● 超高速な顕微鏡を開発し、トポロジカル物質(注1)の中でも極めて奇妙な分数量子ホール液体(注2)のエッジ(注1)を走る電子の波の動画を撮影した。
● 顕微鏡の空間分解能は約500ナノ(10億分の1)メートル(注3)、時間分解能は約100ピコ(1兆分の1)秒(注4)で、極低温強磁場(絶対温度(注3)40ミリケルビン=温度-273.11℃:、 磁場14テスラ(注4))の超極限環境で動作する。
● 量子ホール系を舞台とした量子宇宙シミュレーターの開発研究や、エラー耐性がある量子コンピューターの開発研究に利用できる。
2016年のノーベル物理学賞の受賞理由は「トポロジカル相転移と物質のトポロジカル相の理論的研究」でした。トポロジカル相転移は鎖状であれば端部、面状であればエッジ、立体であれば表面だけで生じる状態です。この相転移を利用すれば次世代の電子工学の開拓や未来の量子コンピューターが実現すると期待されて精力的な研究がおこなわれています。
東北大学 大学院理学研究科物理学専攻の神山晃範さん(博士課程後期)、遊佐剛 教授、国立研究開発法人物質・材料研究機構(以下NIMS)の間野高明 主幹研究員の研究グループは、強磁場、極低温環境で動作する走査型ストロボスコープ分光顕微鏡(注5)を開発し、トポロジカル物質の一種である分数量子ホール液体のエッジを電子が走る動画の撮影に成功しました。本成果は、電子が作る特殊な状態である分数量子ホール液体の解明と量子宇宙のシミュレーターの開発研究に応用できる重要な成果です。
本研究成果は、専門誌Physics Review Research誌(オンライン版)に2022年3月28日(米国東部時間)掲載されました。
図1)実験の模式図
走査型ストロボスコープ分光顕微鏡(注5)を使って、量子ホールエッジに沿って走る電子の波を測定する。
研究グループは約500ナノメートル程度の空間分解能と100ピコ秒の時間分解能を持ち、温度-273.11℃、磁場14テスラで動作する超高速顕微鏡(走査型ストロボスコープ分光顕微鏡を開発しました (図1)。被写体は半導体の端を高速で走る電子の波です。
半導体中の電子は通常、気体中の分子のようにそれぞれが自由に動き回ることができますが、電子が動くことができる空間を2次元の平面内に制限した半導体を作ると、付加価値の高い特性が生まれ、スマートフォンやLEDなど様々な電子部品に利用されています。このような2次元の半導体に垂直に磁場をかけ、極低温に冷やすと電子は分数量子ホール液体という奇妙な状態になり、試料の端以外の部分は絶縁体となって電子は動き回れませんが、試料の端には電気が流れることのできるエッジが形成されます。このような特異な物質のことを一般にトポロジカル物質といい、分数量子ホール液体はその中でも極めて変わった性質をもっている物質です。今回超高速顕微鏡を駆使することで、分数量子ホール液体のエッジに沿って100キロメートル毎秒程度の高速で走る電子の波を動画として可視化することに成功しました(図2)。
図2)測定した半導体試料
(a)測定した半導体試料の光学顕微鏡写真。電極に電気パルスを印加することで電子の波を生成することができる。(b)~(g)試料からの発光(注6)の変化量の空間マッピング。∆tはパルスレーザー光と電気パルスの時間差を表し、実時間に対応する。青色の領域は被写体(電子の波)に対応しており、図2(c)~(e)のように試料の端を右方向に伝搬していく様子が分かる。
今回用いた超高速顕微鏡は、量子ホール状態を用いた2次元量子宇宙を模したシミュレーターの実験(注7)を行う際に必要な、量子宇宙の幾何構造(計量)(注8)を観測する技術として応用可能です。また、分数量子ホール状態やその他のトポロジカル物質の探索、エラーに強いとされるトポロジカル量子コンピューター開発研究に利用することが期待できます。
本研究の成果は、東北大学とNIMSの共同研究によって得られました。また、文部科学省 科学研究費補助金学術変革領域研究(A)「極限宇宙の物理法則を創る~量子情報で拓く時空と物質の新しいパラダイム~」「量子ホール系による量子宇宙の実験」(課題番号21H05188)、科学研究費補助金基盤研究(S)「メゾスコピック量子ホール系の低次元準粒子制御と非平衡現象」(課題番号19H05603)、科学研究費補助金基盤研究(A)「光検出時間分解磁気イメージングで探るナノ構造物理」(課題番号17H01037)、日本学術振興会 科学研究費補助金特別研究員奨励費「光学的実空間観測による量子ホールエッジ状態の伝播特性解明」(課題番号 21J14386)、科学研究費補助金特別研究員奨励費「量子ホールエッジチャネルにおける一次元熱輸送ダイナミクス」(課題番号 21F21016)などの補助によって得られました。
(注1)トポロジカル物質、バルク、エッジ
物質全体が絶縁体となっている普通の絶縁体とは違い、トポロジカル物質は試料の端以外、つまり内部(バルク)は絶縁体であるにもかかわらず、試料の端や表面が金属的で電気が流れる。量子ホール状態は2次元のトポロジカル物質の代表例でバルクは絶縁体となっているが、試料の端(エッジ)は1次元の伝導体となり、電子は一方向にしか流れず電気抵抗はゼロになる。
(注2)分数量子ホール液体
ある特定の条件で2次元電子を強磁場・極低温環境に置くと、電流方向の電気抵抗はゼロになり、それに直行する方向の電気抵抗(ホール抵抗)が量子化するという不思議な現象が起こり、これを量子ホール効果という。量子ホール効果には整数量子ホール効果と分数量子ホール効果があり、それぞれ1985年と1998年のノーベル物理学賞の対象になっている。また2016年には量子ホール効果とトポロジーを結びつける理論がノーベル物理学賞の対象になった。分数量子ホール状態は、分数電荷をもつ励起など新規な物性を示し、ノイズに強いとされるトポロジカル量子コンピューターへの応用でも注目されている。
(注3)絶対温度
物質を構成する分子や原子の熱振動が止まる温度を0度(セ氏零下273.15度)と定義する温度で単位はケルビン。目盛間隔はセ氏温度と同じ。
(注4)14テスラ
テスラは磁石から発生する磁力の磁束密度の単位。14テスラは事務用品などに使われる磁石の数百倍、病院で診断に使うMRIの10倍程度。
(注5)走査型ストロボスコープ分光顕微鏡
ストロボ効果とは、車輪やプロペラなど周期的に動く被写体に対してそれと同期した光(ストロボ光)を照射すると、被写体が静止して見える現象である。走査型ストロボスコープ分光顕微鏡は、ストロボ効果を応用した超高速の顕微鏡である。この顕微鏡ではストロボ光に相当する数ピコ秒(注2)のパルスレーザー光を76 メガヘルツ(1秒間に7600万回)の周期で照射する。被写体である電子の波は、電極(図1)に印可した電気パルスで生成する。電気パルスによって分数量子ホール液体のエッジを100キロメートル毎秒程度の高速で伝搬する電子の波が生成され、この電子の波とストロボ光を同期させることで電子の波が静止して見えることを利用して、図2のような静止画像を取得する。さらに電子の波とストロボ光のタイミングを連続的に変化させることで動画の撮影が可能となる。
(注6)発光
半導体に適切な波長の光を照射すると、マイナスの電荷を持った電子とプラスの電荷を持ったホールが生成され、それらが再結合して消滅する際に生ずるエネルギーを光として放出する。この現象を応用したものがLEDや半導体レーザーである。
(注7)2次元量子宇宙
量子宇宙とは宇宙創成の初期段階で現れるとされる極限的な宇宙のことである。我々の住む4次元時空(時間1次元+空間3次元)の量子宇宙を実験的に検証することは不可能であり、理論的にも4次元時空を直接扱うことは難しいため、低次元の量子宇宙、特に取り扱いやすい2次元時空(時間1次元+空間1次元)が、理論的な量子重力モデルとして精力的に研究されている。量子ホールのエッジはこの2次元量子宇宙を擬した実験系になることが期待されている。
(注8)幾何構造(計量)
一般相対論で表現される時空(時間と空間を同等に扱う概念)の局所的な幾何構造を特徴づける量を計量またはメトリックという。
雑誌名: Physical Review Research
タイトル: Real-time and space visualization of excitations of the ν=1/3 fractional quantum Hall edge
著者名: Akinori Kamiyama, Masahiro Matsuura, John N. Moore, Takaaki Mano, Naokazu Shibata, and Go Yusa
DOI:10.1103/PhysRevResearch.4.L012040
URL:https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevResearch.4.L012040
<研究に関すること>
東北大学大学院理学研究科物理学専攻
量子ダイナミクス研究室
教授 遊佐剛(ゆさ ごう)
E-mail:yusa[at]tohoku.ac.jp
<報道に関すること>
東北大学大学院理学研究科
広報・アウトリーチ支援室
電話: 022-795-6708
E-mail:sci-pr[at]mail.sci.tohoku.ac.jp
*[at]を@に置き換えてください