東北大学 大学院理学研究科・理学部

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イオンが分子内を高効率で動く仕組みを発見
~新しい化学反応過程の探索や合成手法の開発に期待~

発表のポイント

● 従来、溶液中のプロトン(水素原子イオン)は、複数個の溶媒分子が織りなすネットワークの中でリレーされる機構で移動すると考えられてきました。

● 本研究では、1個の溶媒分子が標的分子のある場所のプロトンを引き抜き、その溶媒分子がプロトンを運んで標的分子の別の場所で放出する機構(ビークル機構)が効率よく起こることを、世界で初めて発見しました。

● この研究成果は従来のプロトン移動の考え方にとらわれない新たな反応過程の発見や合成手法の開発につながる可能性があります。

□ 東北大学ウェブサイト



概要

長い距離をイオンが輸送される現象は、化学、工業、生物学の幅広い分野で重要な役割を果たしています。この長距離原子輸送現象の中でもプロトン(水素原子イオン、H+)が移動する反応は、燃料電池におけるプロトン伝導、細胞膜におけるプロトンポンプなど、様々な過程を担う最も基本的な現象です。

電解質中における長距離プロトン移動の仕組みとして、グロータス機構とビークル機構の2つが提唱されています(図1)。1806年に提唱されたグロータス機構では、水素結合した複数の水分子がプロトンをリレーして輸送します。一方、1982年に提唱されたビークル機構では、H3O+のようなプロトンが付加した1個の水分子の移動によってプロトンが輸送されます。しかし真空中にある1個の分子内をプロトンが動くビークル機構による分子内プロトン移動については全く報告例が無く、研究が進んでいませんでした。

東北大学大学院理学研究科の大下慶次郎助教と美齊津文典教授らの研究グループは、プロトン付加p-アミノ安息香酸(H2NC6H4COOH·H+、 PABA·H+)分子とアンモニア(NH3)の1分子同士を真空中で衝突反応させ、生成物を自作のイオンモビリティー質量分析(注1)装置で観測しました。この実験とab initio分子動力学計算(注2)から、アンモニウムイオン(NH4+)がプロトンの運び役となるビークル機構によって、プロトンが0.6 nmの距離をほぼ100%の効率で移動することを発見しました。

この研究成果はプロトン移動反応の新たな反応過程を探究する学術的な興味にとどまらず、燃料電池で使われるプロトン交換膜のプロトン伝導効率の向上など社会的な貢献につながると期待できます。本研究成果は、2023年9月7日に米国化学会発行のThe Journal of Physical Chemistry Lettersに掲載されました。



詳細な説明

研究の背景

長い距離を原子が輸送される現象は、化学、工業、生物学の幅広い分野で重要な役割を果たしています。長距離原子輸送現象の中でもプロトン移動反応は、細胞膜におけるプロトンポンプ、燃料電池におけるプロトン伝導など、様々な過程を担う最も基本的な現象です。

電解質中での長距離プロトン移動には、グロータス機構とビークル機構という2つの形式が提唱されています。200年以上前に提唱されたグロータス機構では、水素結合した複数の水分子がプロトンをリレーして輸送します。一方、1982年に提唱されたビークル機構では、H3O+のようなプロトン化した単一分子の移動によってプロトンが輸送されます。

これまで、長距離プロトン移動反応を分子レベルで研究するために、真空中に生成した数個の水分子と1個の有機分子からなる分子集合体(分子クラスター)の分光学的研究が活発に行われ、水素結合で結ばれた数個の水分子が関与するプロトンリレー、すなわちグロータス機構が報告されました。しかし真空中でのビークル機構による分子内プロトン移動については全く報告例が無く、研究が進んでいませんでした。


今回の取り組み

本研究グループは、プロトン付加p-アミノ安息香酸分子(PABA·H+)とアンモニア1分子を真空中で2体衝突反応させ、生成物を自作の低温イオンモビリティー質量分析装置により観測しました。その結果、反応前はアミノ基にプロトンが付加したPABA·H+のみが観測されましたが、反応後はカルボニル基にプロトンが付加したPABA·H+が反応生成物として観測されました。この実験と反応経路探索計算から、アンモニアがアミノ基に付加していたプロトンを引き抜いてアンモニウムイオンになり、このイオンがカルボニル基まで移動しプロトンを渡す反応が起きたと解釈しました。すなわち、アンモニウムイオンがプロトンの運び屋となり、ビークル機構による分子内プロトン移動反応(図2)が起きたと結論しました。さらにab initio分子動力学計算により、プロトンを引き抜いて生成したアンモニウムイオンのほぼ全てがカルボニル基まで移動してプロトンを渡すことを発見しました。すなわち、アンモニアによりアミノ基から引き抜かれたプロトンのほぼ全てがカルボニル基まで移動することがわかりました。

このプロトンを高い効率で長距離移動させるプロトン移動反応は本研究グループが世界に先駆けて発表し、この反応の解説記事は日本質量分析学会の会誌賞を受賞しました(参考文献1)。さらにごく最近、海外のグループからも同様のビークル機構によるプロトン移動の続報が報告され、実験と理論計算の両面から注目されています。


今後の展開

本研究は、電解質中でしか見つかっていなかったビークル機構によるプロトン移動が、真空中の1個の分子内で起きることを示した世界初の研究成果であり、200年以上のプロトン移動研究の歴史に新たな第一歩をしるすものです。この研究はプロトン移動反応における分子間相互作用を探究する基礎科学的な興味にとどまらず、燃料電池で使われるプロトン交換膜のプロトン伝導効率の向上につながると期待できます。


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図1. 長距離プロトン移動反応の2種類の機構(Angew. Chem. Int. Ed. Engl., 21, 208 (1982).の図を参考にして作成)。

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図2. プロトン付加アミノ安息香酸の分子内プロトン移動反応。1分子のアンモニア(NH3)がプロトン(H+)を運ぶビークル機構でプロトン移動反応が進む。



謝辞

本研究は、JSPS科研費(JP16K05641, JP21H05418)、鉄鋼環境基金、量子化学探索研究所、ソルト・サイエンス研究財団、東北大学学際科学フロンティア研究所からの助成を受けました。量子化学計算は自然科学研究機構計算科学研究センターを利用して行いました。



参考文献

1. 「プロトン付加分子のイオン移動度質量分析-イオン分子反応による分子内プロトン移動-」
大下慶次郎、宮﨑舜、佐藤良亮、服部圭吾、美齊津文典
J. Mass Spectrom. Soc. Jpn., 70(1), 36-42 (2022).
DOI: 10.5702/massspec.S22-07



用語説明

注1. イオンモビリティー質量分析:真空中でのイオンとヘリウムガスとの衝突を利用してイオンの構造を決定する分析手法。本研究では、ヘリウムガスを液体窒素を用いてマイナス190 ℃に冷却することで、プロトン移動反応で生成したイオンの構造を精密に決定しました。
注2. ab initio分子動力学計算:分子内の原子に働く力を計算し、その力をもとにニュートンの運動方程式を解き、分子の運動をシミュレートする方法です。本研究では、非経験的(ab initio)な量子化学計算を用いることで、力場などの経験的なパラメータが不要な高精度の化学反応シミュ レーションを行いました。



論文情報

タイトル:Highly Efficient Intramolecular Proton Transfer in p-Aminobenzoic Acid by a Single Ammonia Molecule as a Vehicle
著者:Keijiro Ohshimo*, Ryosuke Sato, Yuya Takasaki, Kengo Tsunoda, Ryosuke Ito, Manabu Kanno, Fuminori Misaizu*
*責任著者:東北大学大学院理学研究科 助教 大下慶次郎、教授 美齊津文典
掲載誌The Journal of Physical Chemistry Letters
DOI10.1021/acs.jpclett.3c01996



問い合わせ先

<研究に関すること>
東北大学大学院理学研究科化学専攻
助教 大下 慶次郎(おおしも けいじろう)[web]
TEL:022-795-6579
Email:ohshimo[at]tohoku.ac.jp

東北大学大学院理学研究科化学専攻[web]
教授 美齊津 文典(みさいづ ふみのり)
TEL:022-795-6577
Email:misaizu[at]tohoku.ac.jp

<報道に関すること>
東北大学大学院理学研究科
広報・アウトリーチ支援室
TEL:022-795-6708
Email:sci-pr[at]mail.sci.tohoku.ac.jp
*[at]を@に置き換えてください



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