東北大学 大学院理学研究科・理学部

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機能性と耐久性を両立した量子ビット材料を発見 -半導体量子コンピュータの開発に新たな道筋-

発表のポイント

● シリコン中のホウ素原子に束縛された正孔(注1)のスピン(注2)において、長いコヒーレンス時間(注3)を実現。

● これまで困難とされてきた、強いスピン軌道相互作用(注4)と長いコヒーレンス時間の両立に成功。

● ホウ素原子によって量子ビット(注5)を形成することにより、高い拡張性を備えた半導体量子コンピュータ(注6)の実現が期待される。

□ 東北大学ウェブサイト



概要

量子コンピュータを構築する上では、強いスピン軌道相互作用と長いコヒーレンス時間の両立が大きな課題となっています。東北大学大学院理学研究科の小林嵩助教(研究当時)らの国際共同研究グループは、弱い圧力を加えたシリコン中のホウ素原子に束縛された正孔において、非常に長いコヒーレンス時間を観測しました。今回の成果は従来の知見を覆し、強いスピン軌道相互作用と長いコヒーレンス時間が両立可能であるということを示しています。この研究結果から、シリコン中のホウ素原子によって量子ビットを形成することで、スピン軌道相互作用を利用した高い機能性と拡張性を実現できることが示されました。半導体ベースの量子コンピュータの開発への新たな道筋となります。
本研究は英国科学誌「Nature Materials」のオンライン版に2020年7月21日午前0時(日本時間)に掲載されました。



背景

近年、量子コンピュータに代表される量子情報技術が著しい発展を見せています。特に半導体中のスピンを用いた量子ビットは、長いコヒーレンス時間と既存の半導体製造設備との親和性から、大規模な量子コンピュータを実現する上で注目されています。

量子コンピュータを構築する上では電場を介して量子ビットを制御できることが求められます。電場による制御を実現するために、これまで強いスピン軌道相互作用をもつ材料で量子ビットを形成する試みがなされてきました。しかしながら、このような材料で形成された量子ビットでは、コヒーレンス時間が100ナノ秒から1マイクロ秒程度と非常に短く、量子コンピュータに利用するのは困難でした。現在でも強いスピン軌道相互作用と長いコヒーレンス時間の両立は大きな課題となっています。



研究手法と成果

本研究では、同位体濃縮で得られたシリコン28(28Si)結晶中のホウ素不純物原子に束縛された正孔に着目しました。シリコン中の正孔は強いスピン軌道相互作用を持っています。特にホウ素原子に束縛された正孔では、ホウ素原子の空間的に対称性の高い閉じ込めポテンシャルを反映して、特異なエネルギー準位配置が実現します。このエネルギー準位配置では、外場によってスピン軌道相互作用を制御することが容易であるという利点があります。ここでは、薄い28Si結晶を溶融石英板に貼り合わせることで28Si結晶にわずかな歪みを加え、スピン軌道相互作用を調整しました(図1)。

このわずかに歪んだ28Si結晶に含まれるホウ素不純物に対しHahnエコー法(注7)を用いてコヒーレンス時間を測定しました(図2)。この測定から、一般的なスピン量子ビット測定と同等の極低温において、ホウ素原子に束縛された正孔が0.9ミリ秒というコヒーレンス時間を持つことを見出しました。この値は、歪みを加えていない28Si結晶で測定された23マイクロ秒と比較して、一桁以上長いことから、歪みによるスピン軌道相互作用の制御によりコヒーレンス時間が改善されたことがわかります。また、Carr-Purcell-Meiboom-Gill法(注8)によって電磁場の揺らぎの影響を抑えた場合、コヒーレンス時間は9ミリ秒まで延長されました(図3)。

今回観測されたコヒーレンス時間は、従来のスピン軌道相互作用を持つ量子ビットと比較して104から105倍長い値となっており、コヒーレンス時間が大幅に改善されたことがわかります。また、スピン軌道相互作用が弱いスピン量子ビットにおいて観測されているHahnエコー・コヒーレンス時間(数ミリ秒)にも匹敵する値であり、量子技術への応用において有望であることを示しています。



今後の展開

本研究成果は、強いスピン軌道相互作用を持つ正孔系で長いコヒーレンス時間を両立する量子ビットの実現に指針を提示しています。スピン軌道相互作用を持つ量子ビットは単純なデバイス構造で実装できることから、多数の量子ビットの集積を容易にします。また大規模な量子計算をする上で重要となる量子ビット間の長距離結合を実装する上でも利点があります。これらのスピン軌道相互作用の利点を、コヒーレンス時間を長く保ったまま利用できる可能性を示すことができたという点で、本研究成果により将来の半導体量子コンピュータの開発に新たな道筋を示すことができたといえます。



謝辞

本研究成果はスピントロニクス国際共同大学院(GP-Spin)の支援により得られたものです。



論文情報

雑誌名: Nature Materials
論文タイトル:Engineering long spin coherence times of spin-orbit qubits in silicon
著者:Takashi Kobayashi, Joseph Salfi, Cassandra Chua, Joost van der Heijden, Matthew G. House, Dimitrie Culcer, Wayne D. Hutchison, Brett C. Johnson, Jeff C. McCallum, Helge Riemann, Nikolay V. Abrosimov, Peter Becker, Hans-Joachim Pohl, Michelle Y. Simmons and Sven Rogge
DOI番号:10.1038/s41563-020-0743-3
URL:https://www.nature.com/articles/s41563-020-0743-3



用語説明

(注1)正孔
半導体の価電子帯における電子の空隙に対応する粒子。電子と反対の正の電荷とスピンの自由度を持つ。

(注2)スピン
電子や正孔といった粒子が持つ角運動量の内部自由度のこと。この角運動量は離散的な値を取り、スピンの量子状態はそれらの値によって特徴づけられる。この量子状態によって定義された量子ビットをスピン量子ビットと呼ぶ。

(注3)コヒーレンス時間
スピンをはじめとした量子的な実体が干渉可能な状態を保持する時間の長さ。量子情報技術においては、量子情報を保持する時間の長さと言い換えることができる。

(注4)スピン軌道相互作用
スピンと軌道角運動量の間の結合係数。スピンに対して電場との結合を与えるために利用される。

(注5)量子ビット
0と1の2状態からなる、量子情報の最小単位。通常の古典的な情報処理に用いられるビットと異なり、0と1のいずれかの状態に加えて両者の重ね合わせ状態を取ることができる。0と1の状態に、例えばスピンの角運動量状態のような量子状態を割り当てることで実装できる。

(注6)量子コンピュータ
情報を量子ビットによって表現して処理する計算機。従来のコンピュータでは膨大な時間がかかる因数分解などの問題を短時間で解ける量子アルゴリズムを実行できる。

(注7)Hahnエコー法
コヒーレンス時間の測定手法のひとつ。スピンを90度回転させるマイクロ波パルスと180度回転させるパルスを1回ずつ照射して、スピンのコヒーレンスの減衰に関する情報を取り出す。低周波のノイズの影響を排除した場合のコヒーレンス時間を得られる。

(注8)Carr-Purcell-Meiboom-Gill法
コヒーレンス時間の測定手法のひとつ。スピンを90度回転させるマイクロ波パルスを1回照射した後、180度回転させるパルスを照射し続けることで、スピンのコヒーレンスの減衰に関する情報を取り出す。Hahnエコー法に比べると複雑なパルス列を要する一方で、ノイズの影響をより強く除去してコヒーレンス時間を測定できる。



参考図


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図1:試料の概略。ホウ素不純物がドープされた厚さ50マイクロメートルの28Si結晶と厚さ1ミリメートルの溶融石英板がエポキシ接着剤によって貼り合わされている。室温では28Si結晶に結晶歪はかかっていないが、低温では28Si結晶と溶融石英の熱膨張係数の違いのため、28Si結晶側が貼り合わせ面に対して平行に引き延ばされるような結晶歪が加わる。

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図2:Hahnエコー法によるコヒーレンス時間測定。Hahnエコーパルス列(右上、緑)を入力した後で出力される信号(右上、赤)の振幅(縦軸)を、パルス列を特徴づける時間間隔の2倍(横軸)の関数として示している。歪みを加えた28Si結晶および加えていない28Si結晶から得られたデータ(赤および黒)に対するフィッティング(緑線および青線)により、それぞれ0.92ミリ秒および23マイクロ秒というコヒーレンス時間が得られた。

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図3:Carr-Purcell-Meiboom-Gill法によるコヒーレンス時間測定。Carr-Purcell-Meiboom-Gillパルス列(右上、緑)に伴って現れる信号(右上、赤)の振幅(縦軸)を、信号が現れた時刻(横軸)の関数として示している。歪みを加えた28Si結晶およびから得られたデータ(赤)に対するフィッティング(緑線)により、9.2ミリ秒というコヒーレンス時間が得られた。



問い合わせ先


<研究に関すること>
理化学研究所創発物性科学研究センター
研究員 小林 嵩(こばやし たかし)
E-mail:kobayashi20131124[at]gmail.com

<報道に関すること>
東北大学大学院理学研究科
広報・アウトリーチ支援室
電話:022−795−6708
E-mail:sci-pr[at]mail.sci.tohoku.ac.jp
*[at]を@に置き換えてください



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