アデノシン三リン酸(ATP)は、私たちの生命活動に必要不可欠なエネルギーの担い手です。細胞内では、ATPがアデノシン二リン酸(ADP)と無機リン酸(Pi)に加水分解されるときに放出されるエネルギーが使われますが、この度、東北大学大学院理学研究科高橋英明准教授らの研究グループが、そのATPエネルギーの詳細な分子メカニズムを明らかにしました。
本成果は、大阪大学松林伸幸教授と共同開発した手法を用い、新学術領域「水和とATP」(領域代表鈴木誠教授・東北大学大学院工学研究科)の主要な成果として国際科学誌(J. Phys. Chem. B)にこのたび発表しました。
図:水中におかれたATP4- に対する量子力学/古典力学ハイブリッドシミュレーションのスナップショット。ここでATP溶質は量子化学的に計算され、それをとりまく水分子は古典的な力場による水分子モデルを使用した。青/黄の透明な当値面は、それぞれ水中での平均的電子密度から3.0x10-4 au 時々刻々増減していることを示している。このように、溶質イオンの周りの水分子集団の動きに伴う、ATP の電子状態のゆらぎが正確にシミュレーションで再現される。
これまでATPエネルギーの物理的理解のために多くの研究がなされてきました。1960年代まではATPエネルギーはATPイオン自体の分子構造に内在するものとされ、その高エネルギー性を量子力学計算により説明する試みがなされましたが、実験値を定量的に説明することはできませんでした。1990年代に入り、水の影響を連続体として取り入れた量子力学計算がなされたものの、水に溶けた溶質(反応物質イオンと生成物質イオン)のそれぞれの水和自由エネルギーの評価において、溶質周りの水分子集団が溶質の電子状態へ及ぼす影響を計算することも、水和自由エネルギーを精密に求めることも計算量の膨大さから困難な課題でありました。
このたび、東北大学大学院理学研究科の高橋英明准教授が中核となり、多数のCPUを並列に繋いで計算するシステムを独自に開発することによって、ATPやADPについて高速の量子力学シミュレーションを可能とし、さらに大阪大学基礎工学研究科の松林伸幸教授が開発した高精度高速の水和自由エネルギー計算手法を融合することで、遂に水中におけるATP加水分解反応のエネルギーを高い精度で計算することに成功しました。
計算によると、ATPの解離に伴う電子エネルギーの大きな低下と溶質の水和自由エネルギーの大きな上昇が、水という媒体の中で相互に精妙にキャンセルすることが分かりました。その結果として、加水分解自由エネルギーがATPのイオン価数によらずほぼ一定の値になることの微視的メカニズムが初めて明らかにされました。このことは、生物学の教科書に記載されているATPエネルギー放出についての多くの記述を書き換えるものです。
題目: Drastic Compensation of Electronic and Solvation Effects on ATP Hydrolysis Revealed through Large-Scale QM/MM Simulations Combined with a Theory of Solutions
著者: Hideaki Takahashi, Satoru Umino, Yuji Miki, Ryosuke Ishizuka, Shu Maeda, Akihiro Morita, Makoto Suzuki, and Nobuyuki Matubayasi
Journal: Journal of Physical Chemistry B
DOI: 10.1021/acs.jpcb.7b00637
<研究について>
東北大学大学院工学研究科材料システム工学専攻
教授 鈴木 誠(すずき まこと)
電話:022-795-7303
E-mail:makoto.suzuki.c5[at]tohoku.ac.jp
東北大学大学院理学研究科化学専攻
准教授 高橋 英明(たかはし ひであき)
電話:022-795-7722
E-mail:hideaki[at]m.tohoku.ac.jp
<報道について>
東北大学大学院理学研究科
特任助教 高橋 亮(たかはし りょう)
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