概要
東北大学大学院理学研究科の富安啓輔助教、同大学金属材料研究所の佐藤豊人助教、同大学原子分子材料科学高等研究機構(AIMR)の折茂慎一教授の共同研究チームは、ラーモア反磁性
注1)という物質の一般的な磁気応答特性が、構成元素の化学的性質である電気陰性度
注2)と一定の関係性を持つことを突き止めました。この関係性は、物性機能の起源となる化学結合の状態を、素早く簡便に評価する指標を与えるもので、結合の状態の評価が特に難しい水素化物においても成り立つことが示されました。今後、未来の水素社会の構成要素である燃料電池、充電池、水素センサーなどについて、物質開発の時間やコストの圧縮に貢献すると期待されます。本成果は、先日、平成27年4月24日(英国時間)、英国王立化学会のChemical Communications誌に公開されました。
研究背景
物性機能は、物質を形作る化学結合により支配されています。例えば、材料の強度や弾性は結合の柔軟性、記録材料に使われる強誘電性は結合による電子雲の偏りと直結します。そのため、化学結合状態の理解は、第一原理計算、光電子分光、X線・中性子散乱等の大規模先進技術を取り込みながら、近現代物質科学における中心課題の一つを占めてきました。
しかしながら、今なお、化学結合状態の実験的評価が困難なケースは少なくありません。例えば水素の状態です。これは、水素の電子数が全元素で最も少なく、その電子からの信号がとても弱いことに起因します。仮に可能でも、通常、高度で手間隙とコストのかかる実験準備や大型放射光・中性子施設等での実験を必要とします。
研究内容
そこで、共同研究チームは、水素電子からの信号が増強され、且つ、研究室ベースで実験できる簡便な評価手法はないだろうかと考えました。もしこのような手法があれば、研究室ベースでの多数の試行錯誤を伴う物質開発設計から大規模先進技術の選択的活用による機構解明までの一連の研究プロセスを、大きく効率化できる可能性があります。この状況は、医療において、まず簡易検査を行い、その結果を踏まえ、コストや高度技術を要する手段に入るというプロセスに似るものと言えるでしょう。
注目したのは、ラーモア反磁性と呼ばれる磁気応答特性(磁化率)です。1970年代から、個々の物質の結合軌道状態とラーモア反磁性磁化率が、量子力学的に正確に計算され始め、両者の密接な関係が保証されていました。この関係は、結合が電子の軌道運動を制限することにより、ラーモア電流の発生も制約を受けることに由来します(
図1)。また、ラーモア反磁性磁化率は電子軌道半径の2乗に比例するのですが、水素H
-イオンの半径は意外にも酸素O
2-イオンや金属陽イオンと同程度に大きく、水素電子のラーモア反磁性磁化率は増強されます。さらに、磁化率測定には、実験のセットアップが比較的容易であり、固体・液体・気体の三相全てに適用でき、試料表面の劣化に鈍感である等の利点があります。そこで、今回、ラーモア反磁性磁化率と化学結合状態の間に、詳細な計算を必要としないシンプルな関係規則が隠れていないか、探索を行いました。
研究成果
その結果、
図2に示すように、実測のラーモア反磁性磁化率(実験値)と理想的な孤立イオン状態に対するラーモア反磁性磁化率の和(理論値)のずれが、電気陰性度の差と一定の関係性を持つことを発見しました。化学結合は、共有結合とイオン結合に分類されますが、実際には、両者の中間状態をとりえます。電気陰性度の差は、おおよそ共有結合成分の割合に対応することが知られ、これが化学結合の状態を予測する第一歩となります。今回の電気陰性度--ラーモア反磁性磁化率のプロットは、この共有結合とイオン結合の中間状態を実験的に評価する指標を与えるものです。
さらに、共同研究チームは、本指標を、水素貯蔵材料
注3)などへの応用が期待される水素を高密度に含む水素化物に適用しました。その結果、これまで共有結合かイオン結合かで論争されていたアルミニウム水素化物AlH
3内のAl--H結合が、共有結合とイオン結合の中間にあり、極性共有結合に分類されるだろうということを、実験的に示唆することに成功しました。
今後の展開
今後、本成果は、水素化物を含む物質の開発設計を迅速化し、未来の水素社会の実現に貢献すると期待されます。また、反磁性磁化率や関係する量を積極的に用いる評価手法の発展を促すと期待されます。
本研究成果は、文部科学省科学研究費補助金・若手研究(B)(22740209, 26800174)(研究代表者:富安啓輔)、若手研究(B)(26820313)(研究代表者:佐藤豊人)、基盤研究(S)(25220911)(研究代表者:折茂慎一)の援助を受けて得られたものです。
参考図
図1:ラーモア反磁性の模式図。孤立イオン状態(左)と比較し、結合状態(右)では電子軌道が制限され、ラーモア電流の発生の仕方も制約を受ける。
図2:電気陰性度の差 (Δχ
EN) とラーモア反磁性磁化率の実験値と理論値のずれ率 (α) のプロット。約90個の無機物質を用い、緑の領域で描かれるΔχ
EN¯α間の関係が得られた。中心線は α
c = 0.66
exp(0.53・Δχ
EN) と書ける
補足1)。
用語の解説
注1) ラーモア反磁性
物質に磁石を近づけると、物質内の電子はローレンツ力により軌道を曲げられ、円運動を始める(ラーモア運動)。円運動はコイル電流と等価であるので、物質は電磁石となる。この電磁石は、レンツの法則により、近づけた磁石と反発する向きを持つ(反磁性)。このように、ラーモア運動により磁石と反発する性質をラーモア反磁性と呼ぶ。
注2) 電気陰性度
原子や基が電子を引き寄せる強さの相対的な尺度。化学結合している原子や基の電子は、電気陰性度の大きい側に偏る。ライナス・ポーリングにより提案された。
注3) 水素貯蔵材料
燃料電池や充電池などに使用される水素を、気体ではなく、固体の状態で貯蔵する材料。水素を金属格子の隙間に貯蔵する材料や水素を他の元素と化学結合させて水素化物として貯蔵する材料などが国内外で盛んに研究されている。
補足 1)
現段階では、得られた関係プロットは幾分ばらついている。一つには、ラーモア反磁性磁化率がこれまであまり活用されず、理論値も実験値も古いデータのまま更新されて来なかった系があるためであろう。今後、本プロットは、現代の精度良い理論計算と実験測定により格段に収束すると考えられる。
問い合わせ先
東北大学大学院理学研究科 物理学専攻 物質構造物理研究室
助教 富安 啓輔
電子メール tomiyasu[at]m.tohoku.ac.jp
([at]を@に置き換えてください)
左から2人目 佐藤豊人先生、3人目 富安啓輔先生
Posted on:2015年7月 3日