● ブラックホール周辺のガスの流れである降着円盤(注1)の複雑な乱流構造を、史上最高解像度のシミュレーションで解明し、大きな渦と小さな渦をつなぐ「慣性領域(注2)」の再現に初めて成功しました。
● 慣性領域において「遅い磁気音波(注3)」が支配的であることを発見し、降着円盤内でイオンが選択的に加熱される理由の説明を可能にしました。
● 電波望遠鏡によるブラックホール近傍の観測データの物理的解釈をより高精度に行えることが期待されます。
ブラックホールは降着円盤と呼ばれる回転するガスに取り囲まれており、このガスは複雑な乱流状態にあります。しかし、その性質は長年謎に包まれていました。
東北大学学際科学フロンティア研究所(FRIS)の川面洋平助教(現・宇都宮大学データサイエンス経営学部准教授および東北大学大学院理学研究科客員研究員)とFRISの木村成生助教(同大学院理学研究科兼務)は、理化学研究所の「富岳」(注4)や国立天文台の「アテルイII」(注5)などのスーパーコンピュータを駆使して従来にない極めて高解像度のシミュレーションを実施し、降着円盤の乱流が持つ物理的性質を明らかにしました。
特に注目すべきは、大きな渦と小さな渦をつなぐ「慣性領域」において「遅い磁気音波」と呼ばれる縦波が支配的に存在することを発見したことです。この発見により、降着円盤内でなぜ電子よりプラス電荷のイオンの方が効率的に加熱されるのかという観測事実の理論的説明が可能になりました。この研究成果は、2019年4月にブラックホールの影の撮影成功を発表したイベント・ホライズン・テレスコープ(注6)による観測データの解釈にも重要な示唆を与えるものです。
本研究成果は科学誌Science Advancesに2024年8月28日(米国東部夏時間)付で掲載されました。
ブラックホールは宇宙で最も謎めいた天体の一つです。その周りには、プラズマ状のガスが回転しながら落ち込む「降着円盤」と呼ばれる構造が形成されます。この降着円盤は極めて高温で、複雑に乱れた電磁場を持つ乱流状態にあることが知られています(図1)。
降着円盤の乱流は、ガスの角運動量を外側に運び出し、ブラックホールへの物質の落下を可能にしています。また、この乱流は粒子を加熱し、高エネルギー化することで、私達が地球上で観測できる電磁波を生み出しています。しかし、この乱流の詳細な性質、特に大きなスケールの渦と小さなスケールの渦をつなぐ「慣性領域」の物理的性質については、長年謎に包まれていました。この謎の答えは、ブラックホール近傍の電波観測データを解釈する上で重要となります。
私達が観測できる電磁波は、降着円盤中の電子から発せられるため、乱流によって電子とイオンのどちらがより強く加熱されるかによって電磁波の強度や分布が変わります。そのため、慣性領域の性質を明らかにし、イオンと電子のエネルギー配分を理論的に決める必要があります。特に、「アルヴェーン波」と呼ばれる横波と「遅い磁気音波」と呼ばれる縦波(図2)が、どれくらいの割合で慣性領域に存在するかという問題が重要となります。川面助教らの以前の研究で、遅い磁気音波が支配的だった場合、イオンが選択的に加熱されることが示されていました。
ではなぜ、長い間、降着円盤の慣性領域の物理的性質が未解明だったかというと、これまでのコンピュータ性能では十分な解像度のシミュレーションを行うことが困難だったためです。
本研究では、「富岳」を含む最先端のスーパーコンピュータを駆使し、これまでにない高解像度のシミュレーションを実施しました。また、このシミュレーションでは、「擬スペクトル法」(注7)と呼ばれる乱流の解析に適した手法を用いて、かつ富岳が持つ大規模な並列計算性能を活かすことのできる独自開発コードが使われています。このシミュレーションにより、降着円盤におけるプラズマ乱流の慣性領域を初めて詳細に観察することに成功しました(図3左)。
シミュレーションの結果、慣性領域の物理的性質に関して以下の2つの重要な発見がありました(図3右)。まず、渦のサイズが小さくなるにつれて、運動エネルギーと磁気エネルギーが当分配され、磁場と流れ場の区別がつかなくなることが分かりました。次に、慣性領域では「遅い磁気音波」が支配的であり、「アルヴェーン波」の約2倍のエネルギーを持っていることが明らかになりました。
この発見は、降着円盤内では電子よりイオンの方が効率的に加熱されているという結果を導きます。このことは、これまで観測によって得られていた事実を説明することが出来ます。
また、降着円盤と同様に電子とイオンからなる太陽風では、これまで人工衛星観測によって、運動エネルギーと磁気エネルギーが当分配された状態が観測されていました。従って、エネルギー当分配状態は宇宙空間に存在する乱流に普遍的な性質であることを示唆しています。一方で、太陽風ではアルヴェーン波が支配的であることも観測されており、本研究による発見はそれと正反対であるため、降着円盤の乱流と太陽風の乱流の本質的な違いが明らかになったと言えます。
今回の研究成果は、ブラックホール周辺の物理現象の理解を大きく前進させるものです。特に以下の2つの点で重要な意味を持ちます。1つ目は、2019年にブラックホールの影の撮影に成功したイベント・ホライズン・テレスコープの観測データを理解する上で、重要な手がかりとなることです。具体的には、例えばブラックホールの回転速度をこれまでより高精度に決定できるようになると期待できます。2つ目は、高エネルギー宇宙線の生成メカニズムの解明に貢献できることです。降着円盤では、乱流状態の電磁場と荷電粒子が相互作用し、一部の粒子が極めて高エネルギーに加速されます。このような高エネルギー粒子が、長年の謎である高エネルギー宇宙線の源になっているのではないかと期待されています。本研究によって解像された慣性領域における粒子の運動を調べることで、詳細な加速メカニズムを明らかにし、宇宙線起源の謎に迫ることができる可能性があります。
今後は、今回の研究結果をもとに、さらに多くのパラメータ設定でのシミュレーションや観測データとの詳細な比較が進められることが期待されます。これにより、ブラックホール周辺の極限環境下での物理現象の理解がさらに深まり、宇宙物理学の発展に大きく貢献することが期待されます。川面助教は「これまで降着円盤の乱流で慣性領域を数値シミュレーションで観測することは不可能と考えられていました。今回の発見が、降着円盤研究のフロンティア開拓につながることを楽しみにしています」とコメントしています。また木村助教は「これまでよりも詳細にブラックホール周囲の物理状態が明らかとなりました。この結果を利用して、ブラックホール周囲での極限現象、特に高エネルギー宇宙線や宇宙ニュートリノの起源や生成機構の理解が深まると期待しています」とコメントしています。
図1. ブラックホール降着円盤のイメージ図と本研究で行った高解像度シミュレーションによって得られた磁場揺動分布。大きいスケールの渦が分裂していき、細かいランダムな渦構造が生まれる。(クレジット:川面洋平)
図2. 降着円盤に存在する2種類の波 ― アルヴェーン波(左)と遅い磁気音波(右) ― の比較。アルヴェーン波は磁力線の振動を伴う横波で遅い磁気音波は磁場強度の強弱(すなわち磁力線間隔の粗密)が伝わる縦波。
図3. (左)あるスケールから別のスケールに渡るエネルギーフラックス。慣性領域では、この値は一定になる。この図では横軸の値が4から400程度まで一定値になっているので、慣性領域中の100倍大きさが違う渦を解像出来ていることになる。(右)あるスケールのゆらぎが持っているエネルギー。実線は遅い磁気音波、破線はアルヴェーン波。遅い磁気音波のエネルギーの方がアルヴェーン波のエネルギーより大きい(その差が約2倍)。また、横軸の値が100を超えたあたりから、遅い磁気音波注の磁場成分(緑)と流れ場成分(ピンク)が一致している。すなわち磁場エネルギーと運動エネルギーが当分配されている。
本研究はJSPS科学研究費補助金(No. JP20K14509、No. JP 22K14028、No. JP 21H04487、No. JP 23H04899)の助成を受けたものです。また、本研究の数値シミュレーションは理化学研究所計算科学研究センターの「富岳」(課題ID: hp220027、hp230006)、国立天文台天文シミュレーションプロジェクトの「アテルイII」、東京大学情報基盤センターの「OakbridgeCX」、「Oakforest-PACS」および「Wisteria/BDEC-01」、名古屋大学情報基盤センターの「不老」、九州大学情報基盤研究開発センターの「ITO」を使用して行われました。
注1. 降着円盤:ブラックホール、中性子星、原始星などの重力源となる中心天体の周りを回転するガスの流れ。ガスはイオンと電子が電離したプラズマ状態にある。乱流によってガスの角運動量保存が破られるために、完全な楕円運動を描かずに徐々に中心天体に向かって落下する。このとき同時に、重力ポテンシャルエネルギーを熱エネルギーへと変換し高温に加熱される。高温になったプラズマはX線などの電磁波を放射する。
注2. 慣性領域:一般的に3次元空間における乱流では、大きいスケールにおいて渦が作られ、その渦が小さな渦へと分裂していく。最終的にミクロなスケールにおいて渦が消え、そのエネルギーが粒子の熱エネルギーへと変換される。このとき、渦が作られる大きいスケールと渦が消える小さいスケールの中間を慣性領域という。慣性領域では、単位時間あたりにあるスケールからあるスケールへと輸送されるエネルギー(これをエネルギーフラックスと呼ぶ)がスケールによらず一定となる。
注3. 遅い磁気音波とアルヴェーン波:降着円盤には3つの波が存在する。1つ目は磁力線が弦のように振動する「アルヴェーン波」。2つ目は磁場の強弱が伝わる「遅い磁気音波」。そして3つ目が私達に馴染み深い「音波」である。降着円盤では音波はプラズマと相互作用をあまりしないで高速に伝わり逃げていくのであまり重要ではない。アルヴェーン波は太陽風において支配的に存在することが確認されている。また、過去の研究から遅い磁気音波はイオンを選択的に加熱することが分かっている。
注4. スーパーコンピュータ「富岳」:理化学研究所と富士通が共同開発したスーパーコンピュータ。2020年から2022年まで世界最速。
注5. スーパーコンピュータ「アテルイII」:国立天文台が運用するシミュレーション天文学専用のスーパーコンピュータ。国立天文台水沢キャンパス(岩手県)に設置されており、3.087ペタフロップスの理論演算性能を持つ。
注6. イベント・ホライズン・テレスコープ:地球規模の電波望遠鏡ネットワークを用いて、銀河中心の超巨大ブラックホールの撮影をする国際プロジェクト。これまでM87銀河と天の川銀河にあるブラックホールが作る影を捉えることに成功している。
注7. 擬スペクトル法:乱流の解析に適した数値シミュレーション手法。降着円盤の乱流シミュレーションで広く使われている有限差分法や有限体積法では、空間を格子状に離散化し、それぞれの格子点における揺らぎの時間発展を計算するが、擬スペクトル法では有限個の波の重ね合わせで乱流を表現し、それぞれの波の振幅の時間発展を解く。これにより高精度な計算が可能になる。
タイトル:Inertial range of magnetorotational turbulence
著者:Yohei Kawazura* and Shigeo S. Kimura
*責任著者:東北大学学際科学フロンティア研究所 助教 川面 洋平
(現・宇都宮大学データサイエンス経営学部准教授および東北大学大学院理学研究科客員研究員)
掲載誌:Science Advances
DOI:10.1126/sciadv.adp4965
<研究に関すること>
東北大学 学際科学フロンティア研究所[web]
東北大学 大学院理学研究科天文学専攻[web]
助教 木村 成生(きむら しげお)
Email: shigeo[at]astr.tohoku.ac.jp
<報道に関すること>
東北大学 学際科学フロンティア研究所 企画部
特任准教授 藤原 英明(ふじわら ひであき)
TEL: 022-795-5259
Email: hideaki[at]fris.tohoku.ac.jp
*[at]を@に置き換えてください