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Interview 1
2007.1〜12

*インタビュー一覧はこちら

このページでは、理学研究科や科学界にまつわる様々なトピックについ てのインタビューを掲載しています。専門分野の異なる方、中高生・一般の方にもできるだけ分かりやすい内容でお話しいただいています。

(財)高エネルギー加速器科学研究奨励会「特別賞」を受賞された北垣敏男名誉教授

北垣先生

 北垣敏男東北大学名誉教授が、(財)高エネルギー加速器科学研究奨励会「特別賞」を「機能分離型強収束加速器の発案並びに段階加速カスケード方式の提案」により受賞されました。
「特別賞」は、高エネルギー加速器科学において、特に顕著な功績が認められる研究者・技術者、研究グループ並びにプロジェクトチームに贈られる賞です。授賞式は3月21日。

FNALパンフ表紙

  北垣先生が機能分離型強収斂加速器を発案したのは1952年。唯一動く加速器が米国ブルックヘーブン国立研究所のコスモトロン3GeV加速器であった時代に、どうすれば100GeV以上の加速器が作れるかを東北大学片平の物理教室で考えだしたのでした。 そして、1960年、北垣先生は日本の大加速器計画として、12GeV第1リングから300GeV第2リングへのカスケード加速方式を提案しました。
以後の大加速器、例えばフェルミ国立加速器研究所(FNAL)のテバトロン、高エネルギー加速器研究機構(KEK)のPS、トリスタン、欧州連合素粒子原子核研究機構(CERN)のSPS、LHCは、すべて北垣先生が提案した機能分離型カスケード方式加速器です。
  このように、今日の世界すべての大加速器は北垣先生の偉大な貢献によって成り立っています。
(写真は1980年2月号Fermilab report表紙:“Toshio Kitagaki of Tohoku University, Japan, addressing the Tevatron Muon-Neutrino Workshop held at Fermilab in January (1980).
Professor Kitagaki is also important in the development of Fermilab because he is an inventor of the separated-function strong-focusing lattice used in the Main Ring.”と記されています)

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Norman L. Bowen Award を受賞された大谷栄治教授

Norman L. Bowen Award とは

   Norman L. Bowen Award は、AGU(米国地球物理学連合)のVGP(火山学、地球化学、岩石学)分野にいおいて優れた功績のある研究者に授与される賞で、1981年に始まり、毎年1〜2名が選ばれています。選考委員会は様々な国の審査員で構成され、世界各国の研究者に授与されている、世界的に栄誉ある賞です。
   地学専攻の大谷栄治教授は、地球惑星物性学分野で「地球や惑星を構成する物質の構造・物性を実験的に調べることにより、地球や惑星の内部を明らかにする研究」をされています。 今回の受賞は、大谷教授の地球を作る物質ついての先駆的な研究が高く評価されたためです。また、日本人で初めての受賞となります。
   受賞式と受賞講演は12月のAGU fall meeting(サンフランシスコ)で行われる予定です。

受賞記事抜粋(PDF)   *賞の詳細(VGPのサイト)
理学部物語(PDF/6.02MB) の35ページ、アオバサイエンティアno.7(PDF/0.99MB )の特集ページでも大谷教授の研究について知ることができます。   

■地球や惑星など、先生の研究について分かり易く教えて下さい。
最近の研究で、「地球内部には水がある」という説を聞きましたが、それはどんな状態なのですか?

――水があるといっても、液体としてあるわけではありません(液体として水が溶け込んだマグマはあるかもしれないが)。OH基やプロトン(水素イオン)として鉱物の中に蓄えられているのです。例えば粘土鉱物などですね。ただし、マントルは容積が大きいので、例えば1%含まれているだけでも海水の数倍に匹敵する量になります。

■なぜそのような水を含む鉱物が地底にあるのですか?

――結晶の中にOH基として取り込まれたものが、プレートの沈み込みにより運ばれたからと考えられます。このようなことを解明するには、なぜ海水できたのか、どのように地球ができたのかという起源そのものを明らかにしていくことにつながります。

■地球深部の様子は目で見ることはできますか?どこまで掘り進めますか?

――地球の内部は高温・高圧です。それに耐える物があれば別ですが、実際に目で観察することはできません。地球の半径は6370kmで、今のところ掘削が可能なのは大体10km位です。

■どのような方法で探るのですか?

――主に「観測」と「実験」の二つの方法があります。 観測というのは、例えば、下部マントルや核を通る地震波の速さや分布などを観測します。それにより物理量は分かるわけです。ですが観測だけではそこにあるのが何であるか、どうなっているのかということまでは分かりません。 そこで、同じ条件下で測って比較・推定するような実験が必要になります。様々な装置を駆使して地球内部の高温・高圧の状態を再現し、そこにあると思われる様々な化学構成の鉱物などを試料として調べていきます。

■実験装置「ダイヤモンドアンビル」はどのように使うのですか?

――(左の写真参照。大きさや形の違う数種類のダイアモンドアンビル。)この装置の中心に2つのダイアモンドがついています。ダイモンドの先端に試料を入れて高圧に、レーザーにより高温の状態をつくりだします。そこにX線を当てて回折を調べるなどして解析していきます。兵庫県にある大型放射光施設SPring−8(スプリングエイト)では強力なX線を使うことができます。これ(写真:手の上のダイアモンドアンビル)には今、130万気圧、地球の核とマントルの境界くらいの圧力がかかっています。

■どこまで地球の中心に近い条件をつくれますか?

――地球の外核は液体ですが内核は固体でできています。外核と内核の境界に相当する圧力は330万気圧です。 ちょうど最近、大学院生が挑戦してそのような圧力に到達し、そこで物質がどう変わるかという実験が可能になりました。このような実験ができることは、世界でも少ないと思います。

■その330万気圧はこのダイヤモンドアンビルでつくり出せますか?

――これと同じような装置ですが、ダイヤモンドの先端をより小さくした物を使います。先端を縮めれば縮めるほど、それだけ高い圧力をかけることができるのです。 (前述の)学生は、先端を35ミクロン(0.035o)にしました。そこに大体20ミクロン(0.002o)ほどの穴を開け、その中に試料を詰めて実験します。

■どのようにしてミクロの穴を開けたり、試料を入れたりできるのですか?

――レーザーで開けることができます。試料は、生物分野で使っているマニビュレーターを使います。その試料を見るにも電子顕微鏡を使って見るわけです。試料を加工するには微細加工機を使います。マイクロテクノロジーという感じですね。 地球の大きなことを調べるために、できるだけ小さくするのです。

■試料となる鉱物はどんなものを使うのですか?

――地球深部からくる鉱物や宇宙からくる隕石、その物またはそれに相当する合成物を使います。 深部を探る鉱物で有名なのはダイアモンドです。とても固い結晶なので、壊れないで地表に持ってくることができるのです。面白いことに、その中に別の深部の物質がカプセルのように封じ込められていることがあります。ちょうど地底船の逆ですね。ダイアモンドの中を調べると、地下の様子が分かるのです。「地下からの手紙」といえます。ダイモンドは不思議なことに、隕石に含まれていることもあります。

■隕石は、宇宙のどこからくるのですか?入手する方法は?(*写真右:隕石)

――隕石の多くは、火星と木星の間の小惑星帯からくると考えられています。その他に火星隕石や月からの隕石もあります。 隕石にはFallとFindがあります。Fallは落ちてくる隕石のことで、その軌道を計算して調べたりなどして、業者や研究者が取りに行き、回収された物は大体博物館に保管されます。それを研究目的で使わせてもらう場合があります。Findは、いつ落ちたか分からない隕石を発見することです。それを見つけて売る仕事をしている人や標本屋があるのでそこから買うことができます。

■ほんの小さな鉱物から、地球の内部、惑星、地球のはじまり・・・ダイナミックなテーマに広がっていくのですね。

――そうですね。私たちの地球や惑星の内部構造の探究は、地球の起源そのものの探究といえます。

■研究において、大変なことや苦労することは何ですか?

――学生にお世話になることが多いので、どうしたら面白さを理解してもらい、やる気を出してもらえるかという問題があります。また、テーマを考えること。将来発展するような方向づけをしていくことですね。もちろん、徹夜をするなど、肉体的に大変なことは山ほどあります。

■研究の良いところは?

――「意外性がある」ことです。 うまくいかずに、予想外の結果が出ることが多いのですが、そこから思いがけないことが分かる。それが楽しいですね。

■受賞の感想をお願いします。

――率直に、評価されてありがたいことです。これを機会に、さらに地球内部や惑星の謎を明らかにしていきたいと思います。

 

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平成19年度科学技術分野の文部科学大臣表彰 若手科学者賞を受賞された西澤精一先生

「新しいDNA結合試薬に基づく遺伝子検出法の研究」により平成19年度科学技術分野の文部科学大臣表彰 若手科学者賞を受賞された西澤精一先生にお話を伺いました。

西澤先生

◆西澤先生の研究について教えて下さい◆

  DNAが一カ所違っているだけで、お酒の強い弱いが全然違ってきます。それと同じように、薬が効きやすい、効きにくい、癌になりやすい、糖尿病になりやすいということもあります。特に薬は人によって副作用をひきおこすことがあるので、あらかじめ遺伝子を調べてから治療をしようというテーラーメイド医療に深く関わっています。
  アデニン、チミン、グアニンなどの塩基がつながっているのが遺伝子ですが、それらを簡単に調べる検査薬を作る研究をしています。現在も調べられるのですが、それをもっと簡単に安く正確に、近所のお医者さんでも調べられるぐらい簡単な検査薬を作ろうとしています。

◆同じ研究をしている人との違いは何ですが◆

  構造的にとても簡単な検査薬を使っているという点です。分子量でいくと200や300などの高校の教科書でも出てくるような小さな分子で、そんな簡単な検査薬を使うことが、あまり世の中にはないと思います。何故ならそんな小さな試薬で遺伝子の違いを調べられるということに誰も注目していなかったからです。

◆研究の難しかった所はどんなことですか◆

  小さな分子を使うために工夫をこらさないといけなかった所です。分子量の小さな検査薬を使って、一カ所だけの違いを調べるということは、通常不可能です。そこで、DNAの二重らせん構造に穴を開けて、その空間に検査薬が入るようにと工夫しました。穴を開けるのは難しくないけれど、測りたい塩基の向かい側にわざと空間を作り、その穴の中に検査薬を入り込むようにと考えつくのが難しかったです。後は、かたっぱしからいろんな試薬を試したのです。

◆研究者の道へ進むきっかけは何だったのですか◆

  理系の科目の成績はよかったけれど、自分は文系だと思っています。
  確固たる指針があって理系に進んだ訳ではありませんでした。
強いて言えば学生の時に所属した研究室のの梅澤先生の影響を受けてこの道を選らんだと思います。先日、学会で梅澤先生とお会いする機会があり、今回の受賞をものすごく喜んで下さいました。梅澤先生とは直立不動で話していたので、今まで一度も握手したことがなかったのですが、梅澤先生から手を出してきてくださり、握手をしたという事がありました。「学生の頃の気持ちに戻って、もう一回がんばりたいな」という気持ちになりました。

◆研究は辛いことの方が多いですか◆

  一瞬ですよ。喜びというか、「やった」というのは。期待通りのでデーターが出た時や、もちろん、賞を頂いたときも嬉しかったですが。でも、何よりも、学生と一緒に研究をしていて「こんなデータでました」と言う時の「よしっ」という瞬間が一番嬉しいですね。
  自分としては、何らかの形で世の中の役に立ちたいという気持ちがあります。実際に世の中で使ってもらえる物を作るということは、簡単ではありません。ですが、世の中の役に立ちたいというモチベーションを保つことが研究を続けていく力になりますし、また、そう思うと研究できること自体が本当は喜びなんです。

◆受賞しての感想◆

  自分一人で頂いた賞ではなくて、寺前教授やたくさんの学生さんと研究をしてこれたおかげなので、研究室の皆さんに感謝しています。東北大学は研究施設に恵まれているので、なんでもかんでもあたりまえになりがちですが、もう一回学生の頃とかスタッフになりたての頃のような、がむしゃらな気持ちで研究をしていきたいと思います。

◆これから◆

  これまでの自分の研究にとらわれることなく、いろいろな研究にチャレンジしていきたいと思います。

◆気分転換はどうしているのですか◆

  お坊さんの資格をとろうと思っているので、毎週日曜日にお寺に通っています。これが、とても良い気分転換になります。
また、学生実験や授業などで、学生の反応が返ってくると元気がでてきます。例えば、化学発光の学生実験では光って当然なので、私は別に感動しないのですが、みんなが思った以上に喜んで「すごい」と言っている姿の方に感動します。こういうことが、私の気分転換と言えると思います。

◆学生へのメッセージ◆

  先日、桑田投手がインタビューで水滴が石に穴をあけてしまうことに絡めて、継続して努力していくこと、自分を信じて常に自分の限界にチャレンジした話を聞いて、なるほどと思いました。僕たち学者も同じで、優秀な人はたくさんいます。自分がダメだと思ってあきらめたらそれまでです。誰も将来のことはわからないけれど、継続して、努力して、前進すること、そういうことが大事なのだと思います。

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A.C.Cope Scholar Award を受賞された山本嘉則教授

山本先生

A.C.Cope Scholar Award について

   化学の分野で世界最大の会員数を誇っているアメリカ学会は1973年にA. C. Cope Awardを設立し、1986年にはさらにA. C. Cope Scholar Awardを設立した。両Awardを含めCope Awards と言い、有機化学分野において優れた業績のある研究者に与えられる賞として国際的に定着した評価がある。 毎年“A. C. Cope Award”を1名に、“A. C. Cope Scholar Award”を2名の35歳以下の研究者に、36歳〜49歳の4名に、50歳以上の4名に授与することになっている。
  山本嘉則教授は、8月にボストンでのアメリカ化学会の年会で“ Cope Awards Lectures”の受賞講演をする予定である。

 
 
山本嘉則先生の受賞の言葉

山本先生

 

  日本人でこのアメリカの賞をもらった人はそんなに多くない。
今までにごくわずかである。
主な受賞者としては、柴崎正勝教授(東大薬)、ノーベル化学賞を受賞した野依良治教授、岸義人教授(ハーバード大)という蒼々たるメンバーである。
そういう賞を受賞したことは、非常に名誉なことで、自分がやってきたことを認めてもらったという意味で率直にうれしいと思っている。

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地球物理学専攻 福西浩教授 最終講義「美しい宇宙空間〜オーロラからスプライトまで〜」

福西浩先生へインタビュー

小野先生

◆福西先生の研究テーマと概要◆

  地球の大気からその外側の宇宙空間の領域までを研究対象にしています。地球だけではなく惑星の大気も含め、地球環境が宇宙環境とどのように関係しているかという観点で研究しています。もともとは太陽地球系物理学という分野の研究でしたが、この学問は現在は太陽惑星系物理学という分野に発展してきています。 大気重力波を目で見る「イメージング」の技術を理学研究科で研究開発し成功しました。世界のいくつかの研究所でその開発が始まっていましたが、日本では全くその技術がなかった。「イメージング」によって直接自然を目で見ることができる。その分野を知らない人にも、その映像を見ただけでインパクトを与えることができる。それまで電波で観測を行うことが主流だったのですが、電波は目で見ることができないので、光を使ってのイメージングをぜひ成功させたいと思っていました。オーロラ研究で開発した技術を応用し、観測対象を変えることによって新しい発見をすることができました。

福西先生の最終講義福西先生の最終講義

◆研究のきっかけを教えてください◆

  中学生のときに、オーロラの写真を見て美しいオーロラを自分の手で研究したいと思いました。1957年は、南極観測が始まった年でもあり、それと同時にソ連が人工衛星スプトニク1号を打ち上げた宇宙の幕開けの年ですが、その年の出来事が自分でオーロラを研究したいと思ったきかっけになりました。それでその後、第1次南極観測隊の隊長を務めた東京大学の永田武先生の研究室に進みました。

福西先生の最終講義

◆先生はIGPASやサイエンスカフェなど、どういう理由で考えたのですか◆

  国際的な規模で学生もスタッフも交流していかなきゃだめなんです。自分の領域だけやっていれば研究が伸びるということじゃないんです。そのためには、いろんな仕組みを作り出さないといけない。東北大全体がレベルアップするにはどうしたら良いかということを考えた訳です。

福西先生

◆東北大学の思い出◆

  それまで、ずっと東京にいたので、東北に行くということがどういうことか想像ができませんでした。仙台にきて一番刺激をうけたのは自然と直結しているということ。それが東京の大学と全然違う条件でした。 サイエンスというのは自然の中の発見ですが、四季折々のちょっとしたことが刺激になりました。自然を見る目が曇らないというか(笑)。文献ばっかり読んでいると自然の直接的な刺激が少ないため、どうしてもサイエンスの本来のものからどんどん離れてしまう。理学研究科は「自然」を対象に研究しているわけだから、「自然」をいつも見つめるということが必要なんです。そういうことを身近に出来る事が一番刺激になりました。蔵王、女川とすばらしい観測所があちこちにある。それがとっても良かったですね。東北大はまさに観測をやれる条件があるところです。こういう恵まれた条件のところは全国でもあまりない。1時間くらいで観測所に行くことができるので、学生も直に実験することができる。 また、理学研究科はガラス工場などの工場があり実験装置を作る体制がすばらしい。うちの研究室はいろいろなものを開発しましたが、そのエンジニアリングモデルの多くはここでつくってもらいました。他の大学はメーカーに発注するとか、買ってくるしかありません。

◆学生へのメッセージ◆

福西先生の最終講義福西先生の最終講義

  東北大の中だけで閉じこもるのではなく、海外の学会で発表する、国内外の研究室や研究機関に行って、その中で学生自身がいろいろ経験できるようにサポートしてきました。そうすると、東北大の良い環境が実際にわかってくると思います。
まずは、全国的に恵まれているということをきちんと意識しなければいけません。そして、恵まれているものを利用するべきなんです。そうすれば、すばらしい成果が出るはず。そういう優位なところを利用して自分のやりたいことをどんどんやるという学生が最近若干少なくなったと感じています。この恵まれた条件を利用して世界のサイエンスのトップを目指して欲しい。

岡野先生より

  福西先生は1986年3月に隊長を務められた26次南極地域観測から帰国され、同年4月に当時の超高層物理学研究施設に教授として着任されました。私はそれまで長い間同研究施設で大気光の仕事を続けていましたが、福西先生ご着任のころは成層圏オゾンを地上から測るためのレーザーヘテロダイン分光の立ち上げに四苦八苦していました。私は、新しい先生が来られることだし、うまくいかない仕事はこの際投げ出そうかと思っていたところ、福西先生は是非一緒に成し遂げようとおっしゃってくださり、頑張った結果世界で初めて成層圏オゾンの高度分布測定に成功することができました。福西先生は仙台に来られたときに、「東北大を超高層研究の拠点にしよう」とおっしゃいましたが、その後大気光・オーロラの全天観測、火星探査の分光器開発、さらに雷放電に伴うスプライト・エルブスなどの超高層発光現象解明などに超人的にエネルギーを注がれ、最初におっしゃった言葉どおりの結果をもって退任なさいました。先生は今後も日本学術振興会の北京事務所長としてより広い立場で日中のサイエンス発展に尽くされるでしょうが、 ここでは東北大学でのご尽力に対してお疲れさまでしたと申し上げたいと思います。

惑星プラズマ・大気研究センター長 岡野章一

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地球物理学専攻 森岡昭教授 最終講義

森岡先生の最終講義森岡先生の最終講義

2007年3月13日(火)、地球物理学専攻の最終講義が行われました。14:00〜15:30が森岡昭教授「地磁気脈から惑星シンクロトロン電波まで−私の宇宙アルピニズム」、15:30〜17:00が福西浩教授「美しい宇宙空間〜オーロラからスプライトまで〜」の2部構成で、物理B棟3階講義室は多くの聴講者で埋め尽くされました。

森岡先生へインタビュー

森岡先生

◆森岡先生の研究テーマと概要◆

  惑星を取り囲む磁気圏、電離大気・プラズマの中で生じている宇宙現象と惑星環境を解明する、とういうのが研究テーマです。こうした太陽系最大の惑星で起こっている宇宙現象の謎を解き明かし、惑星環境の変動を支配している物理過程を探求する研究は、人類共通の知的好奇心に基づく科学の探検とも言えます。   惑星の宇宙現象を観測するには、直接惑星に観測器を送り込んで観測する方法と、遠くから全体の様子とその変化の様子を観測する方法とがあります。私たちは、遠く地球からこの惑星の謎を電波と光で探る研究観測を進めています。これは丁度、ひまわり衛星による地球上空からの写真が、低気圧の速度や動きを良く伝えてくれるように、地球から惑星周辺のガスやエネルギー粒子の発する微弱な光や電波の分布や変動を観測して、謎を解く手がかりを得ようと言うものです。

森岡先生の最終講義

◆研究のきっかけは何だったのですか◆

  昭和37年、物理を勉強したいと思って理学部に入学しました。入学してほどなく、物理の上に「地球」がついた「地球物理学」という学問があり、その名のついた学科があることを知り、驚くとともにすっかりその名に(中身も知らずに,単純に)魅せられてしまいました。   地球物理学科(当時は天文及び地球物理学科第2)に進んで、宇宙とか、オーロラとか、内容が漠然とした(?)ことを扱う地球電磁気学講座に惹かれて配属を決めました。そのあとは、ドンドン未知の世界が広がる極地方の電磁現象や惑星圏の宇宙現象に惹かれてこれまでやってきました。

森岡先生の最終講義森岡先生の最終講義

◆東北大学の思い出◆

  様々なことが思い起こされます。米軍兵舎跡の白い建物の教室で始まった教養部授業。山岳部に所属し、山登りとトレーニングに明け暮れた学生時代。理学部(片平)玄関前押し寄せてくる過激派と対峙した、スタッフになった直後の大学紛争。青葉山に移転して新しいキャンパスでの研究生活。大家寛先生とともに体力にまかせて走り回った30〜40歳代の観測と研究。大学院重点化、大学法人化と揺さぶられつつ進んだ改革。そして、超高層物理学研究施設の改組・PPARCの誕生。念願の惑星観測専用の大型電波望遠鏡と光学望遠鏡の建設・設置、と思いはめぐります。そして、その時々に、その場面場面に、教えを受けた先生方がおられ、支えてくれる先輩がいて、助け合いつつ切磋琢磨した同輩、後輩がいて、そしてついてきてくれる学生いて、いまの自分があり、ここまでこれたことをあらためて痛感します

◆学生へのメッセージ◆

  こうして定年を迎えてみると、若いときから何度となく遭遇した私にとっての数々の大きな壁といいますか、難関事は、結果的に乗り切ってこれたことになります。その一つ一つは、小心な私にとってその時々、大変重くつぶされそうな、逃げ出したくなるものばかりでした。でも、越えてみれば、立ちはだかるように大きく見えた壁は、実はたいしたことではなく、時にはごそごそもがいているうちに通り抜けられた、というのが殆どの場合の事後の実感でもあります。そしてちょっとした爽快感を味わいながら、次の行く手を探している自分がありました。若い皆さんもきっと、これから、幾多(?)の困難や壁にぶつかるでしょう。そのときは、(私のささやかな経験を少しは参考にして)、必ず抜けられると信じ大いにもがくのが良い、というのが私のアドバイスです。

岡野先生より

岡野先生

  森岡先生は東北大学で一貫して惑星から発する電磁放射の研究に取り組まれてこられ、巨大惑星・木星を研究対象として、古くは木星オーロラからのデカメータ電波、最近は木星放射線帯からのシンクロトロン電波の観測に情熱を傾けてこられました。私が先生と机を並べてから36年になりますが、いつも感銘をうけていたのは森岡先生の科学者として、というよりも人間としての物事に対する真摯な態度です。先生の研究に対する態度は、ニュートンの「世の中の人が私をどう思っているのか知らないが、私自身は自分を、知られざる真理が果てしなく広がる大海のほんの海辺で、なめらかな小石や美しい貝殻をみつけて喜んでいる子どものようなものだと感じる」という言葉を思い起こさせます。私は東北大を離れてしばらくの間国立極地研究所でオーロラの研究を続けていましたが、この間先生は1999年に惑星プラズマ・大気研究センターをつくられました。このとき私は南極昭和基地での越冬から帰るしらせの船上で森岡先生からの「新しい研究センターで自分は電波、君は光で木星を一緒にやらないか」という電話をいただき、再び森岡先生とともに東北大で研究生活をおくることになりました。木星電磁圏の不思議がますます深まるいま、森岡先生が去られた後も、木星電磁圏の解明に向けてセンター一丸となって邁進したいと思っています。

惑星プラズマ・大気研究センター長  岡野章一

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天文学専攻 関宗蔵教授 最終講義

関先生最終講義関先生最終講義

2007年2月19日(月)、物理B棟3階講義室にて関宗蔵教授の最終講義「星間空間から星周領域へ:観測天文学のひとつの流れ」がおこなわれました。土佐誠教授による開会の挨拶、関先生の紹介の後、専門分野である星間・星周物質について、テーマ毎に講演して下さいました。

関先生へインタビュー

◆関先生の研究テーマと概要◆

テーマ:星間・星周物質の研究
概要:夜空に瞬く無数の星と星の間の空間には、実は、星間物質とよばれるガスや固体微粒子が希薄ながらも遍く分布していて、新しい世代の恒星の母胎となり、また、星の一生を通じてさまざまな様式で星から放出された物質の集積場所となっています。そして、その性質や振る舞いが、銀河系全体の特性や進化の様子を定めています。
  私は、こうした星間物質と、星や光、磁場との関係を調べていますが、最近は、特に、偏光と呼ばれる光の基本的な性質を利用して、恒星のごくごく近くの領域(星周空間)での物質の分布や物理的性質、組成、運動などを観測的に調査し、星の誕生過程や進化の様子を解明することを目指しています。そのために、高性能の偏光分光装置を独自に開発してハワイのマウナケア天文台で観測しています。

関先生

◆研究のきっかけを教えて下さい◆

  中学生時代に、宇宙に果てがあるのかないのかとか、天体現象に興味を持っていたので、大学進学時には迷わず天文学を専門に学べる東北大学を選びました。大学院に入るころ、丁度、電波や紫外線を用いての星間物質研究が発展したものですから、私もその分野に惹かれ、研究課題を選びました。
  その後、観測天文学の著しい発展の一つの流れとして、星と周りの物質との関わりの現場を、直接、詳細に研究しようとする現在の課題に、自然に、たどり着いた訳です。

関先生

◆東北大学の思い出は◆

  信州の田舎から出てきて、明善寮に入り同僚や先輩と毎日議論するなかで、全国から俊秀(学問とは限らない)が仙台に集まっていることを認識し、物差しの違いと深みの質を悟り、カルチャーショックを一杯受け、そこから親友を何人も得ました。
  こうした体験が、その後の大学院生活や、スタッフになってからも様々な場面で役に立ったと、本人は、信じています。

◆学生へのメッセージをお願いします◆

  東北大生は、すべからく、世界の文化の礎を築くべく高い理想と志を追求して欲しい。お金や他人に頼らず、自らの頭脳を使って。また、「無用の用」こそ、大学の真のモットーであると、私は今でも信じています。

関教授に直接指導をうけた国立天文台の秋田谷洋先生にお話を伺いました。

秋田谷先生マウナケア山頂ハワイ大望遠鏡建物内

  関先生は、学生が自主的かつ責任感をもった研究を進めることを大変尊重され、その研究が円滑に進むような環境整備には人一倍のご尽力をくださりました。そのおかげで、私たち学生が中心となって大型の観測装置を製作し海外の望遠鏡に装着するという、思いきった野心的な課題に挑戦することもできました。さらに、研究室の計画の上での責任ある立場を任せていただき、時に失敗する我々を辛抱強く見守り続けていただいたことで、単純に科学的なことに限らず、研究進行に付随するあらゆる経験を積むことができました。これは、今私が 研究員として研究活動を進める上での大きな財産となっています。
  また、大変陽気でお酒を愛される先生でもあります。研究が一段落したときに、顔をほのかに赤らめた関先生と交わす一献は、 研究室の面々の大きな楽しみのひとつでもありました。退官されるとはいえ、まだまだ研究に対する情熱に溢れておられるご様子です。これからも、研究室から巣立った我々の研究成果を土産話に乾杯する機会が得られることを楽しみにしています。

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物理学専攻・宮瀬晴久教授 最終講義

宮瀬先生

「思い出すままに」
2007年2月2日 15時〜16時20分 理学総合棟第一講義室(203)

2月20日15時より、物理学専攻・宮瀬晴久教授の最終講義「おもいだすままに」が行われました。ここ数年の学生の変化や、本研究科・学部の入試の動向、今後の行方についての様々な問題についての講演でした。「大学全入時代」といわれるように、全国的に受験生が減少しています。後期入試の存続の影響、AO入試と一般入試の学生について、専門の面接官の必要性、出前授業の難しさ…多くの問題が具体的なデータを元に提議されました。橋本研究科長はじめ参加者の方々は真剣な面持ちで聴き入っていました。

宮瀬先生へインタビュー

―先生は原子核のどんな研究をしていたのですか?素人にも分かるように教えてください。

原子は原子核と電子から成っていて、原子核には中性子(以下n:ニュートロン)と陽子(以下p:プロトン)がつまっています。なぜnとpが小さな領域に存在し合うのかなどの問題がありますが、それは量子論といいます。原子核を(いわば)ひっぱたく装置があって、ひっぱたくと原子核が温まって中からnやpが逃げ出してくるのです。いろんな出方で飛び出してくるので、それがどんなエネルギーでどんな方向へ逃げたのか、観測することによって原子核の性質を調べるという研究をしていました。

―人も物も原子からできていて、その中に原子核があり、それもnとpに分けられて、そのnとpも分けられるって・・。

原子のイメージとして、例えば鉄を考えてみましょうか。二階建ての建物を想像してみて下さい。その二階建ての家には家具も何もない。その家の中心に虫ピンを1つ刺すとします。家が原子で、虫ピンは原子核。鉄は26個のpと30個のnで出来ているので、それらがその虫ピンの中に入っているわけですね。その家(原子)がだいたい2〜30mくらいに並んでいるとして、集落を作っているわけです。その集落が、鉄。何かで聞いたように思いますが原子核をアリンコほどの大きさだとすると原子は東京ドームの大きさに対応します。そういう世界なわけです。

―例えがわかりやすくて理解できました。面白い世界ですね。
先生は昔から物理が好きなんですか?学生の頃は?

小学校の頃は、国が2つに分かれるとはどういうことか調べたり(韓国・北朝鮮のことや西・東ドイツのこと)、木こりが好きで木こりのジオラマを作ったりしていました。
中学のときに担任の先生が数学の先生で、ガラッと数学が好きになりました。数学の教科書は書き込みで真っ黒でした。
高校の頃は化学のクラブの部長をしていて、化学に興味がありました。当時は化学のほうに進もうとしていました。

―その化学のクラブってどんな活動をするんでしょう。

文化祭のときにカセイソーダで表面を溶かして染料で染めた葉っぱのしおりとかを作ったこともありましたよ。物によって燃やすと色が変わったりする、その「物が変わる」というのが面白かったですね。

―(大学院から東北大にいらしたわけですが)東北大のいいところは?

大学院入試で初めて仙台に来たときは、高下駄を履いた高校生とか町には腰に手ぬぐいの高校生がいたりして、驚きました。町全体がのんびりしているという印象を受けました。東京にいたときは刺激的というかんじでしたが、東北大はのんびりしていますね。

―学生さんへメッセージをお願いします。

学生はもっと外へ出て交流したほうがいい。じっと閉じこもっている必要はないですから。せっかくすぐ近く(同じ場所)にいろんな人がいるので、いろんな人から刺激を受けてみたらいいのでは。交流がどこでもできるのは学生の特権ですよ。

ありがとうございました。難しい話も大変丁寧に説明(講義)をして下さり、原子核の研究が身近に感じられました。また、先生が今後の入試状況の問題やいまの学生さんについていろいろと思案してこられたことが伝わりました。これからも東北大の今後の行方を見守っていてほしいと思います。

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物理学専攻・滝川昇教授 最終講義

滝川先生

「虹、ピカソ、ベニス、孫悟空−或る学者の履歴」
2007年2月20日 13時30分〜14時50分 理学総合棟第一講義室(203)

2007年2月20日、物理学専攻・滝川昇教授の最終講義「虹、ピカソ、ベニス、孫悟空−或る学者の履歴」。総合棟第1講義室は、あふれて入りきらないほどの聴講者で賑わっていました。ご専門の原子核物理学の研究内容、そのままポストカードになりそうな綺麗な写真、先生の人生哲学など、盛りだくさんの内容がスクリーンの1ページごとに凝縮されていました(119ページにも及びました)。「誰にも出来ないことをするのが大事。」など、心に響く言葉も散りばめられ、「学問への情熱と愛、学生への愛で教える」先生の熱意に会場一体が引き込まれた最終講義でした。

先生へインタビュー

−先生は昔からとりわけ理系の科目が得意だったのですか?

特に算数や理科だけが得意というわけではありませんでした。自然と勉強していたので、どの科目も得意でした。

−なるほど。では高校時代はどのように過ごしていたのですか?

とにかく勉強をしていました。勉強をすることを苦労とは思わなかったですね。楽しかった。

−なぜ物理の道に進んだのですか?

なぜでしょうね。高校生の頃、原子核や素粒子の記事が時々新聞に載っていて、切り抜 いて読んだりすることはありました。好奇心があったのかもしれません。自然にその道に入っていきました。

−海外の大学も経験された先生から見て、東北大はどうでしたか?

東北大は住みいい大学だと思います。研究がやりやすいですね。立地条件もいいし、規模も大きい。物理はスタッフの数も多いし、いろんな分野の 人がいるのでいろいろ学べる。学生も謙虚で、性格がいい。学生に教えるのは、質のいい原石を磨いているようでした。それと、資料(学術文献)にも恵まれているので、やはり研究には有利ですね。

−−論語、ピカソ、サムエル・ウルマン、ワーズワース、老荘思想、三国志・・・ 先生は博識で、引き出しが未知数です。どこで吸収しているのですか?_

「自分に教える」ことを意識的にしてきました。教育者として、科学者として、 指導者として、私たちの立場は社会的責任があると思います。 オックスフォードでは、他の学問分野の人々との交流が日常的だったので、 文化的にも幅広く豊かになりました。
ドイツでも、フランスでも、学者の価値とはなにか、プロとは何か、話を聞くことの大切さ、どのように話に人をひきつけるかなど、 いろいろと学びました。
中国の古典思想から学ぶことも多いです。
何事にも美しさや驚きや学ぶことがある。
何事でも素直に謙虚に学ぶ姿勢が大切だと思います。

−一番好きな言葉(格言)はありますか?

一番というのは選べませんが、最終講義でも紹介した「個性に投資せよ」 「読万巻書、行万里路」は学期の終わりの講義でよく板書しています。 「将の将たる器にして、また、将たるべし」(少し造語ですが)、 「四時之序、成功者去」「一字の師」「人間万事塞翁馬」もいいですね・・。 それに、「カラオケの物理はやめよう」。意味は分かりますか?

−学生さんへメッセージ

最終講義に出てきたLouis Armstrongの``WHAT A WONDERFUL WORLD"のphraseを少しもじって、
``You will learn much more than I'll ever know."
更に、「新しい文化や文明の創造に是非参加してください。」

ありがとうございました。書ききれないくらい盛りだくさんなお話をいただきました。先生の知識の引き出しの多さに改めて驚くとともに、「自分に教える」豊かさ、「文化・学問的」豊かさについて考えさせられました。これからもずっと、輝いた人生を過ごされることと思います。

研究室・博士課程の鷲山さん

―鷲山さんから見た滝川先生はどんな先生ですか

学生の立場に立って教育・指導をしてくれる先生です。 質問に伺うと、時には基礎に立ち帰り時間を惜しまず一緒に考えてくれます。 また、凄まじい体力の持ち主で、若い私たち学生が体力負けしてしまうことが しばしばあり、いつも驚かされます。

―印象に残っている思い出はありますか?

先生との共同研究の成果をまとめて投稿した最初の論文が 論文誌に掲載受理されたことを先生に報告したときに、 立ち上がって握手してもらったことが印象に残っています。

―先生へ一言

最終講義の孫悟空の話にも出てきたような多くの仲間を 私たちに紹介して下さり、それがいろいろな面で本当に役に立ち、 また、自分自身の研究者としての視野が広がりました。 どうもありがとうございました。 落ち着いたら写真展でも開きますか?

研究室・博士課程のNyein Wink Lwin さん

―Lwinさんにとって滝川先生はどんな先生ですか?

お手本になる先生です。私自身これから大学の先生になるので、 滝川先生から学ぶことはとても多いです。 学生の立場・能力を分かった上で教育してくれます。 教えることに労力を厭わず、いくらでも自分の時間を使って、 粘り強く、気長に指導してくれます。 また、滝川先生が共同研究者を研究室に呼んだときには、 学生が研究紹介する場を与え、それを encourage してくれます。 国の文化を大事にしていて、私達外国人も自分の国の文化を大事に しなければと改めて気付かされました。

―先生へ一言

もうすぐ Myanmar に帰りますが、国に一番持って帰りたいお土産は滝川先生です。

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