● 分子線エピタキシー(Molecular Beam Epitaxy; MBE)法注1)と原子置換(トポタクティック反応)法注2)との独自な組み合わせにより、原子3個分の厚さしかない原子層2硫化バナジウム(VS2)薄膜を作製しました。
● 原子層VS2では一次元的に電荷が配列していることを発見しました。
● 従来とは異なる「高次ネスティングベクトル注3)」によって電荷配列が生じることを提案する成果です。
● 未だ謎が多い二次元物質における電荷密度波(Charge-density Wave; CDW)注4)メカニズムの解明や原子層材料を用いたスイッチングナノデバイスの開発につながると期待されます。
グラフェンや遷移金属ダイカルコゲナイド注5)に代表される低次元の層状物質では、低温で「電荷密度波(CDW)」と呼ばれる電荷配列現象の起こることが知られていますが、どういうメカニズムで電荷が配列するのかは、多くの物質において未だによくわかっていません。
東北大学大学院理学研究科の川上竜平 大学院生、菅原克明 准教授、材料科学高等研究所(WPI-AIMR)の佐藤宇史 教授らの研究グループは、WPI-AIMRの岡博文 助教、大学院理学研究科の福村知昭 教授らと共同で、分子線エピタキシー(MBE)法と原子置換法を用いて2硫化バナジウム(VS2)の二次元シート(原子層薄膜)注6)を作製し、その電子構造注7)をマイクロARPES(Angle-resolved Photoemission Spectroscopy; ARPES)注8)と走査トンネル顕微鏡(Scanning Tunneling Microscopy; STM)注9)を用いて調べました。
その結果、原子層VS2は特殊なCDWが生じることで絶縁体となることを明らかにしました。さらにCDWの形成に、従来に比べてちょうど2倍の長さを持つ「高次ネスティングベクトル」が関与していることを突き止めました。今回の成果は未だ謎が多い二次元物質におけるCDWメカニズムの解明へと繋がるものです。
本研究成果は、科学雑誌npj 2D materials and Applicationsに2023年5月2日(現地時間)にオンライン掲載されました。
通常、結晶中の電子は結晶と同じ周期を持って運動していますが、低次元物質において稀に結晶とは異なる周期で電荷と格子が変調する「電荷密度波(CDW)」と呼ばれる電荷配列現象が起こることが、60年以上も前から知られています(図1a)。1955年にルドルフ・パイエルスは、結晶中の電子の運動量分布を表すフェルミ面注10)の形がCDWの形成に密接に関与していると理論的に提案しました。具体的には、結晶の周期とは異なるベクトル量(ネスティングベクトル)によってフェルミ面どうしが繋がることで電子がフェルミ面間を自由に行き来できるようになった結果として、CDWが現れるというものです。多くの物質で現れるCDWはパイエルスの基礎理論で説明できることがわかっていますが、例外物質も報告されており、そのようなCDWの機構解明が長年の課題となっていました。
この問題を解決するためには、人工的に二次元物質を作製して、その電子構造とCDWの有無を調べるのが有効です。そのため、二次元シートが何層も積み重なったバルク層状物質を単層化して、CDWをはじめとしてバルクにはない機能を発現させる取り組みが世界各地で行われています。バルク層状物質の1つであるVS2は、バナジウム原子(V)と硫黄原子(S)の層が積み重なった正八面体型(1T)の構造ユニットを持ち(図1b)、金属的な電気伝導を示すことが知られています。一方、バルクVS2をグラフェンのような薄い二次元シートにした際、どのような物性を示すのかわかっていませんでした。また、他の二次元元物質でよく見られるCDWが発現するかも不明でした。
今回、東北大学の研究グループは、MBE法を用いて原子層2テルル(Te)化バナジウムVTe2を作製した後、原子置換法よってTe原子をS原子に置換して原子層VS2を作製し(図1c)、その電子構造をマイクロARPES(図2a)およびSTM(図2b)を用いて観測しました。その結果、原子層VS2がフェルミ面の全ての領域においてエネルギーギャップ注11)を持つ絶縁体であり(図3a、b)、さらに、1次元的に電荷配列した特異なCDW(図3c)が生じていることを明らかにしました。実験と第一原理計算と比較から、このCDWは、従来のパイエルスの基礎理論で予想されるような単純なネスティングベクトルでは説明できず、それをちょうど2倍した「高次ネスティングベクトル」を考慮してはじめて説明できることがわかりました(図4)。すなわち原子層VS2では、高次ネスティングベクトルによって電子がフェルミ面間を自由に移動することで高いエネルギー利得が生じ、それによってCDWと絶縁体状態が安定化していることが明らかになりました。
本研究は、原子層VS2におけるCDWが新しいメカニズム「高次ネスティングベクトル」により生じることを明らかにしたものです。この結果から他の多くの二次元元物質においても、これまで説明できなかったCDWや類似現象であるスピン密度波の形成メカニズムに、高次ネスティングベクトルが関与していることが示唆されます。今後、高次ネスティングベクトルを取り込んだ理論モデルの構築により、未だによくわかっていない二次元物質におけるCDWの起源や金属-絶縁体転移といった際立った電子伝導現象の起源を解明する研究が進展すると期待されます。また高次ネスティングベクトル機構の制御により、原子層材料を用いたスイッチングナノデバイスなどの応用も考えられます。
図1:(a)一次元金属原子の模式図(上図)と電荷密度波(CDW)状態の模式図(下図)。CDW状態では、電子密度と原子配列が、空間的に長い周期を持つ構造へと変化します。(b)原子層VS2の結晶構造。(c)原子置換法による原子層VS2の作製手順の模式図。MBE法により原子層VTe2を作製後、S原子を蒸着しながら原子層VTe2を加熱することで、Te原子がS原子に置換された結果、原子層VS2が得られます。
図2:(a)マイクロARPESの概念図。高輝度紫外線を物質表面に照射して、放出された光電子のエネルギーと運動量を精密に測定することで、物質の電子構造を決定できます。さらに光のスポットサイズをミクロン単位まで小さくすることで、原子層物質などにおける局所電子構造の決定ができます。(b)STMの概念図。探針と試料間に発生する微弱なトンネル電流を測定することで、表面形状や局所電子状態注6)が観察できます。
図3:(a)原子層VS2における理論計算から得られたフェルミ面。赤実線がフェルミ面、黒線が第一ブリルアンゾーン注12)に対応します。(b)(a)に示したフェルミ面上の点1〜5で測定した光電子強度のエネルギー分布。どの点においてもCDWに由来したエネルギーギャップが観測されます。(c)原子層VS2のSTM像。菱形状の赤線は原子層VS2の単位胞に、白破線はCDWによって現れた超周期構造の単位胞に対応します。
図4:(a)原子層VS2における従来型のネスティングベクトル(g1)によってフェルミ面が繋がる領域を示した模式図。赤丸領域はフェルミ面どうしが重なる箇所、すなわち電子が自由に行き来できる領域を示しています。(b)g1ベクトルを2倍にした高次ネスティングベクトル2g1の場合の模式図。(c)(a)と(b)の両方を足し合わせた際の模式図。(a)や(b)に比べてほぼ全てのフェルミ面が重なっていることがわかります。
本成果は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業さきがけ「原子・分子の自在配列と特性機能」(研究総括:西原寛)における研究課題「MBE・原子置換・パターニングを融合した新原子層材料の創製」(JPMJPR20A8)(研究代表者:菅原克明)、JST戦略的創造研究推進事業CREST「トポロジカル材料科学に基づく革新的機能を有する材料・デバイスの創出」研究領域(研究総括:上田正仁)における研究課題「ナノスピンARPESによるハイブリッドトポロジカル材料創製」(JPMJCR18T1)(研究代表者:佐藤宇史)、日本学術振興会科学研究費助成金などの支援を受けて行われました。
注1. 分子線エピタキシー(Molecular Beam Epitaxy; MBE)法:超高真空槽内に設置したいくつかの蒸着源(材料)を加熱等により蒸発させ、対向した基板上に薄膜を堆積させる手法です。膜厚を原子レベルで制御した高品質な単結晶薄膜が作製できます。
注2. 原子置換(トポタクティック反応)法:物質の基本骨格を保ちながらある元素を異なる元素に置換する手法です。
注3. 高次ネスティングベクトル:電荷密度波の起源は、従来考えられていたネスティングベクトルと呼ばれる、電子がフェルミ面間を繋ぎ行き来することができるベクトルによって説明がされてきました。このベクトルを、2倍・3倍と大きくしたものを「高次ネスティングベクトル」と呼びます。
注4. 電荷密度波(Charge-density Wave; CDW):低次元物質に多く見られる、電子が持つ電荷と格子が、結晶の周期とは異なる長い周期を持って規則的に変調する現象です。半導体、金属、超伝導体などにおける種々の特異物性の発現にも重要な寄与をすることが知られています。
注5. 遷移金属ダイカルコゲナイド:遷移金属がカルコゲン原子に挟まれた構造を持つ二次元シート材料のことです。炭素が蜂の巣格子状に並んだ類似のグラフェンとは異なる多種多様な物性(半導体・超伝導など)を示すことから、グラフェンを超える新たなデバイス開発の基盤材料として注目されています。
注6. 二次元シート(原子層薄膜):原子数個程度の1nm(ナノは1mmの10の-6乗)以下の厚さしか持たず、二次元的に広がったシート状物質の総称です。原子層物質で最も有名なものは、炭素が二次元の蜂の巣状に並んだグラフェンです。
注7. 電子構造(電子状態):固体中の電子は、特定の運動量(質量と速度の積)とエネルギーを持つことが知られています。固体中における電子の運動量とエネルギーの関係で描き出された構造を、電子エネルギーバンド構造、または単に「バンド構造」と呼びます。バンド構造は物質の結晶構造や構成元素によって様々に変化するため、それに伴って電気伝導や磁性などの物質固有の性質が決まります。
注8. マイクロARPES(Angle-resolved Photoemission Spectroscopy; ARPES):物質の表面に紫外線やX線を照射すると、表面から電子が放出されます(外部光電効果)。放出された電子は光電子と呼ばれ、その光電子のエネルギーや運動量を測定することで、物質中の電子状態がわかります。その測定手法を角度分解光電子分光(ARPES)と呼びます。また、その光(放射光)のスポットサイズを10μm程度に絞って精密観測するARPES装置をマイクロARPES装置と呼びます。
注9. 走査トンネル顕微鏡(Scanning Tunneling Microscopy; STM):先が非常に鋭い探針(プローブ)を試料表面に接近させ、プローブと試料表面間に電圧をかけると、両者間にトンネル電流が流れます。この微少なトンネル電流の空間分布を観測することで、表面形状や局所電子状態を観測する実験手法です。
注10. フェルミ面:物質中の電子は、最もエネルギーが低い量子状態から順に占有します。順に全ての電子を埋めていくと、電子が存在する領域と存在できない領域の境界のエネルギー(フェルミエネルギー)が出現します。そのエネルギーにおける運動量空間での電子分布をフェルミ面と呼びます。
注11. エネルギーギャップ:電子が占有する最高のエネルギー準位と、電子が非占有となる最低のエネルギー準位の間のエネルギー差のことで、電子の存在が許されないエネルギー範囲です。エネルギーギャップは、電荷密度波に加えて超伝導などの様々な要因でも生じることが知られています。
注12. ブリルアンゾーン:逆格子空間において、原点から隣り合う逆格子点すべてを結んだ線分の垂直二等分線によって囲まれた多面体のことです。ブリルアンゾーンは電子のエネルギーバンドやフェルミ面を表現するのに便利なため固体物理学で広く用いられています。
タイトル:Charge-density wave associated with higher-order Fermi-surface nesting in monolayer VS2
著者:Tappei Kawakami, Katsuaki Sugawara*, Hirofumi Oka, Kosuke Nakayama, Ken Yaegashi, Seigo Souma, Takashi Takahashi, Tomoteru Fukumura, and Takafumi Sato*
*責任著者:東北大学大学院物理学専攻 准教授 菅原 克明、東北大学材料科学高等研究所 教授 佐藤 宇史
掲載誌:npj 2D Materials and Applications
DOI:10.1038/s41699-023-00395-z
<研究に関すること>
東北大学大学院理学研究科物理学専攻[web]
准教授 菅原 克明(すがわら かつあき)
電話:022-217-6169
E-mail:k.sugawara[at]arpes.phys.tohoku.ac.jp
東北大学材料科学高等研究所[web]
教授 佐藤 宇史(さとう たかふみ)
電話:022-217-6169
E-mail:t-sato[at]arpes.phys.tohoku.ac.jp
<報道に関すること>
東北大学大学院理学研究科
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