東北大学 大学院 理学研究科・理学部|広報・アウトリーチ支援室

2013年5月30日レポート

地球物理学専攻 藤本博己教授 最終講義

 3月22日(金)、理学部大講義室にて地球物理学専攻 藤本博己教授の最終講義「海洋測地観測の勧め」が行われました。
 藤本先生は、カムランドやスーパーカミオカンデが設置されている岐阜県神岡町のご出身で、平成12年に東北大学に教授として着任されました。また、最後の1年は新しく設置されました東北大学災害科学国際研究所の教授としても研究活動されました。最終講義では、東北大学ではあまりお話する機会がなかったという船上重力計の開発や測定について、後半では海底地殻変動観測の重要性についてご講義くださいました。

藤本先生よりメッセージをいただきました
  ー退職に当たってのメッセージー  

 2013年の東北地方太平洋沖地震は、その初期の段階は、予想していた宮城県沖地震のうち大きなタイプの地震であった。破壊が連動しM9の規模になることを推定できなかったことは防災上問題であるが、地震の予測において時間と場所は当たっていた。そのおかげで海底地殻変動観測を継続し、地震時の大きな海底変位を検出し、宮城県沖の海溝近くで数10m以上のすべりがあったことなど、M9地震の実体を初めてとらえるという重要な成果を得た。

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▲最終講義での藤本先生

  災害科学国際研究所の木戸元之先生より
藤本先生へのメッセージをいただきました  

 藤本教授は一貫して海洋での調査観測に尽力されてきました。地球内部を探るための海上での重力測定における機器開発に始まり、特に東北大学に移られた頃からは、日本における巨大地震の発生要因を探るための海底での測地観測の立ち上げに奔走されました。それがようやく軌道に乗りかけた時に、あの東北地方太平洋沖地震が発生しました。このとき得られたデータは、これまでの常識では考えられなかった地震の実像を明らかにするとともに、今後の観測基盤の充実により、地震発生そのものの予測に役立てることの重要性を示しました。このような大きな実績を残される一方、普段の藤本教授は気さくな人柄で、観測に於いては現場主義を通され、退職するまで後進を育てながら多くの時間を船上で過ごされました。私も、これまでのほとんどの調査航海でご一緒させていただきました。写真はその中の一つ、JAMSTECの「しんかい6500」の潜水調査航海のものです。

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▲2008年「しんかい6500」研究室の仲間と
(前列:左から2番目が藤本先生、右端が木戸先生 *写真提供/木戸先生)


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2013年5月29日レポート

地学専攻 塚本勝男教授 最終講義

 3月1日(金)、理学部大講義室にて地学専攻 塚本勝男教授の最終講義「一枚の写真」が行われました。
 塚本先生は、海外でも精力的に研究や教育を行っており、楽しそうにオランダや韓国での思い出話をされる様子が印象的でした。学生、教職員、そして卒業生が大勢参加し、塚本先生の最後の講義に聞き入っていました。
 
 
塚本先生よりメッセージをいただきました

 その昔、ヨーロッパのある哲学者が先生と弟子との関係を次のように述べている。弟子が持ってきた研究成果に対して、先生が非常によくできた研究だねと褒めたなら、それは普通の結果である。その先生が話を聞いた途端カンカンになって怒り出したとするならば、その研究は一流の仕事である。本気になって怒りたいものである。

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▲最終講義を行う塚本先生

  地学専攻の木村勇気先生よりメッセージをいただきました  

 塚本先生は、その独特のキャラクターから、皆さん初めての出会いをよく覚えてられるようです。私が初めて塚本先生のことを認識したのは、10年ちょっと前の惑星科学会です。発表者に対して塚本先生が思いもかけない質問をされたのに感銘を受けたのを覚えています。その後の結晶成長討論会では、透過電子顕微鏡写真を綺麗だと褒めて頂いたのを記憶しています。その際には普通に会話をしていましたので、知り合ったのはもっと前だったかもしれません。いずれにしろ、この頃から塚本先生とは一度いっしょに仕事をしてみたいと思っていました。この思いは、助教として研究室の一員となることで叶い、塚本先生の魅力の秘密まで身をもって知ることができました。その魅力は決して言葉だけでは言い表せません。ぜひ一度塚本先生と仕事をしてみて下さい。その魅力に取りつかれ、離れられなくなるでしょう。
 2009年1月から4年にわたって仕事をさせて頂き、塚本先生の人並み外れたバイタリティと独特の思考から、研究の進め方、研究室運営の仕方などを背中で教えて頂きました。その結果、最近では塚本先生に似てきたと言われるまでになってしまいました。しかし、これには反論があります。私は元々塚本先生に似ていたと確信しています!そのために魅力を感じ、一緒に研究をしたいと思ってしまったのです。周りには、三浦助教や学生達、企業や他大学など同じように塚本先生に魅力を感じて集まってきた方々が、国内外問わずたくさんいて、いつも賑やかに最先端の科学を作り出す気概にあふれた研究室でした。これからは、今まで以上に好きなことに没頭でき、ますます生き生きと研究されるのではないかと思います。これまでお疲れ様でした。そして、今後ますますのご活躍を信じています。

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▲塚本先生(左)と木村先生

  研究室の村山健太さんに塚本先生との思い出についてお伺いしました  

・塚本先生の印象について 「初対面での印象は爽やかで夢とロマンにあふれた素敵な話をしてくれるキラキラしたおじさまでした。塚本先生の印象をどなたに訊いてもきっと同じような言葉が帰ってくるでしょう。今でもそのキラキラした魅力を失わないで輝くエネルギーを保ち続けているのは驚異的です。そのエネルギーは一体どこから来ているのでしょうか。ひょっとして僕らから吸収しているのでは...」
・印象に残っている出来事について 「僕が学部2年生の時に塚本先生の指導のもと無重力実験を行う機会があったんですが、その時に次から次へといろんな取材が舞い込んできたこと。ニュースで取り上げられたり、映像が科学番組に使われたり。塚本先生の人脈の広さとPR、アピール能力の凄さを思い知りました。科学に興味のない人までも引きこむあの魔力はすごいと思います。」
・最後に塚本先生へのメッセージをどうぞ 「この度はおめでとうございます。学部1年生の頃からお世話になった先生がいなくなるのは大変寂しいです。先生はきっとどこに行かれても楽しく活動されていくことと思われますので我々も負けずに頑張りたいと思います。これからもよろしくおねがいします。」

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▲祝賀会で塚本先生(左)にプレゼントを贈る村山くん
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2013年5月15日レポート

東北大学大学院理学研究科 合同入試説明会2013(東京会場)の模様

 5月11日(土)、東北大学東京分室(サピアタワー10階)にて「東北大学大学院理学研究科 合同入試説明会2013」が開催されました。
 今年で5回目となった合同入試説明会、東京はあいにく雨模様となってしまいましたが昨年より30名ほど多い、計76名の方に参加いただきました。中には関西地方から参加してくださった学生さんもいらっしゃいました。
 理学研究科全体の紹介の後、各専攻にわかれて入学試験や研究分野の説明等が行われました。また、説明会には理学研究科の大学院生もサポーターとして参加しており、学部と大学院での研究の違いや仙台のこと、そして実際に他大学から東北大学大学院理学研究科に進学した時の体験談が紹介されました。
 参加者は説明会終了後も、熱心に先生方や院生に質問しており、将来の進路について真剣に考えている姿が印象的でした。
 東京会場は終了しましたが、5月から6月にかけて仙台で大学院入試説明会を開催している専攻もありますので、今回参加できなかったみなさんはそちらに出席してみてはいかがでしょうか?

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2013年5月14日レポート

地球物理学専攻 海野德仁教授 最終講義

 3月22日(金)、理学部大講義室にて地球物理学専攻 海野德仁教授の最終講義「地震:出会いから衝撃まで」が行われました。
 最終講義では、入学当初天文学をやろうと思いってた海野先生が地震の研究へと進んでいったきっかけや岩手県の北上や秋田県の男鹿半島などで行った地震観測、2011年の東北地方太平洋沖地震で受けた衝撃、そしてこれからも地震学の研究を続け、小中学校への出前授業などを通して社会と研究者の距離を近づける努力をしていきたいとお話してくださいました。

海野先生よりメッセージをいただきました
  ー退職を迎えてー  

 東北大学にお世話になってから46年が過ぎます。大学2年の川内キャンパスでの英語の授業中に発生した1968年十勝沖地震(マグニチュード7.9)が、地震学に興味を持ち始めたきっかけでした。これまでに30個近くの大地震と関わりを待ち、地震発生機構やプレート沈み込み帯の地震テクトニクスの関する研究を続けてきましたが、一昨年の東北地方太平洋沖地震は強烈な衝撃でした。地震国日本で地震研究をあきらめることは決して許されるものではありません。社会との関わりを保ちながら、若い方々と共に、これからも地震発生のしくみに挑戦し続けたいと思います。

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▲最終講義で参加者の質問に答える海野先生

  地震・噴火予知研究観測センターの松澤 暢先生より
海野先生へのメッセージをいただきました  

 海野先生との出会いは,私達が1980年に4年生としてセンターに配属されたときの,スタッフとの顔合わせが最初だったろうと思います.長髪にヘアバンドというスタイルがとても印象的でした.このヘアバンドは海野先生にとって仕事が猛烈に忙しくなったときに装着される「勝負アイテム」であり,これを身に着けたときの先生からは,ちょっと近寄りがたいオーラが感じられたものでした.当時30代になられたばかりの先生の若さとエネルギッシュなオーラに引かれ,私は大学院の5年間,先生と同じ部屋で研究をさせていただきました.今から考えると,私はかなり生意気なことをたくさん発言していたように思いますが,先生はいつも優しく受け止めてくださいました.

▲海野先生(左)と松澤先生
 先生は,二重深発地震面の発見や,近地sP変換波の発見とそれに基づく海域の高精度震源分布の推定,宮城沖地震の階層構造の発見など,極めて数多くの世界的研究をなされてきましたが,私が一番印象に残っているのは,東北地方の減衰構造の推定の研究です.当時,地震波速度構造のトモグラフィがようやくポピュラーになりかけた頃で,地震波減衰構造をまともにインバージョン手法で推定するなんて誰も手をつけていませんでした.一番の問題は,地震波形が当時はアナログで収録されていたので,波形のスペクトル解析に膨大な手間がかかったことです.海野先生は,自作のバンドパスフィルターを通したアナログ波形の振幅をスペクトル振幅とみなして処理されて,見事に東北地方の減衰構造を解明されたのでした.アナログテープにアナログフィルター,出力は16ch熱ペンレコーダーで,振幅は記録紙の方眼目盛を読み取って手帳に書き込むという,根気強い作業が必要な研究でした.この研究のために購入された16ch熱ペンレコーダーを,そのあと,私は修士論文の研究で使用させていただき,海野先生を見習って,朝から晩まで根気よく毎日アナログ波形の再生をしておりました.
   先生の思い出で忘れてはならないのは,大地震への対応です.1978年の宮城県沖地震のときは,当時渡米されていた長谷川先生に代わって,宮城県沖地震の対応の最前線に立って観測研究を引っ張って来られました.当時はまだプレートテクトニクスを疑問視する発表も学会でなされていた時代ですが,海野先生らは,この宮城県沖地震がまさしくプレート境界で起こったことを高精度の余震分布とメカニズム解から明らかにし,プレート運動によって大地震が発生することを明確に示されたのでした.
 1983年日本海中部地震の際は,当時のテレメータ装置のダイナミックレンジが低かったため,多チャンネルのレコーダを利用して高ダイナミックレンジの波形を現地収録しようとして,海野先生と一緒に男鹿観測点まで行き,そこで寝泊まりしながら波形の収録・読み取りを行いました.地震発生後,あちこちで寸断された道を迂回しながら苦労して現地に入り,休む間もなく現地で観測の準備を始めましたが,大慌てで持ち込んだ手作りのアンプがいろいろとトラブルを起こし,現地の限られた機材とパーツでいろいろと工夫しながら修理してなんとか観測システムを立ち上げたことを思い出します.私は当時,学生だったので車の運転はできず,海野先生が何時間もかけて運転して来て,そのままほとんど徹夜で苦労して観測装置を立ち上げられた姿に感動しました.
 そして2011年の東北地方太平洋沖地震の際には,センター長として,観測点の復旧や機材の調達,メディアへの対応や,市民の方々からのお叱りの電話への応対等,本当に心労が絶えなかったと思います.私はあいにく地球物理学専攻の専攻長を務めていたので,そちらの対応に追われて,センターのことはすべて海野先生にまかせっきりで何もできなかったことを大変申し訳なく思っております.
 この春,ようやく定年を迎えられて,ゆっくりとしていただけるはずだったのですが,「安全・安心」のリーディングプログラムである「グローバル安全学トップリーダー育成プログラム」が採択されたことにより,海野先生には,本プログラムの専任の教授として引き続きご尽力いただくことになりました.先生のわかりやすい講義や解説は,「安全・安心」分野のリーダーを育てるうえで,極めて重要ですので,どうかご健康には気をつけられたうえで,今後とも,ご指導とご助言をよろしくお願いいたします.

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2013年4月 9日レポート

久利美和先生「地球深部探査船「ちきゅう」でさぐる巨大地震の不思議」

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会場の様子

 3月10日(日)、仙台市科学館にてアウトリーチ支援室の久利美和先生による講演会「地球深部探査船「ちきゅう」でさぐる巨大地震の不思議」が開催されました。
 この講演会は、仙台市科学館が展開する震災復興プロジェクト「るねっサイエンス事業」の一環として企画されました。
 久利先生は、2012年5月5日より12日までの間、「東北地方太平洋沖地震調査掘削」を行っていた地球深部探査船「ちきゅう」に乗船し、下船後、その体験をもとに高校への出前授業など様々な場所で「ちきゅう」についての講演を行ってきました。
 「ちきゅう」はどんな船なの?誰が乗っているの?どんなことをしているの?そんな素朴な疑問から、地震発生を解明するには何を調査しなければならないのか?といった具体的な研究活動まで、幅広いテーマで「ちきゅう」についてお話いただきました。
 今回は、会場が仙台市科学館ということもあり、分かりやすいようにと地層ねんど(小麦粉から作った久利先生の手作り!)や「ちきゅう」の模型を使った実験タイムが設けられ、楽しそうに実験する子供たちが多くみられました。

 


久利美和
IMG_1431.JPG筑波大学大学院地球科学研究科修了。博士(理学)。マントル対流や火山の研究、および質量分析計を用いた仕事に従事。2012年5月5日より12日まで、地球深部探査船「ちきゅう」による東北地方太平洋沖地震の断層掘削調査への同行取材を実施。(*2013年4月より東北大学災害科学国際研究所 講師)

*参考リンク*
仙台市科学館
地球深部探査船「ちきゅう」取材
「東北地方太平洋沖地震調査掘削」特別ページ


2013年4月 1日レポート

東北大学サイエンスカフェ 市川隆先生「南極で夢見る果ての宇宙」

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市川隆先生
(東北大学大学院理学研究科天文学専攻 教授)

 12月18日(金)、せんだいメディアテークのオープンスクエアにて東北大学サイエンスカフェ「南極で夢見る果ての宇宙」が開催されました。
 講師の市川隆先生は、南極に大型望遠鏡を設置するプロジェクトを勧めています。南極は、晴れの日が多く内陸部ではほぼ無風、地上から赤外線観測をする場所として最適な場所なんだそうです。現在は、研究室で開発した40センチメートル赤外線望遠鏡「AIRT40」を南極に運び運用試験を行っていますが、将来的には2.5メートル赤外線望遠鏡の設置を目指しています。2011年度には市川先生自身も第53次南極観測隊(夏隊)に参加し試験観測を行ってきました。講演中、現在、南極で試験観測を行っている研究室のメンバー 沖田博文さんと衛星電話でお話する場面も!ちなみに沖田さんは2010年度の夏隊につづき二度目の南極です。

*ちなみに沖田博文さん一度目の南極観測隊については以下の記事で紹介しています。
「天文学専攻の沖田博文さん、南極へ行く。」

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会場の様子

 また、宇宙地図の作製についてもお話くださいました。
 国立天文台では、天体や天体現象を空間3次元と時間1次元の4次元で可視化するために、4次元可視化実験システムを開発するプロジェクト「4次元デジタル宇宙プロジェクト(4D2Uプロジェクト)」を行っています。市川先生は、4次元デジタル宇宙ビューワー "Mitaka"(ミタカ)を使って、参加者と一緒に宇宙旅行をしながら、様々な星や銀河の解説をしてくださいました。この地図は、実際に観測で得られたデータをもとに作製されているため、観測が進めば進むほどより正確で大きな宇宙地図となっていきます。数十年後には宇宙全ての地図が完成している...かもしれません!
 市川先生は、かつて地の果てを目指す航海によって世界地図が作られ様々な自然と文化を知ったように、宇宙地図を作製することで宇宙の謎を解くことができるのではないかとお話してくださいました。

東北大学youtube公式チャンネルにて講演の動画が公開されています。

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準備中の会場 「南極の沖田くーん」うまくつながるかな?
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地球から10万光年離れると... グループセッションスタート!
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市川先生もテーブルにまざります! 講演後、参加者の質問に答える市川先生


ichikawa.jpg 市川 隆
静岡県長泉町出身。天文学が勉強したくて京都大学理学部に入学。同大学大学院で博士号を取得。一橋大学商学部助手、東京大学理学部助手、東北大学助教授を経て、2007年より現職。現在の専門は銀河進化。物作りが好きで、自分で装置を作って研究を行うのが研究室のモットー。すばる望遠鏡に搭載されている赤外線撮像分光装置(通称モアックス)を開発。世界で最も遠い宇宙での銀河の地図を描くことに成功した。

*参考リンク*
東北大学サイエンスカフェ
東北大学youtube公式チャンネル
東北大学大学院理学研究科天文学専攻
国立天文台4次元デジタル宇宙プロジェクト「4D2U」特設サイト
2013年3月28日レポート

東北大学大学院理学研究科 第6回 6専攻合同シンポジウム 「ヤングブレインズの連携による学際的研究の創発」

2月21日(木)、東北大学大学院理学研究科 第6回 6専攻合同シンポジウムが開催されました。「理学研究科では「ヤングブレインズ(若き頭脳集団:大学院生)の連携による学際的研究の創出・創生・創造・展開」を目標に、教育研究活動の一環として、異分野間の交流を図るため6専攻合同シンポジウムを2007年度から開催しております。


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2013年3月14日レポート

【受賞】第1回平間賞受賞者が決定

第1回平間賞に以下の3名が決定しました。「平間賞」は、「第一歩」の持つ重みと無限の可能性を識る平間正博名誉教授の篤志により設立されました。「卒業生は、受賞者とともに、副賞のベンゼンに託された思いを感じて欲しい。現代の物質科学のを支えているベンゼンの構造式は、ケクレの見た『夢』で始まったとも言う。未来のロールモデルたる卒業生たちが、これから見るであろう「夢」には、果てる事の無い可能性が秘められている。」という化学教室一同の思いが込められています。化学の3系から1名ずつ、計3名の学生が平間名誉教授から直接記念品を授与されました。なお、3名の受賞者は、今年度の文科省「サイエンスインカレ」で発表もしました。
■有機化学第二研究室 岡田 滉太 「自然免疫活性化剤を標的とした環状二量化核酸の開発」
■量子化学研究室 遠藤 寛也 「ジエチルエーテル正イオンの赤外分光:イオン化による CH 結合の酸性度の増大」
■機能分子化学研究室 廣川 翔麻 「アザポルフィリノイドの合成と物性」



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「平間賞」は東北大学理学部化学科を卒業する4年生が、卒業研究を終えることで「第一歩」を標し、自らの研究人生の基盤を形作り始めたことを記念するために設けた賞である。「第一歩」のなかから甲乙をつけるのは難しい。だから、惜しくも受賞を逃したとしても、卒業生全員が、自分の卒業研究を通じて勝ち取った「基盤」を称え、これから先の成長を期して欲しい。それが平間正博名誉教授の願いである。
 科学も人間の営みで有り、人類が大切に継承し続けてている文化としての一面があることも忘れないで欲しい。人間が成長を遂げ文化を継承相手行こうとするとき、「お手本」となるロールモデルの存在が、その手助けをしてくれる。だからこそ科学の発展に欠かせない「基盤」には「知識」のみではなく、「人物」や、それにまつわる「伝説」も含まれるのある。

2013年2月22日レポート

【レポート】地震・噴火予知研究観測センター100周年記念講演会の模様

 2012年11月17日(土)、トラストシティカンファレンス・仙台にて東北大学大学院理学研究科地震・噴火予知研究観測センター100周年記念講演会が開催されました。

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金森博雄先生

 カリフォルニア工科大学名誉教授の金森博雄先生をお招きし、「地震学の百年と防災への寄与」というテーマでご講演いただきました。金森先生は、地震・噴火予知研究観測センターの客員教授を務められており、お忙しい中、毎年仙台でセミナーを開催してくださっています。
 1979年、金森先生は地震の規模を示す指標であるモーメントマグニチュード(Mw)を考案され、これにより、巨大地震のエネルギーを物理的に計算することができるようになりました。東北地方太平洋沖地震のマグニチュード9.0も、モーメントマグニチュードによって求められたものです。また、早くから地震警報システムの普及などの防災・減災の活動にも取り組まれています。
 金森先生は、地震学のこれまでの歩み、そして研究を防災にどう活用すべきかについてお話してくださいました。先生が最後に、これからの地震学には相当強いリーダーシップが必要であること、また、リーダーシップを持ち、きちんと物事を考えられる若い研究者の育成が大切とお話されていたことが、とても印象的でした。

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会場の様子

*参考リンク*
東北大学大学院理学研究科地震・噴火予知研究観測センター


※モーメントマグニチュードとは
断層面の面積やすべり(モーメント)によってマグニチュードを定義したもの。従来の実体波マグニチュードは、8より大きい場合、規模が大きく違うはずの地震でも同じマグニチュードになってしまうことが欠点でした。これは、巨大地震ではエネルギーのほとんどが長周期の波によって伝播しますが、短周期の波を使った実体波マグニチュードではエネルギーを正確に反映できないためです。
2012年12月20日レポート

サイエンスカフェ・スペシャル「ヒッグス粒子とお茶の夕べ」

11月22日(木)、WPI-AIMR本館 5F交流スペースにて、物理学専攻 素粒子実験グループ 山本均先生のサイエンスカフェ・スペシャル「ヒッグス粒子とお茶の夕べ」が開催されました。山本先生とスタッフが点てたお薄をいただきながら、ヒッグス粒子の講演を聴くという初めての試みでした。会場がWPI-AIMR本館で外国の研究者が大勢いること、素粒子実験グループが、以前「宇宙」をテーマにお茶席を設けたことがある、などの理由からこういうスタイルになりました。「Higgs場が宇宙をビッシリと満たしている状態が宇宙の真空」とはまさに「色即是空、空即是色」で、まさにHiggsの概念ということらしいです。掛け軸「無」も、その趣向で選ばれたもの。
7月4日、CERNがヒッグス粒子とみられる新素粒子を発見したと発表してから「ヒッグス粒子」は大きな関心を集めましたが、そもそも素粒子とはどんなものなのか?どのようにして誕生したのか?という話から、もしかして北上山地にできるかもしれない国際リニアコライダー(ILC)についてお話ししていただきました。また、表千家 講師である山本先生のお手前を拝見できるという貴重な機会でした。今回の開催に当たっては表千家の方々に多大なご協力いただきました。最先端科学と日本の伝統の融合を楽しんでいただけたのではないでしょうか?


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