東北大学 大学院理学研究科・理学部

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電荷をもたない奇妙な原子核の高精度探索 ―ラムダ-中性子-中性子の三体系―

概要

京都大学大学院理学研究科 後神利志 助教、鈴木一輝 同博士課程学生、東北大学大学院理学研究科 中村哲 教授、板橋浩介 同博士課程学生、ハンプトン大学 L. Tang 教授、B. Pandey 同大学博士研究員らの国際共同研究グループは、米・ジェファーソン研究所 (JLab)において、電荷を持たない純中性原子核であるラムダ-中性子-中性子 (Λnn) の三体系の探索実験を施行し、その結果を公表しました。

Λnn 原子核の束縛状態の存在がドイツの重イオン研究所 (GSI) の研究グループにより示唆されました。しかし、その存在は最新の原子核物理の知見をもってしても再現できず、原子核物理の大きな謎の一つとして世界中で注目されています。2018年に、私たち国際研究チームは JLab 実験ホールAにおいて、Λnn 原子核の探索実験を施行しました。データ解析の結果、本実験では統計的に有意な信号は確認されませんでした。しかし、反応確率 (反応断面積)(*1) の上限値を決定することに初めて成功しました。本実験結果はΛnn 原子核の存否に制約を与えるとともに、より感度を高めた次世代実験研究へ展開するための重要な基礎データとなります。

本成果は、2021年12月6日に日本の国際学術誌「Progress of Theoretical and Experimental Physics」にオンライン掲載されました。

□ 東北大学ウェブサイト

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詳細な説明

1.背景

私たちの身の回りの物質を構成する原子は原子核と電子で構成されます。原子核は中性子 (n) と陽子 (p)で構成されていますが、陽子が正の電荷を持つことから原子核は全体として正電荷を持ちます。通常、原子は電気的に中性ですが、これは原子核の正電荷と大きさが等しい負の電荷をもつ電子の雲が原子核を取り巻くからです。完全に電気的に中性な粒子で構成されている原子核 (原子番号ゼロの原子核) はこれまで存在しないと考えられてきました。しかし、2013年のドイツの重イオン研究所 (GSI) の研究グループにより、ラムダ粒子 (Λ) 一つ、中性子 (n) 二つで構成される三体系原子核であるΛnn のエネルギー的に安定な状態 (束縛状態) の存在が実験的に示唆されました。Λ は地球上には通常、安定に存在していませんが、陽子や中性子と同じ重粒子(*2)と呼ばれる種類の粒子で電荷を持ちません。最新の物理学の知見をもってしても、三体系のΛnn が束縛した安定状態の存在は全く理解できないミステリーです。


2.研究手法・成果

私たちはΛnn原子核を調べるための実験を米国のジェファーソン研究所 (JLab) における大強度高エネルギー電子ビームを用いて行いました。この実験では、入射電子により原子核中の陽子をΛに変換し、原子核中にΛを埋め込みます(ハイパー核(*3)電磁生成分光)。私たちはこれまで数々のΛを含む原子核の精密測定に本手法を適応して成功を収めてきました。本手法は、原子核中の陽子をΛに変える反応であるため、放射性物質であり取り扱いが非常に困難なトリチウム標的が必要になります。私たちは高純度トリチウムガス標的 (>95%の純度, 0.1 g) を使用して、2018 年10 ~ 11月に実験を施行しました。今回使用したトリチウム標的は 40 TBq (一秒間に 40,000,000,000,000 回放射線が放出される) もの高レベルの放射能をもち、世界的にも取り扱いが難しいものですが、複数の国際共同研究グループとJLab標的開発グループの努力の結果、高いレベルの安全性を確保した実験が JLab において実現しました。

データ解析の結果、私たちの実験では統計的な有意性をもって Λnn 原子核の信号が確認されませんでした。しかし、得られたエネルギー分布 (スペクトラム) の詳細な解析により、電磁生成による Λnn 原子核の生成確率 (生成断面積) の上限値を決めることに世界で初めて成功しました。

 Λnn の生成確率と重粒子間相互作用には関係があるため、本実験結果と理論計算との比較によりΛnnの束縛状態の存否や、Λ-核子相互作用への新しい制約を課すことができると期待されます。特にΛ-n間の相互作用研究は直接的な実験データ (散乱実験データ) を取得することが技術的に難しく、これまでそのようなデータは存在しません。そのため、本実験で行ったようなスペクトラム解析による間接的なアプローチを用いた重粒子相互作用の研究が重要な働きをします。


3.波及効果、今後の予定

今回の測定でははっきりとした信号を確認できませんでしたが、期待される信号範囲には 2 シグマ (σ) 程度の背景事象分布からのずれが確認できました。この「ずれ」が Λnn の信号でなく背景事象の統計的なふらつきであると単に棄却することが難しいことも事実です。これは実に興味深い結果であり、さらなる実験研究を行うための強い動機付けになります。ドイツGSI のグループも Λnn 原子核の存否を決定するための追試実験を行っています。GSI の実験では、束縛状態、つまりエネルギー的に安定な状態にのみ感度がありますが、束縛状態の寿命を測定することが可能です。一方、我々のJLab におけるハイパー核電子線分光は束縛状態だけではなく共鳴状態と呼ばれる準安定状態に対しても測定感度がありますが、束縛状態が存在した場合に寿命を測定することはできません。もし、Λnn 原子核が存在するとしたら、その性質を多角的に調べるために、相補的に実験研究を進めることが必要です。

Λを含む原子核は半世紀以上昔に発見されてから、実験技術の発達とともに、軽い原子核 (質量数 A = 3) から重たい原子核 (A = 208) まで系統的に調べられてきました。しかし、極めて単純な系である Λnn のような少数粒子系の理解ですら十分とは言えず、Λnn原子核の存否を決定し、その理解を深めるためにはより高精度・高統計な測定が必要です。本研究により、電磁反応を用いたときの生成確率についての情報が初めて得られ、Λnn 原子核の信号感度の高い次世代実験の設計が可能になりました。私たちはΛnn原子核の測定に対してより高感度な新しい実験を展開することを検討しています。実験標的や磁気分光器の設計・設定の最適化により、統計量、エネルギー分解能、信号・ノイズ比を改善し、信号感度として5倍以上高めることが期待できます。さらに、信号感度のみならず、エネルギーの決定精度を 100 keV の以下の誤差で抑えるような設計を行い、Λnn原子核の束縛状態の存否を精密質量測定実験により決定することを計画しています。



4.研究プロジェクトについて

本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業(18H05459, 18H05457, 18H01219, 17H01121, 19J22055, 18H01220)、京都大学SPIRITS2020、東北大学GP-PUおよび、新学術領域研究「宇宙観測検出器と量子ビームの出会い。新たな応用への架け橋。」の計画研究A02「高エネルギー光子ビームで探る原子核内部と中性子星深部」の助成を受けて推進しました。



用語説明

*1)反応確率 (反応断面積)
特定の原子核反応が起こる確率を面積の単位で示した物理量です。

*2)重粒子
バリオンとも呼ばれるクォーク3つで構成される粒子で、核子 (陽子、中性子) やここで登場するラムダ粒子 (Λ) もその仲間です。陽子、中性子はアップクォーク (u)、ダウンクォーク (d) で作られる系で、それぞれ uud、udd で構成されます。一方、Λはストレンジクォーク (s) を含む粒子で、uds という組成を持ちます。

*3)ハイパー核
Λのような s クォークを含む重粒子をハイペロンと呼びます。このハイペロンを1つ以上含む原子核をハイパー核と呼びます。Λを二つ含む原子核、「ダブルΛハイパー核」の研究も特に近年精力的に行われています。



研究者のコメント

本研究は80名以上に及ぶ国際研究チームが一丸となって取り組んだ大がかりな加速器実験です。私たち日本人研究者が研究プロジェクトを先導的な立場で遂行し研究成果を出せたという事は、とても大きな達成感がありつつ、大きな山を乗り越えられて正直ほっとした思いもあります。今後も研究者同士で活発に知恵を出し合い、さらなる研究展開を目指します (後神)。



論文情報

タイトル:The cross-section measurement for the 3H(e,e'K+)nnΛ reaction
[3H(e,e'K+)nnΛ反応の生成断面積測定]
著者:K.N. Suzuki, T. Gogami et al., (鈴木一輝、後神利志 他)
掲載誌:Progress of Theoretical and Experimental Physics, Volume 2022, Issue 1, January 2022, 013D01
DOI:https://doi.org/10.1093/ptep/ptab158



参考図表

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図1:本実験で使用した反応の概念図。43億電子ボルトに加速した電子を一秒間に140兆個 (140,000,000,000,000個/秒) もの大強度でトリチウム標的に照射し、トリチウム中の陽子をラムダ (Λ) に変換しました。散乱された電子とこの原子核反応から生じたK+中間子を検出器によってとらえて、Λnn 原子核の生成に起因する信号を調べました。


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図2:得られたエネルギースペクトラム。実際のデータは誤差棒付きの黒点で示しています。横軸のゼロ付近が Λnn 原子核が存在すると期待される範囲で、本研究で信号探索を行いました。図中にノイズ1、2と示した領域はそれぞれシミュレーションや実データ解析で求められる信号以外 (背景事象) の大まかな領域です。これらの背景事象の分布を詳細に見積り、その背景事象の寄与を除いた後の「あまり」を Λnn 原子核の信号の可能性のある事象として解析しました。


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図3:JLab (実験ホール A) の計測室において実験シフト中に撮影した写真。本研究の実験期間は1か月程度でした。その期間、24時間常に実験装置が正しく稼働しているかを確認するためにチームメンバーで実験シフトを組みます。向かって左から二番目、三番目がそれぞれ、板橋氏 (東北大学博士課程学生)、Pandey 博士 (当時ハンプトン大学博士課程学生、現同大学のポスドク)。その隣、向かって四番目が後神 (京大)。ちょうど時期的にハロウィンの飾りも見られます。



問い合わせ先

<研究に関すること>
東北大学大学院理学研究科物理学専攻
教授 中村 哲(なかむら さとし)
TEL:022-795-6453 FAX:022-795-6455
E-mail: nue[at]lambda.phys.tohoku.ac.jp

<報道に関すること>
東北大学大学院理学研究科
広報・アウトリーチ支援室
電話: 022-795-6708
E-mail:sci-pr[at]mail.sci.tohoku.ac.jp
*[at]を@に置き換えてください



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