東北大学 大学院 理学研究科・理学部

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【プレスリリース】電子スピンの運動を1ナノメートル以下の幾何学図形に閉じ込める −スピン分子の観測に成功 −

東北大学大学院理学研究科(現 高等教育開発推進センター)の富安啓輔助教らの共同研究チームは、最新鋭のパルス中性子非弾性散乱法を駆使し、幾何学的フラストレーションを持つ磁性体において、電子スピンの運動を1ナノメートル以下の幾何学図形に閉じ込める「スピン分子」という現象を観測することに成功しました。本研究成果は、同チームがこれまで積み重ねた論文報告を最新の研究結果と統一して進展させたもので、つい先日、平成25年2月15日(米国東部時間)、米国物理学会誌Physical Review Lettersにて公開されました。


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(お問い合わせ先)
東北大学大学院理学研究科 物理学専攻 物質構造物理研究室

助教 富安 啓輔
Tel:022-795-6487
E-mail:tomiyasu*m.tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)
■物理学専攻物質構造物理研究室

 

プレスリリース(PDF)
■東北大学へのリンク


<背景>
 自然は動きに満ちており、その動きは、熱・光・電気・磁気などのエネルギーが様々に姿を変えることにより発生しています。物理学では、エネルギーを得て動く状態を励起状態、元の静かな状態を基底状態と呼びます。励起状態は私たちの身の回りの現象や物質の機能に直結するものです注1)。新たに独特の励起状態を観測・理解することは、自然の基本的な謎を明らかにし、電子物性技術の新たな基本原理を提供する鍵となる可能性があります。
 一方、近年の固体物理学のホットトピックスの一つに、「幾何学的フラストレーション」という概念があります。この概念は、図1(a)に示すように、三角形の頂点に局在するスピンのすべての対を反平行(反強磁性的)にはできないという状況を指します。この状況のため、幾何学的フラストレーションを持つ磁性体では、温度を下げても、電子スピン注2)の向きが綺麗に整列する通常の固体状態への相転移が妨げられ、独特の液体的な運動や複雑な整列を示す基底状態が発生します。
 スピネル型酸化物絶縁体MgCr2O4注3)はそのような物質の一つです。図1(b)に示すように、磁性を担うCr3+(スピン S = 3/2)が三角形を基調とする格子を形成しており、このスピン同士は熱エネルギーに換算すると約100℃という大きさの相互作用エネルギー(ワイス温度)で結ばれています。しかし、強いフラストレーションのため、温度を下げると、スピンは互いに強く相互作用しながらも安定に停まることができず(磁気液体相)、約マイナス260℃で複雑な整列状態へたどり着きます(磁気複雑固体相)。


<研究内容>
 では、このMgCr2O4内でエネルギーはどのような姿を見せるのでしょうか。その姿(スピンの励起状態)は難解と予想され、これまで捉えた実験報告もありませんでした。スピンの励起状態は、中性子を物質に当てて運動エネルギーを与え、その跳ね返り方を調べるという中性子非弾性散乱法により直接観測できます。しかし、従来、その測定効率に不足があることも大きな障害でした。そこで、共同研究チームは、英国の中性子施設ISISに建設された最新鋭のパルス中性子非弾性散乱装置注4)を用い、観測に挑みました。さらに、本研究では、良質で大型の単結晶注5)を育成する方法を新たに開発し、育成した6本の単結晶を同方向に整列させた単結晶集合体を作製することにより、中性子の跳ね返る確率を倍増させました。こうして、様々な方向に微弱に広がった信号の全体像を一気に捉えることに成功しました。
 図2(a)は得られた実験結果を示します。与えられたエネルギーの値ごとに、試料を回転させて様々な角度から撮影した中性子の跳ね返り方を表す模様群がたくさん並んでいます。これらのすべての模様群をできるだけシンプルなモデルや解析方法で再現することを試みた結果、図1(c)に示す状態により、図2(a)と良く一致するシミュレーション結果(図2(b))を得ることに成功しました。この状態は、一辺の長さが約 0.3 nmという小さな六角形や二つの四面体という意外にも単純で美しい幾何学図形からなっており、各スピンは、互いに平行または反平行の関係を維持しながらぐるぐると回っています。このような、図形に閉じ込められてしまったスピンの運動状態を、私たちは「スピン分子」と名付けました。
 興味深いことに、スピン分子は磁気複雑固体相でも磁気液体相でも普遍的に観測されました。これは、スピン分子が磁気相転移に関係なく幅広い温度領域で生成されることを示唆しています。原理的には、その駆動力となる相互作用エネルギーの大きさ(100℃程度)まで耐え得るものです。フラストレーション研究の一大課題は、マイナス200℃以下に現れる量子スピン液体と呼ばれる特殊な基底状態なのですが、本成果は、フラストレーションを常温の世界、すなわち、身近な自然現象や応用に引き出す一つの道筋を示すものと言えます。

<今後の展開>
今後、スピン分子というエネルギー形態を活用し、常温を含む広い温度領域にわたって、スピン運動・音・熱などのエネルギー輸送や遮蔽に関する新たな基本原理の創出を目指すことができます。また、磁性体に限らず、フラストレーションや複雑さを持つ物質全般において、励起状態の全容の解明と制御に向けた総合的な研究が開かれて行くと期待されます。

本研究成果は、文部科学省科学研究費補助金・特定領域研究「フラストレーションが作る新しい物性」(研究代表者:川村光)における公募研究課題(22014001)と若手研究(B)(22740209)(研究代表者:富安啓輔)の援助を受けて得られたものです。


<用語解説>
注1)励起状態の例:物質が音を発したり伝えたりする振動状態(フォノン)、液体が回転する渦という状態(ロトン)、太陽電池の電流や半導体の独特な電気伝導を生み出す状態(エキシトン)が挙げられる。

注2)電子スピン:電子はマイナスの電荷を帯びて自転(スピン)している。これが一種の電流回路となり、電磁石コイルと同様に、N極・S極という向きを持つ棒磁石となる。そのため、スピンはしばしば矢印で表される。

注3)MgCr2O4:尖晶石と呼ばれる天然鉱物MgAl2O4において、Al(アルミニウム)がCr(クロム)で置き換わった人工化合物。同型物質にはたくさんの宝石がある。

注4)パルス中性子非弾性散乱:パルス状に発生した中性子を試料に当て、その運動エネルギーが失われた時の中性子の跳ね返り方を調べる散乱実験法。今回使用した装置は、大面積の検出器を持つ高測定効率チョッパー分光器MERLINと、数10ギガバイトの巨大データを短時間に解析するソフトウェアHORACEである。ここ数年、日本のJ-PARC施設においても、これらを凌駕しつつある最新鋭装置群が稼働し始めた。

注5)単結晶:一つの試料内で、単位胞と呼ばれる単位構造がすべて同じ方位で積み重なった物質。宝石や工業用シリコンがその例である。対して、多くの金属やセラミックは、微細な単結晶がランダムな方位で接合した多結晶という状態にある。


<参考図>
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図1:(a) 幾何学的フラストレーションの概念図。(b) 組成式AB2O4で表されるスピネル型酸化物のBイオン(緑の丸)が形成する格子。パイロクロア格子とも呼ばれる。 (c) スピン分子モデルの模式図。矢印は、平行・反平行の関係を保ちながらぐるぐると回るスピンのスナップショットを表す。パイロクロア格子内での位置は、(b)内の同じ色の図形で例示されている。第2・第3・第4励起は、同じ立体図形内で平行・反平行の対の数が異なるシリーズで構成されている。


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図2:今回の中性子非弾性散乱の実験結果。(a) は実測の撮影図、(b) は図1(c)から計算された結果。赤いほど中性子が強く跳ね返り、青いほど中性子が跳ね返らなかったことを意味する。

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