東北大学 大学院理学研究科・理学部

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スピンのねじれが起こす電子の変位を発見 ~マルチプローブが明らかにするマルチフェロイックの微視的発現機構~

発表のポイント

● マルチフェロイック物質(※1)の代表例であるマンガン酸化物YMn2O5において、2つの量子ビーム(放射光X線とミュオン)を用い、マンガンイオンのスピンが らせん配列することによって引き起こされる酸素イオンのスピン偏極(※2)を観測することに成功

● マルチフェロイック物質の強誘電性の発現に電子変位が寄与していることを発見

● 物質中のミクロな現象を調べるためには、異なる種類の量子ビーム(マルチプローブ)の協奏的利用が極めて有効

□ 東北大学ウェブサイト



概要

東北大学 多元物質科学研究所の大学院生 石井祐太氏(研究当時。高エネルギー加速器研究機構(KEK)博士研究員を経て現在は東北大学大学院理学研究科 助教)、木村宏之教授、KEK物質構造科学研究所の佐賀山基准教授、中尾裕則准教授、岡部博孝特別助教(研究当時)、幸田章宏准教授、および門野良典教授らの研究グループは、スピンの配列と強誘電性が強く結びつくマルチフェロイック物質YMn2O5において、強誘電性のミクロな発生機構を放射光X線とミュオンの協奏的利用により明らかにしました。

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図1:YMn2O5の、らせん配列するマンガンイオンスピン、理論的に予想されている。酸素サイトの電子変位、本研究で観測された酸素イオンのスピン偏極の模式図。

YMn2O5では、横滑りらせん(サイクロイド)型※3、図1)という特殊なスピン配列の発達と共に強誘電性が現れることが知られています。本研究では、放射光による共鳴X線散乱(RXS)(※4)ミュオンスピン回転(µSR)(※5)を用いてYMn2O5中の酸素イオンのスピン偏極を詳細に調べ、サイクロイド型スピン配列の発達に伴って陽イオンのマンガンから陰イオンの酸素への局所的な電子移動が起きることを発見しました。このような電子の変位は強誘電性を誘起するので、マルチフェロイック物質の強誘電性の発現に電子変位が寄与していることを実験で確認した初めての例となりました。

通常、スピン偏極の観測には、磁化測定や中性子散乱などの手法がよく使われます。しかし、酸素のような陰イオンで生じるスピン偏極は、大きさと密度が小さいために上記の手法では観測が困難です。本研究では酸素を狙い撃ちできるRXSとµSRを協奏的に組み合わせることで、その空間配置を定量的に評価することに成功しました。これまで観測が困難であった物質中のミクロな現象を捉える上で、マルチプローブ利用が極めて有効であることも同時に示されました。

本研究の成果は米国現地時間の6月29日、学術誌Physical Review Bに掲載され、重要な成果として顕彰されるEditors' suggestion(注目論文)に選ばれました。



背景

磁性体中においてサイクロイド型スピン配列に代表されるような特殊な磁気構造が形成される場合、同時に強誘電性が発現することが知られています。このような物質はマルチフェロイック物質と呼ばれ、デバイス応用も含めて精力的な研究が行われています。しかしながら、特殊な磁気構造が強誘電性を引き起こすメカニズムについては、理論的に予想はされているものの、実験的には未だ解明されていません。その理由として、多くのマルチフェロイック物質において電気分極の値が小さく、その要因となる配位子サイトにおける局所的変位の観測が困難であることが挙げられます。そこで、研究グループはスピンを持つイオン(磁性イオン)に配位する酸素イオンに注目しました。酸素のスピン偏極の振る舞いを観測することでイオン間の電子の移動を間接的に捉えることができる、というのがポイントです。これまでいくつかのマルチフェロイック物質において酸素のスピン偏極の観測が行われてきましたが、定量的な情報は得られておらず、強誘電性の微視的な機構はなお不明なままでした。



研究手法と成果

本研究では酸素のスピン偏極に敏感な二つの観測手法、RXSとµSRを協奏的に用いています(図2)。RXS測定では酸素のスピン偏極の周期と方向についての情報を得て、µSR測定では位置に関する情報を得ることができました。さらに、その大きさを定量的に評価することができました。RXS実験はKEKフォトンファクトリーにて、µSR実験はCanada's particle accelerator centre(TRIUMF)にて実施しました。以下にこれらの手法を簡単に説明します。

X線が物質に入ると、物質中の電子と相互作用を起こし散乱されます。この散乱X線を観測することで電子の情報を捉えることが可能になりますが、通常のX線散乱実験では、物質を構成している全ての原子が持つ電子の平均的な情報を得ることになります。一方で、RXSでは、X線が大きく吸収されるX線吸収端を利用して散乱実験を行います。このX線吸収端は元素ごとにエネルギーが異なるため、例えば酸素のX線吸収端においてRXSを行うと、酸素の電子情報だけを選択的に取り出すことができます。また、X線吸収端ではX線は電子のスピンに対しても強く散乱されるため、酸素のスピン偏極を選択的に観測できます。

ミュオンは素粒子の一つで、同じ質量で反対の電荷を持つ正ミュオン(µ+)と負ミュオン(µ-)がありますが、正ミュオン(以後こちらを単にミュオンと呼びます)を物質に注入・停止させると、あたかも水素のように振る舞います(=擬水素)。そのため、物質中に酸素イオンが存在するときミュオンを注入すると、水素が酸素とOH結合を形成するように、ミュオンも酸素の近傍に捉えられます。したがって、µSR実験によっても、酸素のスピン偏極を狙い撃ちして捉えることが可能になります。また、酸素のスピン偏極の大きさに応じてミュオンのラーモア回転運動(※6)が変化するため、これを捉えることで定量的な観測を行うことができます。

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図2:放射光X線とミュオンによる観測の模式図。本研究では、酸素のスピン偏極を選択的に観測した。


研究は、同じ結晶構造を有する二つの物質を比較しながら進めました。スピンがサイクロイド型に配列するYMn2O5と、平行あるいは反平行に配列するSmMn2O5です。

RXS測定では、YMn2O5において酸素のスピン偏極が生じていることを示す明瞭な散乱ピークが観測された一方で、SmMn2O5では観測されませんでした(図3)。このことは、サイクロイド型スピン配列が酸素のスピン偏極を誘発していることを強く示唆します。

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図3:YMn2O5とSmMn2O5に対する共鳴X線散乱。530 eV周辺のピークが、酸素のスピン偏極からの散乱を表す。YMn2O5では強く現れるが、SmMn2O5ではピークが見られない。


次に、これら二つの物質に対してµSR測定を行いました(図4(a))。YMn2O5では、これまでに報告されているマンガンスピンの配列だけではミュオンが感じた内部磁場の大きさを説明できませんでしたが、マンガンスピンを繋ぐ酸素イオンのスピン偏極を考慮することで、実験結果をよく説明することができました(図4(b))。この結果はRXS測定の結果と同様に酸素のスピン偏極の存在を示すと同時に、その大きさと位置の情報も与えてくれます。一方で、SmMn2O5では内部磁場の大きさを説明するために酸素のスピンを必要としませんでした。すなわち、µSR測定においても酸素のスピン偏極は確認されず、RXS測定の結果と矛盾しません。


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図4:(a) YMn2O5とSmMn2O5のµSRの結果。グラフの振動がミュオンのラーモア回転運動の様子を表す。振動数が高い(周期が短い)ほどミュオンが感じる磁場は大きいことを意味する。


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図4:(b)YMn2O5における酸素のスピン偏極とマンガンの磁気構造。

過去の中性子散乱実験により、YMn2O5では低温になるほどサイクロイド型スピン配列が発達することが報告されています。つまり低温になるほど磁気秩序は発達するのです。今回の実験では、YMn2O5の酸素のスピン偏極は、試料温度が低下するほど増大することが分かりました(図4(a))。これは、低温になりマンガン酸素間を移動する電子の量が多くなったことを示しています。サイクロイド磁気構造の発達が酸素周辺の局所的な電子移動を誘起し、このことが巨視的な強誘電性とそれに付随する酸素のスピン偏極を誘発していると言えます。



本研究の意義、今後への期待

マルチフェロイック物質は磁場印加により電気分極が応答する電気磁気効果を示すことから、単一物質で複雑な機能を持つ新しい電磁デバイスとしての応用が期待されています。しかし、動作温度や感度が低いなどの問題があり、高性能化を目指して現在も盛んに研究開発が行われています。

本研究では、マルチフェロイック物質の局所的な強誘電性の発現機構の一端が明らかになりました。物質中での誘電性と磁性の結合に対する微視的な理解がさらに進むことで、高性能マルチフェロイックデバイス開発のための新たな指針を得ることができます。また、酸素サイトのスピン偏極を調べるために、放射光X線とミュオンの協奏的利用が極めて有効であることを示しました。今後、陰イオンの磁性や電子状態に関する様々な研究への応用が期待されます。

本研究はKEK 物質構造科学研究所 構造物性研究センター(CMRC:2020年4月に量子ビーム連携研究センターCIQuSへ発展的改組)のプロジェクト「量子ビームを用いた多自由度強相関物質における動的交差相関物性の解明」および「マルチプローブ研究助成(2016年度)」、KEK 放射光共同利用実験課題(2017G549)「共鳴軟X線散乱によるマルチフェロイック物質SmMn2O5の酸素サイト磁性と強誘電性の関係解明」およびTRIUMF Experiments(M1647)、並びに科学研究費補助金「基盤研究 (A) 15H02038」の支援を受けて行われました。物質構造科学研究所では複数の量子ビームを使ったマルチプローブ研究を推進しており、J-PARC MLFにミュオンビームラインを保有していますが、今回の研究ではMLFとは特徴の異なるTRIUMFのミュオンビームを利用しました。図4(a)のような振動スペクトルの観測には高い時間分解能が必要で、それにはTRIUMFの連続状ビームが有効だったためです。



論文情報

Electronic charge transfer driven by spin cycloidal structure
(らせん磁気構造が誘起する電子移動)
Y. Ishii*1, S. Horio*1, Y. Noda*1, M. Hiraishi*2, H. Okabe*2, M. Miyazaki*3, S. Takeshita*2, A. Koda*2, K. M. Kojima*2*4, R. Kadono*2, H. Sagayama*2, H. Nakao*2, Y. Murakami*2, and H. Kimura*1
*1: 東北大学 多元物質科学研究所 *2: KEK物質構造科学研究所 *3: 室蘭工業大学 *4: TRIUMF
雑誌名: Physical Review B
DOI: https://doi.org/10.1103/PhysRevB.101.224436
(オンライン版2020年6月29日 )



用語説明

※1)マルチフェロイック物質
物質に電場を印加すると正の電荷と負の電荷(電子)が一様に変位し電気分極が生じる。電場を外しても電気分極が保たれる物質を強誘電体、その性質を強誘電性と呼ぶ。強誘電性がスピンの配列によって生じている物質をマルチフェロイック物質と呼び、磁場(電場)をかけることにより電気分極(磁化)が応答する電気磁気効果を示すことから、単一物質で複雑な機能を持つ電磁デバイスとしての応用が期待されている。

※2)酸素イオンのスピン偏極
通常、酸素イオンは反平行のスピンを持つ電子が対を作るために非磁性であるが、隣り合う磁性イオンから電子が移動するとそのバランスが崩れてスピンに偏りが生じ、磁性を持つ。

※3)横滑りらせん(サイクロイド)型スピン配列
マルチフェロイック物質では、強誘電性を誘起するいくつかのスピン配列が提唱されている。横滑りらせん型は最初に発見された配列の一つであり、磁性体中に出現するとき、エネルギーを安定化させるように物質の結晶構造や電子分布が変化することで、強誘電性が発現すると考えられている(図1)。

※4)共鳴X線散乱(RXS)
ある元素のX線吸収端にX線のエネルギーを合わせて、散乱実験を行う手法。X線が物質に入射されると、特定元素の電子に関わる共鳴現象を引き起こす。これにより、電子のもつ電荷、スピン、軌道等の秩序状態を元素選択的に観測が可能になる。

※5)ミュオンスピン回転法(µSR)
物質を構成する原子の隙間に注入したミュオン(ミュー粒子)を用い、そのスピン偏極度の時間変化からミュオンが感じる内部磁場の大きさやそのゆらぎを精密に観測する実験手法。注入・停止したミュオンの周り0.5ナノメートル程度の範囲の局所的な情報に加え、擬水素としてのミュオン自身の電子状態についての情報も与える。放射光・中性子を用いて得られる物質内の長距離にわたる情報とは相補的な関係にある。

※6)ラーモア回転運動
粒子の磁気モーメントが外部磁場の影響を受け、磁場の周りで回転する現象。µSRでは、ミュオンのスピンが内部磁場の存在によりラーモア回転する様子を捉える。



問い合わせ先


<研究に関すること>
国立大学法人 東北大学大学院 理学研究科(助教)石井 祐太
Tel: 022-795-5600
e-mail: yuta.ishii.c2[at]tohoku.ac.jp

<報道に関すること>
東北大学多元物質科学研究所 広報情報室
電話: 022-217-5198
E-mail:press.tagen[at]grp.tohoku.ac.jp
*[at]を@に置き換えてください



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