東北大学 大学院 理学研究科・理学部|アウトリーチ支援室

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2014年4月14日写真日記

第8号ラジウム副原器

東北大学サイクロトロン・ラジオアイソトープセンターに、第8号ラジウム副原器があることをご存知でしょうか?

1895年にウィルヘルム・レントゲンが放電管を使った実験でX 線を発見、1896年にはアンリ・ベクレルがウラン鉱石から放射線がでていることを発見しました。
ウラン鉱石(ピッチブレンド、瀝青ウラン鉱)を使って放射線の研究をはじめたマリー・キューリーは、そのなかにウランとは違う放射線源が含まれていることに気がつきました。彼女は夫のピエール・キューリーとともにピッチブレンドの精製に明け暮れ、1898年にポロニウムとラジウムを取り出すことに成功しました。
放射線は発見されてすぐに生物学的作用が認められたため、医療に使われるようになりました。特にラジウムはガン治療などに盛んに使われるようになったこともあり、放射線量の標準化が必要とされるようになりました。1910 年、1g のラジウムと平衡状態にあるラドンの放射能量の単位をキュリー(Ci) と定められました。翌年、ブリュッセルで開催された第1回ソルベー物理学国際会議でマリー・キュリーとアーネスト・ラザフォードは国際ラジウム原器と副原器の設定を提案しました。
1912年にマリー・キューリーが精製した21.99mg のラジウムを使ったラジウム原器が作られ、パリにある国際標準度量衡局に設置されました。同時に作られたラジウム副原器が世界各国に送られることになり、ラジウムの国際標準が確立しました。そして、1913年に塩化ラジウム9.8mg の第8号ラジウム副原器が東北大学理学部に到着したのです。
この第8号ラジウム副原器には証明書が付されており、アーネスト・ラザフォード、パリでの測定に対してマリー・キューリー、ウィーンでの測定に対してステファン・マイヤーの3名が内容を保証する署名をしています。東北大学に到着した後、証明書の訳文を愛知敬一が作成しました。残念ながら、これら証明書の所在が不明になっており、コピーだけが現存しています。


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