東北大学 大学院理学研究科・理学部

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コバルト酸化物でスピンの量子重ね合わせ状態を創出 〜量子演算素子の基礎となる励起子絶縁状態の実現へ〜

発表のポイント

● コバルト酸化物の組成制御により新しいタイプの半導体を発見。

● 絶縁状態と磁気膨張の起源を、スピン状態の量子重ね合わせ機構により説明することに成功。

● この物質系を原型とした、電気を流さない省エネ型量子コンピュータの基本素子となりうる励起子絶縁状態の実現に期待。

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図1.スピン状態制御の設計図。左側と右側の模式図は、陰イオンが八面体配位したCo3+やFe2+に発現する低スピンと高スピン状態を示す。6つのd電子が、三重縮退したt2g軌道と二重縮退したeg軌道を異なる配置で占有している。中心の領域は、異なるスピン状態の量子重ね合わせなどの特異な状態を表す。LaCoO3へのSc置換は、橙色の矢印のように、その制御パラメターとして働く。



概要


東北大学大学院理学研究科の富安啓輔助教、東京理科大学理工学部の岡崎竜二准教授、茨城大学フロンティア応用原子科学研究センターの岩佐和晃教授、東北大学金属材料研究所の野島勉准教授、高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所の神山崇教授、石川喜久研究員(現:総合科学研究機構)、日本原子力研究開発機構J-PARCセンターの河村聖子研究副主幹らの共同研究チームは、低温で磁石としての性質を示さないことで知られるコバルト酸化物LaCoO3のCoをScで化学置換した新たな物質LaCo1-yScyO3において、元のLaCoO3とは磁気・電気・熱的性質の全く異なる絶縁状態が現れることを発見しました。また、X線回折・中性子分光実験の結果、この絶縁状態が、電子スピン(注1)の総和が異なる2種類の原子状態(低スピンと高スピン)の量子力学的な重ね合わせにより現れるという、これまでに例のない発現機構を突き止めました。この成果は、励起子絶縁(注2)と呼ばれる歴史的に観測例の少ない量子力学的な凝縮状態の糸口をつかんだものとして、その実現だけでなく、将来的な新規量子コンピュータ素子への発展が期待されます。本研究の成果は、平成30年10月7日(中央ヨーロッパ時間)、ドイツの国際科学論文誌Advanced Quantum Technologiesに掲載され、実験データが表紙を飾りました。

□ 東北大学ウェブサイト



研究背景


エネルギーの近い2つの量子状態間の移り変わりは、量子力学の代表的な研究テーマであり、量子コンピュータに使われる量子演算素子の基本動作原理にもなる現象です。一方、異なる電子スピン状態(原子内部で電子スピンの組み合わせが異なる状態)間の変化はスピン転移と呼ばれ、自然科学の幅広い分野に現れます。例えば、スピンクロスオーバー錯体(注3)として知られる化合物群が光で磁石化される現象や、生体におけるヘムタンパク質が持つ酸素活性の起源としても知られています。また、地球のマントルが示す地震波応答との関連も指摘されています。このスピン転移は、物質を構成する各原子内で電子スピンが反平行に相殺する「低スピン」と平行に偏る「高スピン」状態の間の変化として知られてきましたが、両者のエネルギーが近い場合(臨界)では、従来観測されてきたどちらか一方の状態ではなく、両者の量子力学的な重ね合わせという非従来型のスピン状態になることが理論的に指摘されていました(図1)。この非従来型のスピン状態が隣接サイトと繋がり、物質全体に調和するよう広がれれば、励起子絶縁という新しいタイプの量子状態が出現します。励起子絶縁は電気を流さない絶縁状態でありながら、安定した巨視的量子凝縮状態を物質中に保つため、将来の省エネ型量子演算素子の候補として期待されます。

しかしながら、これまで励起子絶縁につながる非従来型のスピン状態は物質中において実現していなかったため、その特性も応用へ向けたポテンシャルも謎のままでした。最近では、低スピンが最安定だが高スピンを取ることもできる可変性物質として知られるペロブスカイト型コバルト酸化物LaCoO3を用い、100 テスラ近くの超強磁場印加や薄膜化(格子変形)を行うことで、両スピン状態のエネルギーを近づけ、量子重ね合わせを実現する手法が検討されてきましたが、特殊な実験環境の必要性やスピン状態以外の因子の混入という複雑さにより、いずれも研究の進展が阻まれてきました。



研究内容


そこで、共同研究チームは、別のアプローチとして、LaCo1-yScyO3という新たな化学置換物質を合成しました。狙いは、低スピン物質のLaCoO3から出発し、Coを電気陰性度(原子が電子を引き寄せる強さの尺度)の小さいScで置換することによりCo-O間の共有結合を増強し、その結果としてバンド幅を広げることで高スピンとの量子混成を実現することです。この考えは、これまで主流であったCo-O間距離(Coのイオン半径)を広げ、共有結合性を弱める代わりに、高スピンを実現するという物質設計手法とは全く異なるものです。本研究では、様々なSc置換量をもつLaCo1-yScyO3を新たに合成し、その電子・スピン状態を磁化・電気抵抗・熱膨張・磁気膨張・X線回折・中性子分光という様々な実験手法の複合により調べました。中性子分光実験は大強度陽子加速器施設(J-PARC)(注4)物質・生命科学実験施設(MLF)の冷中性子ディスクチョッパー型分光器「アマテラス」(注5)(BL14)で行いました。

その結果、Sc置換と共に、Co-O間距離の収縮(共有結合性の増強)、2状態のエネルギーの接近、電気絶縁性・磁化率・磁気膨張率の増大が有意に発現することを観測しました(図2)。また、解析の結果、この新状態の全ての特性が、非局在的な低スピンと高スピンの量子重ね合わせモデルと一致しました。一方、従来の低・高スピンの古典的な混合モデルでは、磁化と磁気膨張率の比など、全特性を同時に説明できませんでした。こうして、スピンの励起子絶縁もしくは極めて近い量子状態にあるコバルト酸化物LaCo1-yScyO3を創出することに成功しました。



今後の展望


今回の成果により、物質材料科学において手頃な元素置換法や常圧・無磁場という環境のみで、電子スピン状態の量子重ね合わせの創出を可能にするという突破口が拓かれました。この量子重ね合わせは、実現例のなかったスピン型の励起子絶縁状態である可能性が高く、その特性評価や機構解明の基礎研究が実験・理論共に一挙に進むと期待されます。また、応用面からは、励起子絶縁状態は電気を流さない省エネ型量子コンピュータのベースになると期待され、加えて、スピン状態の可変性は安価で豊富な鉄元素にも発現する特性であるため、その新たな応用研究の加速が期待されます。



論文情報


雑誌名: Advanced Quantum Technologies
論文タイトル:Quantum paramagnet near spin-state transition
著者:K. Tomiyasu, N. Ito, R. Okazaki, Y. Takahashi, M. Onodera, K. Iwasa, T. Nojima, T. Aoyama, K. Ohgushi, Y. Ishikawa, T. Kamiyama, S. Ohira-Kawamura, M. Kofu, and S. Ishihara
DOI番号:10.1002/qute.201800057
※この研究成果は表紙にも取り上げられました。
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/qute.201870035



参考図


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図2.各温度と化学組成に対する磁気膨張率(磁場で物質が膨らむ割合)の分布図。本研究で開発したLaCo1-yScyO3は、Sc(スカンジウム)とCo(コバルト)の比率の増大と共にCo-O(酸素)間距離が縮み(右上の模式図)、それが低温磁場中では膨張するという新規な特性を獲得する(図中赤の領域)。この特性は、低スピン状態20181214_210.pngと高スピン状態20181214_220.pngの量子力学的な重ね合わせでのみ説明が可能であり、LaCo1-yScyO3がこれまで具体例のほとんどない励起子絶縁もしくはそれに極めて近い状態にあることが示された。白丸・白三角・黒四角は測定の温度とSc置換量の位置、かけた磁場は7テスラ(実験室で標準的な大きさ)である。灰色の曲線はスピン状態の領域の境界を表す。



用語説明と補足


(注1)電子スピン
電子は電気を帯びるだけでなく、電気の雲が自転することで電磁石にもなっています。この自転や磁石としての性質をスピンと呼びます。日常や産業の様々な場面で用いられる磁石の性質は、電子スピンが同方向に整列することによって生み出されています。

(注2)励起子絶縁
超伝導(電気抵抗ゼロ)状態は、二つの電子が対となって作られます。同様に、電子と正孔(電子が抜けて生まれる正電荷を持つ穴)が対になると、理論上、励起子絶縁と呼ばれる状態が出現しえます。この状態は、励起子の総電荷がゼロなので電気的絶縁体であり、抵抗ゼロの励起子超流動やその他の重要な量子効果を示す可能性があります。

(注3)スピンクロスオーバー錯体
外部刺激によりスピン転移を起こす化合物の総称。その多くは、中心の金属原子を非金属原子が取り囲む(配位結合する)分子構造を取っています。

(注4)大強度陽子加速器施設(J-PARC)
高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構が茨城県東海村で共同運営している先端大型研究施設です。素粒子物理学、原子核物理学、物性物理学、化学、材料科学、生物学などの学術的な研究から産業分野への応用研究まで、広範囲の分野での世界最先端の研究が行われており、世界中から研究者が集まっています。J-PARC内の物質・生命科学実験施設(MLF)では、世界最高クラスの中性子およびミュオンビームを用いた研究が行われています。

(注5)冷中性子ディスクチョッパー分光器「アマテラス」
J-PARC MLFのパルス中性子源BL14ポートに設置された中性子非弾性散乱分光器。新開発の機器や新しい測定手法を組み合わせて、高精度、低バックグラウンドで微小な非弾性シグナルも測定できます。

助成


本研究は、日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤(C) の研究課題「コバルト酸化物におけるスピン軌道量子臨界点のマルチプローブ研究」(課題番号:JP18K03503)、基盤(S) (JP17H06137)、基盤(B) (JP15H03692)、基盤(B) (JP17H02916)、および、東北大学学際フロンティア研究所領域創成プログラムの支援を受けて行われました。



問い合わせ先


<研究に関すること>
東北大学大学院理学研究科物理学専攻
助教 富安 啓輔(とみやす けいすけ)
電話:022-795-6487
E-mail:tomiyasu[at]tohoku.ac.jp

<報道に関すること>
東北大学大学院 理学研究科
特任助教 高橋 亮(たかはし りょう)
電話:022-795-5572、022-795-6708
E-mail:sci-pr[at]mail.sci.tohoku.ac.jp
*[at]を@に置き換えてください



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