ポイント
原子核のもつ基本的な対称性である「荷電対称性」が、原子核に「奇妙な粒子」と呼ばれるラムダ粒子を加えることで大きく崩れることを世界で初めて発見
概要
東北大学・高エネルギー加速器研究機構(KEK)・日本原子力研究開発機構(JAEA)を中心とする国際グループは、大強度陽子加速器施設J-PARCのハドロン実験施設で行った実験で、原子核のもつ基本的な対称性である「荷電対称性」
注1が、原子核に「奇妙な粒子」と呼ばれるラムダ粒子
注2を加えることで大きく崩れることを発見しました。
原子核の陽子の数と中性子の数が入れ替わった原子核(鏡像核と呼ばれる)は、質量や構造がもとの原子核と同じになる「荷電対称性」という性質があります。図1(左)のように、3重水素原子核
3H(陽子1個、中性子2個からなる)と、ヘリウム3原子核
3He(陽子2個、中性子1個からなる)とは互いに鏡像核となっており、ヘリウム3原子核でのみ寄与する陽子同士の電気的反発力の効果を除くと、質量がほぼ等しく同じ構造をもっています。しかし、図1(左)のように、それぞれの原子核にラムダ粒子を1個加えたヘリウム4ハイパー核
4ΛHe
注2と水素4ハイパー核
4ΛHでは、質量が大きく異なってしまうという不思議な現象が発見されました。この発見は、ラムダ粒子と陽子や中性子の間にはたらく力の解明にせまる重要な成果です。
この結果は、専門誌Physical Review Letters 115巻 222501頁(11月24日出版)に掲載されました。また、同誌のEditors' Suggestion(注目論文)にも選ばれました。
論文については、
http://journals.aps.org/prl/ および
http://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.115.222501
をご覧ください。
研究の背景
陽子や中性子は、核力とよばれる引力で互いに結びついて原子核を形成しますが、核力の性質には謎が多く、そのためなぜ原子核が存在できるのかという重要な問いに私たちは完全には答えることができません。陽子・中性子に似た別粒子(ラムダ粒子など)を作り、その粒子と陽子や中性子の間ではたらく力が核力とどう異なるのかを調べることで、核力の謎が解明できるのではないかと期待されています。そこで、陽子と中性子でできた通常の原子核の中に、ラムダ粒子などの異粒子を入れた"ハイパー核"を人工的に作ってこれらの粒子の間の力を調べる研究が、J-PARCハドロン実験施設
注3を中心に世界の加速器施設で進められています。
原子核の荷電対称性は、陽子と中性子とが(電荷の有無を除くと)ほとんど同じ性質を持つこと、そしてそれによって陽子・陽子の間の力と、中性子・中性子の間の力がほとんど同じになることから生じます。同様に、ラムダ粒子・陽子の間の力と、ラムダ粒子・中性子の間の力にも、ほとんど差はなく、ラムダ粒子の入ったハイパー核でも荷電対称性は良く成り立っていると予想されてきました。ハイパー核でこの荷電対称性がどの程度正確に成り立っているのかを通して、ラムダ粒子と陽子や中性子の間の力を詳しく知ることができます。
研究の内容と成果
東北大学・KEK・JAEAなどからなる国際共同実験E13グループ(実験責任者:東北大学 田村裕和、14機関、54名)は、J-PARCハドロン実験施設において、ヘリウム4ハイパー核
4ΛHeの放出するガンマ線をはじめて精密に測定し、
4ΛHeの基底状態(核全体のスピン0)と励起状態(核全体のスピン1)の質量差が1.406 MeV/c
2であることを見いだしました。これは、過去の実験で分かっている水素4ハイパー核
4ΛHの励起状態と基底状態の質量差1.09 MeV/c
2と大きく異なるため、ラムダ粒子が原子核の荷電対称性を崩していることが判明しました。さらに、別の過去のデータと組み合わせると、図1(右)に示したように、基底状態では大きな質量差があるのに対し、励起状態では両者の質量差がほとんどないことがわかりました。これは、荷電対称性の破れが、図1(右)に黄色の矢印で示すような粒子のスピンの向きに依存していることを示しています。ラムダ粒子が荷電対称性を大きく壊す働きをしている理由はまだわかっていませんが、この働きがスピンの向きに依存することは、この謎を解く手がかりになると思われます。
実験では、ヘリウム標的にハドロン施設で作られたK−中間子のビームを照射して、ヘリウム4ハイパー核
4ΛHeを作り、その際にハイパー核の内部から放出されるガンマ線のエネルギーを精密に測定したところ、図2のスペクトルが得られ、1.406 MeVのエネルギーをもつガンマ線が観測されました。このガンマ線測定は、多数の特殊なゲルマニウム検出器等からなるHyperball-Jとよばれるハイパー核専用の大型ガンマ線測定装置(図3)で行いました。なお、この装置は、J-PARCのような大強度ビームの環境下でもガンマ線を精密に測るために科学研究費補助金によって東北大学が開発・製作したもので、世界最高レベルのガンマ線測定性能を誇っています。
今回の結果は、2015年4月下旬の利用運転で行われた実験によって明らかになりました。
今後の展望
今回の実験では、ハイパー核の大きな荷電対称性の破れを発見しました。しかしその対称性の破れの原因は、現在のところ説明することができません。今後研究が進み、ラムダ粒子と陽子・中性子の間の力を正しく理解できるようになれば、その原因がわかると期待されます。
こうした原子核の荷電対称性は、陽子や中性子の構成要素であるアップクォーク(u)とダウンクォーク(d)の性質がほとんど同じであることから生じています。今回の結果は、ごくわずかなuとdの違いが、別のクォークであるストレンジクォーク(s)をもつラムダ粒子によって、大きく増幅されることを示していると考えられます。そのため、この発見は、ラムダ粒子と陽子・中性子の間の力の特異な性質を示しているだけでなく、陽子・中性子・ラムダ粒子などのハドロン(数個のクォークが結びついてできた粒子)が、クォークからどのように作られているのか、さらにこれらのハドロンの間にはたらく力がクォークに基づく考え方によってどう理解できるのか、という基本的な問題に答えるためのヒントにもなります。
また、中性子星の内部では、高密度に圧縮された中性子だけでできた物質の中にラムダ粒子などの奇妙な粒子が混ざって存在すると推測されていますが、今回の結果は中性子星の内部の理解にも影響を与える可能性があります。
用語の説明
注1:荷電対称性
原子核の陽子の数と中性子の数が入れ替わったような原子核を、もとの原子核の「鏡像核」とよびます。互いに鏡像核になっている2つの原子核の性質は、陽子にだけ働く電気的反発力の効果を除くと、ほぼ一致することが知られています。たとえば、互いに鏡像核であるヘリウム3原子核(陽子2個、中性子1個からなる)と、3重水素原子核(陽子1個、中性子2個からなる)とは、質量が等しく、同じ構造をもっています。これは陽子・陽子間の核力と、中性子・中性子間の核力が同じであることから生じます。原子核のもつこのような対称性を荷電対称性と呼びます。陽子や中性子の構成要素であるアップクォーク(u)とダウンクォーク(d)は、電荷の違い以外にはほぼ同じ性質をもっていますが、それが荷電対称性の起源となっています。
注2:ラムダ粒子とハイパー核
素粒子クォークは6種類ありますが、物質を形づくるもととなっている陽子と中性子は、最も軽いアップクォーク(u)とダウンクォーク(d)の組み合わせでできており、陽子は2個のアップクォークと1個のダウンクォーク(uud)、中性子は1個のアップクォークと2個のダウンクォーク(udd)からなります。クォーク3つからなる陽子・中性子の仲間の粒子(バリオンとよぶ)は他にもたくさん存在することが分かっています。その一つがラムダ粒子で、3番目に軽いストレンジクォーク(s)、アップクォーク、ダウンクォークそれぞれ1個(uds)からなるバリオンで、中性子と同様に電荷を持ちません。なお、ラムダ粒子のようにストレンジクォークを含む粒子は、ストレンジ粒子(直訳すれば「奇妙な粒子」)と呼ばれています。
ラムダ粒子は加速器で作ることができますが、すぐに崩壊してしまうので、地球上にある通常の物質中には存在しません。しかし、加速器でラムダ粒子をつくって原子核にいれると、陽子・中性子とともに原子核の構成要素となることがわかっており、このようなラムダ粒子をふくむ原子核をハイパー核とよびます。J-PARCハドロン実験施設は、ハイパー核の研究に適した世界でも数少ない施設の一つで、国内外の研究者によって盛んに実験研究が進められています。
注3:J-PARCハドロン実験施設
茨城県東海村にあるJ-PARCは、世界最高強度の陽子ビームで生成する多彩な2次粒子を用いて、さまざまな素粒子・原子核研究や物質科学・生命科学に利用されています。その中にあるハドロン実験施設では、30ギガ電子ボルトの陽子ビームを金の標的に当ててK中間子やπ中間子などの「ハドロンビーム」を作り、これを用いて原子核や素粒子の研究が行われています。本実験が行われたK1.8ビームラインには、ビームと標的から放出される粒子のエネルギーを測定する世界最高性能の磁気スペクトロメータが備えられており、今回の研究では、作られたヘリウム4ハイパー核をこれらの装置によって選び出しました。
参考図
図1:左図のように、
3H(三重水素)と
3He(ヘリウム3)は互いに鏡像核の関係にあり、質量や性質がほとんど同じです。しかし、そのそれぞれにラムダ粒子をいれた水素4ハイパー核
4ΛHとヘリウム4ハイパー核
4ΛHe では、右図のように、基底状態と励起状態の質量差が大きく異なっていることが今回分かりました。さらに他のデータと合わせることで、励起状態(スピン1)では
4ΛHと
4ΛHeの質量差がほとんどないのに対し、基底状態(スピン0)では質量差が大きいことが分かりました。
図2:測定されたガンマ線のエネルギースペクトル。(a)は、ハイパー核を生成しなかったときのスペクトル、(b)は、ヘリウム4ハイパー核(
4ΛHe)を生成したときのスペクトルです。前者には、ビームが周囲の物質や検出器に当った際に発生するいくつかの既知のガンマ線のピークが見えます。一方、後者には、ヘリウム4ハイパー核からのガンマ線がはっきりと見えます。
図3:左は、28台の特殊なゲルマニウム検出器からなるガンマ線検出器Hyperball-Jの写真です。Hyperball-Jは、ハイパー核から放出されるガンマ線が測れる世界唯一の装置です。右上はHyperball-Jの上部の写真で、丸く見えるのがゲルマニウム検出器です。右下は、J-PARCハドロン実験施設K1.8ビームライン実験室の実験装置の前に集合した実験グループの写真です。Hyperball-Jは写真中央の奥に置かれています。
お問い合わせ先
<研究に関すること>
東北大学大学院理学研究科
教授 田村 裕和(たむら ひろかず)
電話:022-795-6454
E-mail:tamura[at]lambda.phys.tohoku.ac.jp
大学共同利用機関法人
高エネルギー加速器研究機構
素粒子原子核研究所
准教授 高橋 俊行(たかはし としゆき)
電話:029-286-4547
E-mail:toshiyuki.takahashi[at]kek.jp
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
原子力科学研究部門
先端基礎研究センター
研究主幹 佐甲 博之(さこう ひろゆき)
E-mail : sako.hiroyuki[at]jaea.go.jp
<報道に関すること>
東北大学大学院理学研究科
特任助教 高橋 亮(たかはし りょう)
電話:022−795−5572
E-mail:r.takahashi[at]m.tohoku.ac.jp
大学共同利用機関法人
高エネルギー加速器研究機構
広報室長 岡田 小枝子(おかだ さえこ)
電話:029-879-6046
E-mail:press[at]kek.jp
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
広報部報道課長 中野 裕範
電話:03-3592-2346
E-mail:nakano.hironori[at]jaea.go.jp
J-PARCセンター広報セクション
照沼 秀文(てるぬま ひでふみ)
福田 浩(ふくだ ひろし)
電話:029-284-4578
E-mail:pr-section[at]j-parc.jp
*[at]を@に置き換えてください
Posted on:2015年11月25日