● 代表的な量子物質(注1)である酸化バナジウム(III)のナノ結晶において、光照射で結晶方位が変化する逆強弾性転移(注2)が、従来の熱膨張を介する過程よりも100倍高速に起こることを発見しました。
● 高速な構造変化の機構が、量子物質が示す光誘起絶縁体―金属転移によるひずみ波の伝搬であることを解明しました。
光による固体の結晶構造(対称性)の変化は、非接触の超音波トランスデューサー(注3)など光ー力学エネルギーの高速変換の原理として産業応用されることが期待されています。しかし現在の技術は熱膨張を介しているため、ナノ(10億分の1)秒以下の高速、言い換えるとギガ(10億)ヘルツ以上の高い周波数での応答は困難でした。
東北大学大学院理学研究科の岩井伸一郎教授と天野辰哉助教、名古屋大学大学院工学研究科の岸田英夫教授、仏レンヌ第一大学物理学科/仏国立科学研究センター(CNRS)のMaciej Lorenc 博士とHerve Cailleau教授、仏ナント大学Jean Rouxel材料研究所/CNRSのEtienne Janod 博士らの国際研究グループは、モット絶縁体(注4)と呼ばれる量子物質のナノ結晶を用いることにより、巨視的な結晶対称性の変化(逆強弾性転移)が、3 ピコ(1兆分の1)秒という、熱膨張を介する場合の100分の1の短時間で完了することを発見しました。こうした高効率、超高速な構造変化は、新規な光音響デバイスの原理として応用が期待できます。
この成果は科学誌Nature Physicsに2024年9月17日にオンライン掲載されました。
ジルコン酸チタン酸鉛(PZT)やニオブ酸リチウムなどの圧電体に電界を印加すると、圧電体がわずかにゆがむことが知られています。こうした光や電場、磁場による物質の結晶構造の変化は、電磁場-力学エネルギーの変換手法として、超音波トランスデューサーやピエゾ素子(圧電素子)(注5)などへ応用されています。中でも光による構造変化は、光超音波などによって非接触で精密な操作や検出を可能にします。しかし、現在の光超音波は、金属の熱膨張や熱的相転移といったナノ秒時間スケールの応答を原理としているため、超短パルスレーザーが持つ高速性(ピコ秒、フェムト秒という超短時間間隔で光照射が可能)を十分に活かすことができていません。
一方で近年、エキゾチックな電気伝導性や強誘電性、磁性を持つことから、量子物質が注目されています。特に物質の温度上昇を経ない(非熱的な)、超高速構造変化を目指した研究が世界中で進められています。その一つがコヒーレントフォノン(光励起による位相の揃ったフォノンの励起)を介した構造変化です。ブルーブロンズ(注6)や遷移金属ダイカルコゲナイド(注7)では、コヒーレント光学フォノン(注8)の非線形励起が、巨視的な構造相転移を生じることも知られています。
今回、国際研究グループは、より低周波数(長波長)の音響フォノン(注8)に注目し、光励起状態が音響フォノンと結合することで形成されるひずみ波が、量子物質の結晶構造(対称性)の変化を極めて高速(熱的な変化の約100倍)に引き起こすことを発見しました(図1)。
V2O3は、転移温度Tcが150 K(ケルビン、約-127℃)以下で構造が変化し、菱面体構造(図2(b))の金属相から、単斜晶構造(図2(a))のモット絶縁体相へと金属-絶縁体転移を起こします。これまでにも、エピタキシャル成長させた同物質の単結晶薄膜に対する光照射の実験は数多く行われてきましたが、全てTc直下で行われ、光照射による熱的な相転移が注目されてきました。本研究の重要なポイントの一つは、ナノ結晶薄膜(注9)(ナノ結晶ドメインの平均粒径~20 nm、薄膜の膜厚100および 270 nm)を用いたこと(図3)に加えて、熱的な相転移の可能性を排除するために10 K((ケルビン)、約-263℃)の低温で測定を行ったことです(※)。
図4(a)に、近赤外フェムト秒パルスを10 K(絶縁相、単斜晶)で照射した後の反射率変化{ΔR/R;定常反射率R(上枠)で規格化した、光照射前後の差分反射率(正が反射率増加)}のスペクトルを示します。低エネルギー側に向かって大きく増加するΔR/Rの形状は、絶縁体-金属転移(温度上昇による熱的な相転移)を反映するスペクトル変化(黒線)と絶対値も含めて一致しています。このことから、ナノ結晶薄膜の光照射部が、非熱的な(熱膨張を介さない)過程によって、100%金属相に変化していることがわかります。このとき、図4(b)に示す時間分解X線回折の結果(光励起後100 ピコ秒)により、単斜晶から菱面体結晶への対称性の変化((116)H回折ピークの線幅の減少)と体積の減少((110)HBragg回折ピークの高波数シフト)が明瞭に観測できました。
以上の過渡反射率変化及び時間分解X線構造解析の結果から、V2O3ナノ結晶の光励起によって、温度相転移と同様な100%の絶縁体ー金属転移が起きていることがわかりました。
V2O3において転移温度(~150 K、~約-123℃)よりも十分に低温下で(熱的な転移が起きない条件下で)非熱的な100%の光誘起絶縁体ー金属転移が確認されたのは、これが初めての例です。これは、ナノ結晶薄膜を用いたことで初めて実現できたものと考えられます(※)。 図5(a)(b)に、時間分解X線回折から得られた対称性の変化(図5(a):(116)H)と体積の減少(図4(b):(110)H)の時間発展を示します。単斜晶から菱面体への対称性の変化(図5(a))は、3 ピコ秒以内に完了し、熱的な過程に比べて100倍程度も高速に完了することがわかりました。一方、図4(b)に示す体積の減少は、対称性の変化が完了した後、およそ10 ピコ秒程度の時間が経過した後に開始し、16 ピコ秒(膜厚106 nm)あるいは40 ピコ秒(膜厚270 nm)程度の時間を要して進行しています。この過程も熱膨張に比べれば一桁程度高速なものです。
時間分解X線構造解析で観測した対称性の変化(< 3 ピコ秒)と体積減少(16 ピコ秒(106 nm))に要する時間は、ナノ結晶のドメイン内(平均粒径20 nm)と薄膜の厚さ方向(106 nm)を伝搬する時間にほぼ対応します。このことは、図3に模式的に示すようにひずみ波が、横波音波(< 3 ピコ秒:ドメイン内)や縦波音波(16 ピコ用:ドメイン間、薄膜内)としてコヒーレントに(位相が揃った波として)伝搬し、対称性の変化(< 3ピコ秒)と体積減少(16 ピコ秒)を「駆動」していることを意味しています。
図5(c)に示す反射率変化(絶縁体―金属転移)の時間発展(膜厚106 nm)を、上記の構造変化と比較してみると、反射率変化に見られる~1 ピコ秒の高速な初期応答は、対称性の変化と対応しており、その後の30 ピコ秒程度まで緩やかな変化は、体積の減少と符合しています。すなわち、V2O3において観測された高速(< 3 ピコ秒)な結晶対称性の変化は、ナノドメイン内の絶縁体ー金属転移という量子物質特有の効果(電子の強相関効果)によって可能になったと考えられます。
量子物質(モット絶縁体)の代表物質であるV2O3のナノ結晶において、熱膨張による機構よりも100倍以上高速な結晶対称性の変化を発見しました。
この高速な光誘起構造変化は、コヒーレントなひずみ波によって、絶縁体ー金属転移がナノ結晶中やナノ結晶間を伝搬することで生じます。こうした高効率、超高速な構造変化は、光音響デバイスの原理として応用が期待できます。
本研究で見出されたモット絶縁体におけるコヒーレントなひずみの伝搬(=絶縁体ー金属転移)による構造変化の機構は、まだ解明されたわけではありません。この機構のトリガーとなる光励起そのものは、わずか数フェムト秒 (1フェムト秒は、10のマイナス15乗秒、近赤外光(波長1.5ミクロン)の電磁場振動の約1/4周期に相当)で生じますが、その後、ひずみ波がどのように形成されるのかは、まだわかっていません。
研究グループは現在、パルス幅6 フェムト秒という更に短い極超短パルス光を用いた実験から、構造変化の前駆現象として光キャリアとフォノンとの相互作用によるポーラロンの非線形ダイナミクスが重要な役割を担っていると考えています。今後研究グループは、100アト秒(アトは10のマイナス18乗)ー10 フェムト秒領域の光学測定や~数十 フェムト秒領域の時間分解X線構造解析により、より短い時間における真の初期過程の解明を目指します。
※ V2O3においてこの温度での光照射では、温度変化による相転移は起きない(熱量的に転移温度に到達しない)。単結晶、薄膜(エピタキシャル成長膜)など試料形状に依らず、転移温度よりも十分な低温において、100%の相転移が観測されたことはこれまでにない。本研究グループは、ナノ結晶薄膜だけでなく、単結晶でも同様の実験を行ったが、薄膜のような100%の光誘起相転移は観測できなかった。光励起されている領域は結晶の一部であり、周りの非励起領域によって巨視的な構造変化が「クランプ」されているためと考えられる。ナノ結晶薄膜では、平均粒径40 nm(ドメイン2個分)のグレーン間は、よりフレキシブルにつながっているため構造変化に伴う応力は緩和すると考えられる。
図1.モット絶縁体V2O3の圧力ー温度相図と本研究で行った「コヒーレントなひずみ波が誘起する結晶対称性変化」の模式図。V2O3は圧力や温度の変化によって構造が変化し、絶縁体や金属のように相が変化する。モット絶縁体(単斜晶、図中の黄緑色の立体)にフェムト秒レーザーパルス(図中赤色の振動波形)を照射することによって金属(菱面体、図中のオレンジ色の立体)への変化、すなわち絶縁体ー金属転移が起きており、ひずみ波(圧力減少の波、図中白色の伝搬波形)のコヒーレント伝搬による高速な強弾性転移(単斜晶→菱面体)が起きていることがわかった。
図2.V2O3の結晶構造。同じ分子式でも原子の並び方や原子同士の角度に違いがあり、それぞれ性質が異なっている。(a)モット絶縁体(低温相、単斜晶)。(b)金属(高温相、菱面体)
図3.ひずみ波によるナノ結晶の光誘起構造変化のメカニズム。図中のモザイクタイル1ピースは、ナノ結晶(ドメイン: 平均粒径20 nm)を表す。絶縁体(単結晶、左側の水色の立体)にフェムトレーザーパルス(赤い振動波形)が照射されると、まず、単斜晶(水色)から菱面体(緑色)への対称性の変化が、ナノ結晶内の横波音波の伝搬として起こる。その後ナノ結晶の体積の減少が、ナノ結晶間の縦波音波(薄膜の厚さ方向)の伝搬として進行する(緑色→オレンジ色)。
図4.(a)過渡反射率変化(ΔR/R)スペクトル(赤丸:絶縁体ー金属転移の電子状態の変化を反映)、温度上昇に伴う相転移において観測される反射率変化(黒線)。上枠は、10K(絶縁相)と300 K(金属相)の定常反射スペクトル。 (b)時間分解X線構造回折実験で得られた過渡回折(上枠:青は光照射なし、赤は光励起語100 ピコ秒、下枠:光励起前後の差分)
図5.(a)対称性変化{(116)H回折ピーク}の時間発展 赤:膜厚106 nm、青:膜厚270 nm。(b)体積減少{(110)HBraggピーク}の時間発展。(c)絶縁体ー金属転移{過渡反射率変化(ΔR/R)}の時間発展。
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「キャリアエンベロープ位相制御による対称性の破れと光機能発現」(研究代表者 岩井伸一郎JPMJCR1901)、および文部科学省 光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)基礎基盤研究「強相関量子物質におけるアト秒光機能の開拓」(研究代表者 岩井伸一郎JPMXS0118067426)の助成を受けて行われました。
注1. 量子物質:電子の量子多体効果や、幾何学特性が支配する機能性物質(例えば前者は強相関電子系、後者はいわゆるディラック電子系、トポロジカル絶縁体など)は、近年総称して、量子物質と呼ばれている。電子が持つ多自由度(電荷、スピン、軌道)やそれらの間の相互作用を利用した機能も注目されている。本研究の舞台となるモット絶縁体は、量子物質(強相関電子系)の代表物質である。
注2. (逆)強弾性転移:結晶に外部から応力がかかっていない状態において、結晶構造が複数の(準)安定配置(対称性)を持ち、応力によってそれらの構造間で相転移を示すことを強弾性という。例えば、強誘電体KH2PO4は、強弾性を示す(対称性の高い構造から低い構造への転移を強弾性転移、逆方向の転移を逆強弾性転移と呼ぶ)。結晶対称性の変化は、しばしば電気分極を変化させるので、強誘電体との関係が議論されることも多いが、(V2O3のように)必ずしも強誘電性を示すわけではない。
注3. 超音波トランスデューサー:超音波洗浄機や超音波アトマイザーは、電歪材料や磁歪材料(電場や磁場で構造がひずむ物質:ピエゾ素子は電歪物質)を、時間的に振動する電場の周期的な振動で駆動させることを原理としている。こうした物質では、「力学的(機械的)な刺激によって電圧が生じる」という上記の逆過程も起こり、超音波センサーの原理として、このような電磁気学的なエネルギーと力学的なエネルギーを変換する装置を一般的に超音波トランスデユーサー(変換器)と呼んでいる。
注4. モット絶縁体:バンド理論に従えば、単位胞あたりの電子数が奇数個の場合(バンドが部分的にしか電子で満たされていない場合)、結晶は金属である。ところが、一部の遷移金属化合物や有機物では、電子数が奇数であるにもかかわらず、電子間クーロン斥力によるエネルギー損失を避けるために、各原子や分子上に局在する。このような電子相関に起因する絶縁体はモット絶縁体と呼ばれる。モット絶縁体では、クーロン斥力による局在化エネルギーと電子の運動エネルギーが拮抗しているため、バンドの占有数や圧力の印加によって絶縁体から金属へ転移する(モット転移)。
注5. ピエゾ素子(圧電素子):電歪物質では、電圧の印加によって物質の形状や体積が変化する(例えば伸び縮みする)。このような物質を用いて物質の大きさを電気的に変化させる装置を(大きさを変えることによって電圧を発生させる逆過程も含めて)をピエゾ(圧電)素子と呼ぶ。電磁誘導などによるモーターでは難しい、ナノメータ―スケールの微動などに威力を発揮している。
注6. ブルーブロンズ:A0.3MoO3(AはKなどのアルカリ金属)は、青銅色光沢を示すことからこのように呼ばれる。注7の遷移金属ダイカルコゲナイドと同様に、パイエルス転移(低次元性に起因する電子的な不安定性による金属-絶縁体転移)を示すことで知られる。
注7. 遷移金属ダイカルコゲナイド(TMD):グラフェンと類似の原子層物質。遷移金属がカルコゲン原子に挟まれた構造を持つ。グラフェンは金属的伝導特性を示すが、TMDはバンドギャップを持つ半導体特性を示ことから半導体デバイス分野への応用が期待されている。
注8. 光学フォノン、音響フォノン:固体中の原子は、多数の固有振動モードを持つが、そのうち、隣接する原子が逆方向(逆位相)で振動するモードを光学モード、同方向(同位相)のものを音響モードという。光学モードは、上記の理由のため、比較的高周波の固有振動を持つのに対し、音響フォノンは、低周波を含む幅広いエネルギー分散を持つ。この音響フォノン分散の(波数-エネルギーの関係)の傾きが、音速に対応する。
注9. ナノ結晶薄膜:本研究で用いたナノ結晶薄膜(平均ドメイン粒径20 nm、膜厚 106 nm, 270 nm)の電気伝導性や結晶構造の温度依存性は、単結晶と大差ない。従って、ドメイン内の微視的な電子状態や結晶構造は、単結晶と類似のものと考えてよい。
タイトル:Propagation of insulator-to-metal transition driven by photoinduced strain waves in a Mott material(モット物質における光誘起歪波による絶縁体―金属転移の伝搬)
著者:Tatsuya Amano1, Danylo Babich2, Ritwika Mandal3, Julio Guzman-Brambila2,3,8, Alix Volte3,6,8, Elzbieta Trzop3,9, Marina Servol3,9, Ernest Pastor3,9, Maryam Alashoor3, Jörgen Larsson6,7, Andrius Jurgilaitis6, Van-Thai Pham6, David Kroon6, John Carl Ekström6, Byungnam Ahn6, Céline Mariette8, Matteo Levantino8, Mickael Kozhaev8, Julien Tranchant2,9, Benoit Corraze2,9, Laurent Cario2,9, Mohammad Dolatabadi2, Vinh Ta Phuoc4,9, Rodolphe Sopracase4, Mathieu Grau4, Hirotake Itoh1,9, Yohei Kawakami1,9, Yuto Nakamura5, Hideo Kishida5, Hervé Cailleau3,9,*, Maciej Lorenc3,9*, Shinichiro Iwai1,9*, Etienne Janod2,9*
1 Department of Physics, Tohoku University, Sendai 980-8578, Japan
2 Nantes Université, CNRS, Institut des Matériaux de Nantes Jean Rouxel, IMN, F-44000 Nantes, France
3 Univ Rennes, CNRS, IPR (Institut de Physique de Rennes) - UMR 6251, 35000 Rennes, France
4 GREMAN--UMR 7347 CNRS, Université de Tours, Tours, France
5 Department of Applied Physics, Graduate School of Engineering, Nagoya University, Nagoya, Aichi 464-8603, Japan
6 MAX IV Laboratory, Lund University, P.O. Box 118, SE-221 00 Lund, Sweden
7 Department of Physics, Lund University, P.O. Box 118, SE-221 00 Lund, Sweden
8 ESRF, The European Synchrotron, 71 Avenue des Martyrs, CS40220, 38043 Grenoble Cedex 9, France
9 CNRS, Univ Rennes, DYNACOM (Dynamical Control of Materials Laboratory) - IRL2015, The University of Tokyo, 7-3-1 Hongo, Tokyo 113-0033, Japan
*責任著者:東北大学大学院理学研究科 教授 岩井伸一郎
掲載誌:Nature Physics
DOI:10.1038/s41567-024-02628-4
<研究に関すること>
国立大学法人東北大学大学院理学研究科物理学専攻[web]
教授 岩井 伸一郎(いわい しんいちろう)
Email:s-iwai[at]tohoku.ac.jp
<報道に関すること>
東北大学大学院理学研究科 広報・アウトリーチ支援室
TEL:022-795-6708
Email:sci-pr[at]mail.sci.tohoku.ac.jp
*[at]を@に置き換えてください