東北大学 大学院 理学研究科・理学部|アウトリーチ支援室

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2013年5月14日取材

地球物理学専攻 海野德仁教授 最終講義

 3月22日(金)、理学部大講義室にて地球物理学専攻 海野德仁教授の最終講義「地震:出会いから衝撃まで」が行われました。
 最終講義では、入学当初天文学をやろうと思いってた海野先生が地震の研究へと進んでいったきっかけや岩手県の北上や秋田県の男鹿半島などで行った地震観測、2011年の東北地方太平洋沖地震で受けた衝撃、そしてこれからも地震学の研究を続け、小中学校への出前授業などを通して社会と研究者の距離を近づける努力をしていきたいとお話してくださいました。

海野先生よりメッセージをいただきました
  ー退職を迎えてー  

 東北大学にお世話になってから46年が過ぎます。大学2年の川内キャンパスでの英語の授業中に発生した1968年十勝沖地震(マグニチュード7.9)が、地震学に興味を持ち始めたきっかけでした。これまでに30個近くの大地震と関わりを待ち、地震発生機構やプレート沈み込み帯の地震テクトニクスの関する研究を続けてきましたが、一昨年の東北地方太平洋沖地震は強烈な衝撃でした。地震国日本で地震研究をあきらめることは決して許されるものではありません。社会との関わりを保ちながら、若い方々と共に、これからも地震発生のしくみに挑戦し続けたいと思います。

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▲最終講義で参加者の質問に答える海野先生

  地震・噴火予知研究観測センターの松澤 暢先生より
海野先生へのメッセージをいただきました  

 海野先生との出会いは,私達が1980年に4年生としてセンターに配属されたときの,スタッフとの顔合わせが最初だったろうと思います.長髪にヘアバンドというスタイルがとても印象的でした.このヘアバンドは海野先生にとって仕事が猛烈に忙しくなったときに装着される「勝負アイテム」であり,これを身に着けたときの先生からは,ちょっと近寄りがたいオーラが感じられたものでした.当時30代になられたばかりの先生の若さとエネルギッシュなオーラに引かれ,私は大学院の5年間,先生と同じ部屋で研究をさせていただきました.今から考えると,私はかなり生意気なことをたくさん発言していたように思いますが,先生はいつも優しく受け止めてくださいました.

▲海野先生(左)と松澤先生
 先生は,二重深発地震面の発見や,近地sP変換波の発見とそれに基づく海域の高精度震源分布の推定,宮城沖地震の階層構造の発見など,極めて数多くの世界的研究をなされてきましたが,私が一番印象に残っているのは,東北地方の減衰構造の推定の研究です.当時,地震波速度構造のトモグラフィがようやくポピュラーになりかけた頃で,地震波減衰構造をまともにインバージョン手法で推定するなんて誰も手をつけていませんでした.一番の問題は,地震波形が当時はアナログで収録されていたので,波形のスペクトル解析に膨大な手間がかかったことです.海野先生は,自作のバンドパスフィルターを通したアナログ波形の振幅をスペクトル振幅とみなして処理されて,見事に東北地方の減衰構造を解明されたのでした.アナログテープにアナログフィルター,出力は16ch熱ペンレコーダーで,振幅は記録紙の方眼目盛を読み取って手帳に書き込むという,根気強い作業が必要な研究でした.この研究のために購入された16ch熱ペンレコーダーを,そのあと,私は修士論文の研究で使用させていただき,海野先生を見習って,朝から晩まで根気よく毎日アナログ波形の再生をしておりました.
   先生の思い出で忘れてはならないのは,大地震への対応です.1978年の宮城県沖地震のときは,当時渡米されていた長谷川先生に代わって,宮城県沖地震の対応の最前線に立って観測研究を引っ張って来られました.当時はまだプレートテクトニクスを疑問視する発表も学会でなされていた時代ですが,海野先生らは,この宮城県沖地震がまさしくプレート境界で起こったことを高精度の余震分布とメカニズム解から明らかにし,プレート運動によって大地震が発生することを明確に示されたのでした.
 1983年日本海中部地震の際は,当時のテレメータ装置のダイナミックレンジが低かったため,多チャンネルのレコーダを利用して高ダイナミックレンジの波形を現地収録しようとして,海野先生と一緒に男鹿観測点まで行き,そこで寝泊まりしながら波形の収録・読み取りを行いました.地震発生後,あちこちで寸断された道を迂回しながら苦労して現地に入り,休む間もなく現地で観測の準備を始めましたが,大慌てで持ち込んだ手作りのアンプがいろいろとトラブルを起こし,現地の限られた機材とパーツでいろいろと工夫しながら修理してなんとか観測システムを立ち上げたことを思い出します.私は当時,学生だったので車の運転はできず,海野先生が何時間もかけて運転して来て,そのままほとんど徹夜で苦労して観測装置を立ち上げられた姿に感動しました.
 そして2011年の東北地方太平洋沖地震の際には,センター長として,観測点の復旧や機材の調達,メディアへの対応や,市民の方々からのお叱りの電話への応対等,本当に心労が絶えなかったと思います.私はあいにく地球物理学専攻の専攻長を務めていたので,そちらの対応に追われて,センターのことはすべて海野先生にまかせっきりで何もできなかったことを大変申し訳なく思っております.
 この春,ようやく定年を迎えられて,ゆっくりとしていただけるはずだったのですが,「安全・安心」のリーディングプログラムである「グローバル安全学トップリーダー育成プログラム」が採択されたことにより,海野先生には,本プログラムの専任の教授として引き続きご尽力いただくことになりました.先生のわかりやすい講義や解説は,「安全・安心」分野のリーダーを育てるうえで,極めて重要ですので,どうかご健康には気をつけられたうえで,今後とも,ご指導とご助言をよろしくお願いいたします.


*Photo Garally*

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