● 記憶を司る脳領域において、見落とされていた神経回路を発見しました。
● 情動を伴う記憶情報を処理する「海馬腹側部*1」が、記憶の長期保存に重要な「内側嗅内皮質Va層*2」に直接情報を伝えていることを明らかにしました。
● 私たちが嬉しい出来事や悲しい出来事をどのようにして記憶しているのか、そのメカニズムの解明への寄与が期待されます。
記憶がどのように形成されているのか理解する上で、記憶を司る脳領域の神経回路がどのように構成されているのか知ることは大変重要です。東北大学大学院生命科学研究科の大原慎也助教らは、ノルウェー科学技術大学のMenno Witter教授、及びハイデルベルク大学のAlexei Egorov博士らのグループと共に、記憶に深く関わる「海馬」と「内側嗅内皮質」の神経回路の構造を齧歯類(ラット・マウス)において調べました。この記憶回路として古くから研究されており、その構造は海馬の腹側部と背側部で類似していると長らく信じられてきました。しかし本研究により、海馬の腹側部が背側部とは異なる回路を構成し、内側嗅内皮質Va層のニューロンに情報を伝えることが明らかになりました。
「海馬腹側部」は情動を伴う記憶に関わることが知られています。海馬腹側部は内側嗅内皮質Va層を介して記憶の最終保存場所である「大脳新皮質」と繋がっていることから、Va層が情動情報を伝える神経回路として、長期記憶の形成に深く関与すると考えられます。本研究で明らかにした神経ネットワーク配線を基に、情動を伴う記憶の形成メカニズムの解明が進むことが期待されます。
本研究結果は、2023年1月20日のCell Report誌(電子版)に掲載されました。
電子機器の動作原理を理解するためには電子回路の配線情報が必要不可欠です。同様に、記憶のメカニズムを解明するためには、記憶の中枢ともいえる「海馬」と「内側嗅内皮質」のニューロンがどのように繋がり、どのような神経回路を形成しているのか、その配線情報を知る必要があります。東北大学大学院生命科学研究科の大原慎也助教らは、これまでに内側嗅内皮質Vb層*3ニューロンが形成する神経回路のつくりを明らかにしてきました(Ohara et al., eLife, 2021)。今回は、ノルウェー科学技術大学のMenno Witter教授、及びハイデルベルク大学のAlexei Egorov博士らのグループと共に、海馬から内側嗅内皮質への出力回路の配線を網羅的に調べ、長年見落とされてきた海馬腹側部の神経回路を発見しました。
海馬は細長い形をしており、長軸方向に沿って異なる機能を有することが齧歯類(ラット、マウス)を中心とした研究から知られています。「海馬の腹側部」は情動を伴う記憶に強く関与する一方、「海馬の背側部」は空間的な記憶に関わっています。これまでの解剖学的研究から、海馬の腹側部と背側部はそれぞれ内側嗅内皮質の腹側部と背側部と繋がっており、その神経回路のつくりは腹側部と背側部で類似しているとされてきました(図1A)。このことから、海馬の腹側部と背側部は異なる記憶に関与するものの、その情報処理回路を似ていると考えられてきました。
本研究では、海馬腹側部に特に注目し、海馬-内側嗅内皮質の神経回路の構造を網羅的に調べ直しました。その結果、30年来信じられてきた解剖学的知見に反し、海馬の背側部と腹側部が内側嗅内皮質の異なるニューロン群と結合し、異なる神経回路をつくっていることを明らかにしました。海馬背側部は内側嗅内皮質のVb層ニューロンに情報を伝えるのに対し、海馬腹側部は主にVa層ニューロンに作用します(図1B, C)。また、海馬腹側部はこれまで報告されていた内側嗅内皮質の腹側部へ情報を伝えるだけでなく、背側部のVa層ニューロンにも伝えることが示されました(図1B, C)。記憶の最終保存場所である「大脳新皮質」に情報を送る内側嗅内皮質Va層ニューロンは長期記憶の形成に大変重要です。このVa層ニューロンと密に回路を形成することから、海馬腹側部は、海馬から大脳新皮質への情報伝達を制御し、長期記憶の形成に深く関与すると考えられます。
「海馬の腹側部」は情動を伴う記憶に関わることが知られています。私たちの日々の生活において嬉しい出来事や悲しい出来事が記憶として残りやすいのは、上記回路により、海馬腹側部で処理された情報が大脳新皮質に保存されやすいからかもしれません。本研究で明らかにした神経ネットワーク配線を基に、情動を伴う記憶の形成メカニズムの解明が進むことが期待されます。また、心的外傷後ストレス障害(PTSD)等の疾患メカニズム解明にも貢献することが期待されます。
本研究は、JST さきがけ 「生体多感覚システム」領域(JPMJPR21S3)、研究課題名:情動が制御する側頭葉の感覚ゲーティング機構を探る、JSPS科学研究費補助金JP19K06917、JSPS 科学研究費補助金(新学術領域研究(研究領域提案型)「マルチスケール精神病態の構成的理解」 JP21H00178 の支援を受けて行われました。
*1 海馬腹側部
記憶の中枢である「海馬」は細長い形をした脳領域で、齧歯類(ラット、マウス)では背腹軸に沿って展開しています。海馬の働きは腹側部と背側部で異なり、「海馬の腹側部」は情動を伴う記憶に強く関与する一方、「海馬の背側部」は空間的な記憶に関わることが知られています。
*2 内側嗅内皮質Va層
内側嗅内皮質は、海馬と他の脳領域を繋ぐ中継領域であり、海馬と共に記憶とナビゲーションに深く関わります。この脳領域は、ニューロンが規則正しく整列した層構造から形成されており、層ごとに異なる神経回路を形成することで異なる情報処理を行なっています。内側嗅内皮質Va層には、記憶の最終保存場所である「大脳新皮質」に情報を伝えるニューロンが分布しており、長期記憶形成に重要な役割を担うことが報告されています。
*3 内側嗅内皮質Vb層
内側嗅内皮質Vb層ニューロンは、Va層ニューロンとは全く異なる神経回路を形成します。海馬背側部からの情報を受け取り、内側嗅内皮質Ⅲ層ニューロンにその情報を伝えます。Va層ニューロンと違って「大脳新皮質」には情報を伝えません。
*4 軸索
軸索はニューロンの細胞体から伸びる突起で、情報を送り出す送電線として働きます。軸索を標識し、その分布を調べることで標的とする脳領域がどこに情報を伝えているのか調べることができます。
図1
(A) 齧歯類の海馬の模式図(左)とこれまでの解剖学的研究から示されていた海馬-内側嗅内皮質の神経回路の模式図(右)。海馬の背側部と腹側部は内側嗅内皮質の背側部と腹側部のV層にそれぞれ情報を送り、その回路構成は背側部と腹側部で類似していると考えられてきた。
(B) 神経回路標識法により標識された海馬背側部からの軸索*4(赤)と海馬腹側部からの軸索(シアン)を示す。海馬背側部からの軸索は内側嗅内皮質の背側部Vb層に分布する。一方、海馬腹側部からの軸索は内側嗅内皮質の腹側部だけでなく、背側部のVa層に分布する(B"の黄矢印)。
(C) 本研究で明らかになった神経回路(青)の模式図。内側嗅内皮質から神経情報を発信する出力層であるVa層ニューロンは、海馬腹側部からの情報を主に受ける。この結果から、海馬腹側部は海馬から大脳新皮質への情報伝達の制御に深く関与すると考えられる。
題目:Hippocampal-medial entorhinal circuit is differently organized along the dorsoventral axis in rodents
著者:Shinya Ohara, Märt Rannap, Ken-Ichiro Tsutsui, Andreas Draguhn, Alexei V. Egorov, Menno P. Witter
筆頭著者情報: 大原慎也、東北大学大学院生命科学研究科 助教、JSTさきがけ研究員兼任
雑誌:Cell Reports
DOI:https://doi.org/10.1016/j.celrep.2023.112001
<研究に関すること>
東北大学大学院生命科学研究科、理学部生物学科[web]
助教 大原 慎也 (おおはら しんや)
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