東北大学 大学院理学研究科・理学部

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量子アニーリング装置による量子シミュレーションを実行 -非平衡量子統計力学理論の実証とさらなる発展に貢献-

要点

● 量子アニーリング装置で量子シミュレーション(模擬実験)を実行

● 磁性体の非平衡量子統計力学理論がその成立条件を外れても成立していることを発見

● 量子アニーリング型量子コンピュータの新たな応用分野を開拓

□ 東北大学ウェブサイト



概要

東京工業大学の西森秀稔特任教授らの研究チームは、D-Wave Systems 社(用語1)の量子アニーリング(用語2)装置(量子アニーリング型量子コンピュータ)を用いて磁性体内部に欠陥ができるメカニズムの理論を検証するために量子シミュレーション(用語3)を実行した。

量子コンピュータの理論は、理想的な動作をする量子ビット(用語4)を想定して構成されている。しかし、今回の量子シミュレーションにおいては、実際には理想的な状況とは異なる動作をしている明確な証拠が見つかり、その影響を考慮して結果を解析する必要性が明らかになった。

また、欠陥の数の統計分布に関する最近の非平衡量子統計力学理論も理想的な量子ビットを前提としているが、理想的な状況から乖離した実験条件下でもその理論が成立していることが見出された。理想的な条件で導出された理論がその条件が満たされない場合にも成立することを、量子コンピュータを用いて発見した世界初の例といえる。

今回の研究成果は量子アニーリング型量子コンピュータの実験装置としての有用性を示したものであり、高速性にのみ注目が集まりがちな量子コンピュータの研究開発の今後の方向性に多大な影響を与えるものと期待される。

この研究は東京工業大学 科学技術創成研究院 量子コンピューティング研究ユニットの坂東優樹研究員、須佐友紀研究員(現NEC)、西森秀稔特任教授らと、東北大学、埼玉医科大学、ドネスチア国際物理学研究センター(スペイン)、南カリフォルニア大学(米国)との共同研究で、米国時間9月8日付けで米国物理学会が発行するPhysical Review Research(フィジカル・レビュー・リサーチ)誌に論文が掲載された。



研究成果

共同研究グループは、量子アニーリング装置「D-Wave 2000Q」上に1次元横磁場イジング模型(用語5)と呼ばれる磁性体を模擬的に実装し、その中に生じる欠陥(不完全な状態、図1)の数に関する理論(キブル・ズーレック機構、用語6)を検証した。

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図1. 原子スケールの微小磁石(青や黄色)の向きが変わる部分(赤の矢印)が欠陥。


すでにいくつかの研究グループが、D-Wave装置を用いて類似の実験を試行しているが、量子ビットの理想的な動作からのずれの影響を系統的に検証するには至っていなかった。今回の研究では、数百時間に及ぶ極めて大規模な実験により、欠陥数が時間とともにどう変化するかを詳細に検証し、量子コンピュータの心臓部である量子ビットが理想的な状況とは異なる動作をしていると仮定しないと説明できないデータを得た。

さらに、欠陥数の統計分布を詳細に解析することにより、理想的な動作をする量子ビットを前提として作られた最近の非平衡量子統計力学理論の予測が、実際には理想的な状況とは異なる動作をする量子ビットの場合にも成立していることが明らかになった(図2)。

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図2. 欠陥数の統計量に関する理論値(0.6および0.2付近にある実線、理想的な量子ビットを仮定)が実験データ(▲および●、理想からずれた実際の量子ビット上で取得)と整合。


量子シミュレーションにより、既存の理論がその適用限界を超えて成立することが示された世界初の例であり、この結果を説明する新たな理論の構築を促すこととなった。

計算能力にのみ注目が集まりがちな量子コンピュータが実験装置としても有用であることを示した成果であり、今後の研究開発の方向性に多大の影響を与えるものと期待される。



研究の背景

量子コンピュータは量子力学を利用した、従来の古典コンピュータとは動作原理が異なる計算機である。通常のコンピュータでは数を2進法で表す0と1の組を順番にひとつずつ処理する必要があるが、量子コンピュータは極めて多くの状態を一度に表せる量子力学の性質を用いて、問題によっては非常に高速な処理ができる可能性を持っている。量子アニーリングと呼ばれる方式による量子コンピュータがD-Wave Systems社によって商用化されてからは、基礎研究のみならず、社会課題を解決するための実証実験が行われるなど、社会的にも注目されている。

量子アニーリングによる量子コンピュータの応用としては、多くの社会課題に直結する組み合わせ最適化問題(用語7)の解決が主流をなしていたが、物理現象をデバイス内でシミュレートする模擬実験の研究がここ数年急速に活性化しつつある。磁性体中の欠陥数についてのキブル・ズーレック機構に関しても、すでに量子アニーリング装置上で今回と類似の研究が試行的に行われてきたが、理論との系統的な比較による量子ビットの特性の解明には至っておらず、その解決が待ち望まれていた。



今後の展開

今回の研究はキブル・ズーレック機構という非平衡量子統計力学理論をめぐる学問的な発展に留まらず、量子コンピュータ(量子アニーリング装置)が量子シミュレータとして理論の限界を超えた知見を上げる可能性を切り開いたものである。ハードウェアや理論のさらなる発展により、スーパーコンピュータや伝統的な実験では手の届かない領域にまで量子コンピュータによるシミュレーションが活用されるようになれば、物理や化学を基盤とする多くの応用分野で実験やシミュレーションに代わる研究開発手法として、多くの社会課題の解決に役立つようになることが期待される。



用語解説

(1)D-Wave Systems社:
量子アニーリング方式による量子コンピュータを開発、市販しているカナダの企業。

(2)量子アニーリング
組み合わせ最適化問題を解くための量子力学に基づいた汎用性を持つアルゴリズム。

(3)量子シミュレーション
スーパーコンピュータを含む従来型のコンピュータでは計算困難な量子力学の問題を現実の実験系で人工的にシミュレートする方法。

(4)量子ビット
2つの状態の量子力学的な重ね合わせ状態を実現することができる基本素子。

(5)1次元横磁場イジング模型
原子スケールの微小磁石が直線状に並んで、量子力学による多くの状態の重ね合わせを実現しているような磁性体(磁石)の模型。

(6)キブル・ズーレック機構
磁性体の状態を時間的に変化させたとき、磁性体の状態が安定な状態に移行するのに必要な時間が増大して、不完全な状態で凍結してしまう現象に関する理論。

(7)組み合わせ最適化問題
多数の可能性の中から、一定の基準で一番良いものを選び出す問題。例えば、多数の商品があってそれぞれの重さと価値(価格)が分かっていて、それらを重量制限のあるトラックに積み込むとき、どの商品を何個ずつ積み込むと積み込まれた荷物全体の価値が最大になるかという問題など、社会的に重要な課題が多数含まれる。



論文情報

掲載誌:Physical Review Research 2, 033369 (2020)
論文タイトル:Probing the universality of topological defect formation in a quantum annealer: Kibble-Zurek mechanism and beyond
著者:Yuki Bando(坂東優樹), Yuki Susa(須佐友紀), Hiroki Oshiyama(押山広樹), Naokazu Shibata(柴田尚和), Masayuki Ohzeki(大関真之), Fernando Javier Gomez-Ruiz, Daniel A. Lidar, Adolfo del Campo, Sei Suzuki(鈴木正), and Hidetoshi Nishimori(西森秀稔)
DOI:10.1103/PhysRevResearch.2.033369



問い合わせ先


<研究に関すること>
東北大学大学院理学研究科 物理学専攻
柴田尚和 准教授
Email: shibata[at]cmpt.phys.tohoku.ac.jp
TEL: 022-795-6440

<報道に関すること>
東北大学大学院理学研究科
広報・アウトリーチ支援室
電話:022-795-6708
E-mail:sci-pr[at]mail.sci.tohoku.ac.jp *[at]を@に置き換えてください



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