです。
この説明は学生時代に取り組む活動の目的や内容が実社会の課題解決に直結しているかどうかなど全く気にする必要ないということを示唆しています。重要な点は、その活動を通して身に付けた力(知識やスキル、ノウハウ、経験等)が社会に出てから使えるかどうかなのです。
学生さんはあまり意識していないようですが、大学院で理学を深く学び、そして研究にしっかりと取り組むことで、科学の専門性(scientific expertise)を身につけることができます。たとえば、数学や理論研究に取り組めば、学生は数理的・論理的思考力、柔軟な発想力や創造性、粘り強く思考を展開していく習慣を身につけることができます。また、計算機を用いた研究では、プログラミングやコーディングのスキル、およびその実践経験を身につけることができます。実験や観測も同じです。実験・観測の計画立案のトレーニング、実験機器・観測機器のセッティングや運用のノウハウの習得、実データの数理的・統計的な解析のスキルが身につきます。
さらに言えば、理学研究科では共同研究の形で学内外の研究者と連携して研究に従事することが一般的ですので、仕事で求められるコミュニケーション力やチームワークの経験、後輩への指導・支援のスキルを身につけることができます。もちろん、共同研究の範囲は国内に限定されていません。国際的な研究プロジェクトに積極的にすることで、英語力を身についたり、国際経験をつんだりすることもできます。
上述の力は、一例に過ぎません。理学研究科で身につく力は、学生が取り組む研究に応じて千差万別です。しかし、いずれも科学の専門性(scientific expertise)であることは間違いありません。(以下では科学、理学、研究、研究開発などは特に区別しません。数学は科学なのかという議論もありますが、基本的にその専門性については共通点が大であるという認識です。この点は読み進めていただければご理解いただけると思います。)
東北大学理学研究科は、研究を通した科学の専門性の涵養については、わたしたちの得意とするところだと自負しています。(さらなる改善が必要であることも重々承知です。)そして、その教育効果を最大限に発揮するためにも、学生のみなさんに大学院への進学を積極的に推奨しています。
教員の目線で見れば、理学研究科に進学することで学生はより一層成長できますし、それは学生の将来にも直結しています。しかし、学生は必ずしもそうは思ってくれないようです。将来の就職が不安すぎて、大学・大学院での授業に身が入らない学生さんや大学院(特に博士課程後期)への進学が不安だという学生さんは少なくありません。
気持ちはわかります。授業や研究が自分の将来にどのように役立つのか納得いく形できちんと説明してもらえるチャンスはさほど多くありません。それに、日本には就活支援企業・就活支援団体がうじゃうじゃ存在しており、こういった企業・団体は「もっと早く就活を!もっとたくさん就活を!」と学生を急き立てます。これでは不安になって当然です。
こうした現状を打破するべく、以下ではデータや実例を挙げて、大学院進学に関する不安を払拭いたします。
まず修士の就職実績を確認しましょう。修士のうち30%は博士に進学し、67%は就職します。この他、進学も就職もしない学生については3%です。大学院進学者等を除き、求職者を母数にして就職率を計算すると就職率は96%となります。
次に博士の就職実績に移ります。博士のうちアカデミアに就職する学生は56%、民間企業に就職する学生は36%です。未就職者は8%です。求職者を母数にして就職率を計算した場合、就職率は92%です。
いずれも就職率高いですよね。
修士よりも博士の方が就職率が低いのですが、これは1)どうしてもアカデミアに進みたくて就職浪人するガッツのある学生がいること、2)修士で就職に失敗した学生が博士に進学することで修士の就職率が向上するという理由によるものです。それでも92%というのはなかなか素晴らしい数字だと思います。
専攻別に就職者数の多い企業(トップ5)をピックアップすると表2のようになります。企業の良し悪しを名前で判断するのもどうかと思いますが、ざっとみていただければ、おおむね「大手企業」や「優良企業」が並んでいることが見てとれると思います。
このデータをみただけでも、「就職無理学部」という評価がいかに的外れかご理解いただけると思います。
しばしば、日本では博士の給料が安いと言われます。これは海外(特にアメリカ)に比べれば確かにそうです。ただ、実は日本では学部も修士も給料が安いという事実はしばしば見落とされています。また企業の方のお話を聞くと「博士号取得者の給料を一律に上げるようなことはしてないけど、なんだかんだで博士は出世や昇給が早いよ」と説明されることがあります。どうやら博士の給料は相対的には高いようです。
データもあります。図1は学部・修士・博士の生涯賃金をプロットしたものです。就職した時点では、博士の給料は学部や修士と大差ないのですが、生涯全体で見るとその差は歴然です。学部卒の生涯賃金は2億5600万円、修士卒は2億8708万円、博士卒は3億6297万円です。税引き前なので、手取りだと差は小さくなりますが、それにしても大きな差です。「学部と修士では、仙台の家一軒分ぐらい稼ぎが違う。学部と博士だと東京の家一軒分ぐらい稼ぎが違う。」というのはかなり衝撃的な事実ではないでしょうか。
お金めあて博士に進学する人はほとんどいないと思いますが、博士卒という経歴には相応の経済的なリターンがあるということは知っておいて欲しいです。
本研究科では、主に博士の学生を対象にして研究を通して身につく力の明確化を進めています。その狙いは、博士の学生の就職活動を効率化するため、そして博士への進学を迷っている学部・修士の学生にその判断材料を提供するためです。
先に触れた通り、研究を通して身につく力は研究内容に依存しますので、専攻や研究室によって千差万別です。一概に「これが理学研究科で身につく力だ」と断定はできませんが、およそ4パターン程度に集約できることがわかってきています。
■ 理論家タイプ
数理的思考や論理的思考に長けており、現象の背後にある原理や法則の探究に強みを見せる。数値計算(シミュレーション等)を行う学生の場合は、プログラミングを得意とする。解釈が困難なデータを巧みに分析するための新しいアイデアや手法を考案したり、問題を多角的に検討して思いもよらない解決策を提案したりできる。
■ 実験家・観測家タイプ
実験や観測を通して、仮説を体系的にそして効率的に検証していくトレーニングを徹底的に受けており、実験・観測の計画立案やその運用に精通している。機械や装置の開発の経験を持つ学生も少なくない。近年需要が高まってきているデータ分析にも長けている。当たり前の常識をユニークな新実験・新観測で覆したり、ゼロからイチを作り出すような創造的な開発研究が得意。
■ プロジェクトリーダータイプ
研究プロジェクトの現場リーダーとしてチームを牽引する。思い通りに研究が進まないときにも、自分自身やチームを穏やかに鼓舞しながら、粘り強く試行錯誤を続ける精神的なタフさを身につけている。プロジェクト管理や情報共有、後輩学生の指導や支援など縁の下の力もち的な仕事も的確にこなす。研究のスタイル(理論、実験、観測)に依存しないためか、プロジェクトリーダータイプの強みを身につけている学生は多い。(本人が自覚していないことも多い。)
■ グローバル人材タイプ
語学、特に実践的な英語に長けている。物怖じせずに新しい舞台に飛び込む思い切りの良さがあり、国境や組織の垣根を越えたネットワークを持っていることが多い。異文化理解・異分野協働の習慣も自然と身につけている。また、実社会のアクチュアルな課題(社会情勢、政策課題、技術開発の動向等)に敏感な場合が多い。
株式会社アカリクの協力のもとで、企業の方々に研究を通して身につく力に関する評価を5段階で尋ねました(5が「最も重要である」、1が「全く重要ではない」)。他分野との比較も視野に、あえて理学っぽくないものも含めています。その結果が表3です。
わたしは調査前の段階では企業はプログラミング能力や実験・観測のスキルのような、即戦力となるスキルを重視されると思い込んでいました。しかし、蓋を開けてみれば、企業は論理的思考力や自立心、知的好奇心、粘り強さ、チャレンジ精神といった研究に向き合う姿勢を重視していることがわかりました。ざっくり言えば「自分の頭で考え、自分の考えでチャレンジできる人材」を企業は求めているわけです。
このような自律的や能動的に困難な事業に立ち向かう姿勢は、大学や大学院でじっくりと腰を据えて研究に取り組むことでこそ身につけられます。特に博士ではそうです。
修士(博士課程前期)の段階でも研究をどんどん進めることはできます。ただ、研究を自律的・能動的に進めるためには基礎となる知識やスキルについてしっかりと学ぶ必要があるため、修士の段階ではどうしても指導教員や先輩の指示を仰ぎながら研究を進めることが多くなります。これは個人の能力の問題というよりも科学の高度化の帰結と考えられます。一方、博士に進むと個人として自律的に研究を進めたり、(規模は小さいとしても)何らかの研究プロジェクトを推進していくリーダーの役割を任せられたりします。
このように考えると、企業から評価されるような社会的需要の高い専門性を身に付けるという観点に立てば、本研究科の大学院、特に博士課程後期に進学するという選択肢は十分に合理的だと言えます。
せっかく大学院に進学しても、M1の夏から就活してたんじゃぁ専門性もなにもあったものではありません。インターネットに溢れる就活情報サイトをみると「就活を始めるのは早ければ早い方がいい」と書いてあるものが多いようです。しかし、よく考えてください。早ければ早いほど未熟な状態で労働市場に出ることになります。手ぶらで戦場に行くようなものです。
「焦るな!」といっても無理でしょうし、そんなことは言いませんが、しっかりと地力をつけておけば、普通のスケジュールでも十分に就活戦線で戦えるということは知っておいてほしいです。(普通のスケジュール:M1の12月ごろから少しずつ準備、3月ごろから本格スタート、5月前後に就職先決定。)
そう判断する理由は、既に述べたとおり、研究を通して身につけた専門性は企業から高く評価されるからです。理想を言えば、博士課程後期に進学してしっかりとした専門性を身につければ、アカデミアも含めてキャリアパスがさらに充実します。少なくとも「研究はしたいけどその後の就活が怖い」という理由で博士課程後期への進学を諦めるのはナンセンスだということはご理解ください。
ここまで見てきたように、本研究科の就職実績は非常に良好です。また、学生は研究を通してしっかりと成長できており、企業の方はその成長を適切に評価してくださいます。本研究科はこの流れにのってさらに多くの学生さんに大学院(特に博士課程)に進学してもらえるように、キャリア支援室を設置して、就職支援の強化に取り組んでいます。
2022年に提供している主なサービスとしては、1)就活スタートアップ支援、2)ペースメーカー型支援があります。
繰り返しになりますが、博士が研究を通して身につけた力は、企業から高く評価されます。このことは、就活のスタートアップの段階でしっかりと自分の強みを分析することの重要性を示唆しています。もちろん、前提として、日々の研究にしっかりと取り組むことが最も重要です。
このような観点から本研究科ではD2の夏ごろを目処に、学生に就活スタートアップの声がけを行っています。(ほんとはもっと遅い時期でも良いのですが、博士の学生は研究に夢中になって就活を後回しにしがちですから、念のため早めに声をかけておこうという算段です。)内容はa.博士の就活はD2の10月ごろからスタートすることを周知する、b.「研究を通して身につく力」のワークシート等を紹介する、c.必要があれば個別面談を通して自己分析の補助を行うというものです。cの個別面談のサービスについては、年間15名ほどの利用があります。1人あたりの面談時間は2時間程度です。
アカデミアと民間企業の双方をにらんだ就活を行う学生は、研究と就活の折り合いをつけながらのスケジューリングが難しいようで、一人で就活を走り切るのが難しい場合もあります。このような学生に対しては、就職活動のスケジュールを組んだり、エントリーシートや面接準備を中期的に継続して補助したりしています。マラソンのペースメーカーのような役割です。
当然ながら、キャリア支援室が学生の代わりに企業を選んだり、エントリーシートを書いたりするわけではありません。キャリア支援室の教員が学生にとあれこれと質問を投げかけて、学生がおぼろげに抱いている目標を言語化したり、学生の強みが生きる企業を多角的に検討したり、その強みを企業に伝わるような表現に置き換えたりといったことをやっていきます。(あとは「働きたくないっす」とか「わたしなんてどうせ大した研究者じゃないし…」といった愚痴に付き合ったり、励ましたりもします。)
このサービスについては、年間5〜10名ほどの学生が利用します。利用時間は、人によりますが、1人に対して、2ヶ月ほどの期間にわたって継続して支援を行います。1人あたりの面談時間は合計で30時間前後です。
このほかにも、2022年からは進学や就職に関する情報やヒントをHPや動画で学内外に配信する予定です。また、理学研究科とは別の全学組織「キャリア支援センター」や「Ph.DC:博士人材育成ユニット」もさまざまな就職支援を提供していますので、チェックしてみてください。
なんやかんやとお話ししましたが、その要点をあらためて整理すると以下の通りとなります。
いかがでしょうか。理学研究の教育的意義に着目することで、「就職無理学部」などという考えが全くもって当てにならない的外れな主張だということがご理解いただけたのではないでしょうか。
少なくとも、本研究科への進学を検討中の学生のみなさんが「就職無理学部」を気に病む理由は全くありません。東北大学理学研究科は、前期も後期も、就職に強いからです。