● BiFeO3結晶薄膜を、時間幅100 fs(10兆分の1秒)の光パルスで励起することで、分極の大きさをパルス幅以内の時間で、室温でも操作できることを実証。
● 最新の時間分解構造測定装置を用いて、光励起による新しい格子の振動(フォノン)が生じ、分極変化の原因となっていることを確認。
● 理論的検討で、光励起で生じた格子の振動が、分極と磁性両方を変化させると考察。
東京科学大学(Science Tokyo)理学院 化学系の田久保耕特任助教(現早稲田大学客員研究員)と腰原伸也教授、総合研究院の重松圭助教、東正樹教授、筑波大学数理物質系の羽田真毅准教授、東北大学大学院理学研究科の小野淳助教、名古屋大学未来材料・システム研究所の桒原真人教授、名古屋工業大学生命・応用化学類の浅香透准教授らの研究チームは、マルチフェロイック物質(用語1)であるBiFeO3の単結晶薄膜を、時間幅100 fs(10兆分の1秒)の光パルス(用語2)で励起し、誘電分極(用語3)の大きさがパルス幅の時間以内で室温においても操作できることを確認しました。また、電子線パルスを用いた最新の構造測定装置(用語4)の観測結果と理論的解析から、光で注入された励起電子が周囲に新しい格子の振動(フォノン:結晶中の波)(用語5)を生み出し、分極を変化させていることを解明しました。
各種情報処理の高度化に向け、誘電分極や磁性を使った電子記録デバイスには、高速化が要求されています。このためには100 fs以内で結晶構造が変化する物質の探索が課題でした。問題解決の一案として、電子とフォノンが強く結合した(ドレスド)状態による分極やスピン状態(磁性の起源)を超高速制御する理論的アイデアが小野助教によって提案されました。本研究では光励起によってドレスド状態が室温のBiFeO3結晶薄膜内に実際に出現し、超高速の分極・磁性の制御が可能となることを示しました。強誘電・磁気メモリーデバイスの100 fs秒以下での超高速制御、さらには光情報と電子情報とを超高速に直接変換することが室温で可能となると期待されます。
本研究成果は、12月4日付の「Communications Materials」に掲載されました。
光励起でマルチフェロイック結晶(BiFeO3)中に生じた励起状態の電子(球体)が、周囲の結晶を波立たせ(新しいフォノンの生成に対応)、電子とフォノンが結びついたドレスド状態を生み出す様子。本結晶の特性でありメモリーデバイスの根幹となる強誘電性と磁性を、ドレスド状態が超高速で変化させます。
各種情報処理の高度化に向け、誘電分極や磁性を使った電子記録デバイスの高速化に対する要求が高まっています。デバイス高速化のためには、結晶構造を素早く変化させる必要がありますが、特に100 fs(10兆分の1秒)以内で構造を変化させられる物質の探索が課題でした。この問題を解決する一案として、マルチフェロイック物質を光励起し、局所的に電子を注入する手法が検討されています。電子の注入に伴い、周囲の結晶格子が一気に変化し、電子と結晶の振動(フォノン)の強結合(ドレスド)状態が実現するという理論予測が、本研究チームの小野助教(東北大)によって行われました。小野助教の予測が実現すれば、誘電分極やスピン状態(磁性の起源)を超高速で変化させられます。本研究では、予測されていたドレスド状態が光励起によって室温のマルチフェロイック(BiFeO3)結晶薄膜内で実現し、分極の超高速制御が可能となっていることを実証しました。
図1左に、研究に用いた典型的マルチフェロイック物質であるBiFeO3結晶薄膜の構造を示します。図中に緑色の線で示す酸素8面体の中にFe(鉄)原子が存在します。このFeが8面体の中心からずれるひずみ(図中QFEの青矢印が変位の方向をあらわす)が分極の発生と密接に関係します。分極の大きさは、第二高調波発生(SHG)の強さ(SH光強度)を用いて観測することができます。また2つの8面体が相対的に回転するひずみ(図中QAFDの赤矢印)がFe原子間の磁気的な相互作用の大きさ等に密接に関連し、磁性を支配しています。
図1左に、研究に用いた典型的マルチフェロイック物質であるBiFeO3結晶薄膜の構造を示します。図中に緑色の線で示す酸素8面体の中にFe(鉄)原子が存在します。このFeが8面体の中心からずれるひずみ(図中QFEの青矢印が変位の方向をあらわす)が分極の発生と密接に関係します。分極の大きさは、第二高調波発生(SHG)の強さ(SH光強度)を用いて観測することができます。また2つの8面体が相対的に回転するひずみ(図中QAFDの赤矢印)がFe原子間の磁気的な相互作用の大きさ等に密接に関連し、磁性を支配しています。
図1 左:研究に用いた典型的マルチフェロイック物質:BiFeO3結晶薄膜の構造。光エネルギー3.1 eVのパルス光を用いた、鉄原子と酸素原子の間の電荷移動励起を、本研究では利用(CT excitation (3.1 eV) by pulsed laser)。
右:約100 fs(0.1 ps:psは10-12秒)の時間幅のパルス光を照射した後の、SH光強度(上)と赤外波長域吸収(下)の時間変化。上(SHG強度):青は励起光強度(Fluence)が2.6 mJ/cm2の場合、赤が5.2 mJ/cm2の場合。下(赤外波長吸収):励起光強度(Fluence)が6.4 mJ/cm2の場合に、光エネルギー(Energy)0.6 eV(赤)と0.5 eV(黒)で観測された結果。
この物質に100 fsの時間幅のパルス光を照射すると、照射後パルス幅以内の超高速でSH光強度、すなわち分極の大きさが減少し、その後約300 fsで減少量が最大変化の30%程度まで減り、さらに数万fs程度で元の大きさに戻ることが確認されました(図1右上)。分極の減少と同時に赤外波長域の吸収が増加しており(図1右下)、分極の変化が、光励起状態の注入と密接に関連していることも分かりました。このように、光励起により100 fsという10兆分の1秒以内の時間で、分極の大きさが制御できることが確認されました。
このように超高速の分極制御が実現できることが明らかとなりましたが、その際にどのような変化が結晶構造に起きているのかを知ることが重要であり、理論モデルとの比較でも構造変化の観測が鍵となります。そこで本研究グループで開発したばかりの、パルス幅75 fsの電子線(パルス電子線発生と試料の光励起に用いたレーザー光パルス幅は35 fs)による電子回折を用いた時間分解構造観測装置を活用することとしました。観測結果を図2に示します。観測結果から、さまざまな指数の回折点強度が、光照射直後に大きく減少することが分かりました。また、その後約300 fs(3.3 THzに対応:Tは1012)周期で振動する現象を観測しました。このような周波数のフォノンは光励起前には存在しないため、光励起状態の注入による新しいフォノンが生み出されたことが分かりました。
図2 時間幅35 fsのパルス光でBiFeO3結晶薄膜を励起後に起きた構造の時間変化。4つの指数(対応する指数を各図右上に表示)に対応する回折点ピーク強度の時間変化が示されています。測定には時間幅75 fsの電子線パルスによる電子回折を用いた時間分解構造観測装置を使用しました。
背景で述べた通り、分極の大きさを100 fs以内で制御するという問題を解決する一案として、マルチフェロイック物質において発生する電子とフォノンが強く結合した(ドレスド)状態による分極やスピン状態(磁性の起源)の超高速制御の可能性が理論的に本研究チームの小野助教(東北大)によって提案されました。小野助教の理論では、BiFeO3結晶の場合には、光励起前から存在する2つのフォノン(QFEとQAFDを変位方向とする)と、光励起で注入される高いエネルギーを持つ光励起電子が強い結合をつくることで、フォノンが電子の周囲で一体化し、新しいフォノンが生まれ、フォノンによるひずみが分極と磁性の大きさを同時に変える原因となると考えられます。この概要を示したのが図3です。光励起電子の注入で、赤外域の光吸収が増加することもあわせて理論的に予測されてきました。
今回の実験結果は、小野助教が提唱したモデルの予測とほぼ対応する実験結果となっており、光励起電子とフォノンの強く結合(一体化)した状態(ドレスド状態)という新状態の登場によって、分極の超高速変化が達成されたと結論しました。
図3 光注入された励起電子の周囲の格子が、電子とフォノンとの結合によって大きく変化し、それが分極と磁性の変化の原因となる、という理論モデル(小野助教が本研究で提案)の模式図。図の青の部分が光励起前の格子振動周波数を決めるポテンシャルエネルギー。赤が光励起後のそれに対応します。光励起後(赤)ではポテンシャル曲面がなだらかになって、フォノン振動の周期が~300 fsと長くなります。
理論予測され実験で実在が確認されたドレスド状態の格子の振動は、QFEとQAFDのひずみを持つ2つのフォノンを一体化させた振動であるために、実際に観測された分極の変化のみならず磁性も変化させることが、理論的検討から明らかになっています。このため、今後、強誘電・磁気メモリーデバイスの光による30 fs周期(周波数では33 THz)程度以内での書き込み、書き換えが室温で可能になると予測されます。また光情報と、電気的、磁気的情報の間の相互変換も同程度の速さで可能になると予測され、電子デバイス全体の超高速化への寄与が期待されます。
今回報告した大きな分極変化のメカニズムの検証に向け、磁気的な変化を超高速磁気光学測定法で検証することが基礎科学的な課題です。さらに、光励起電子の周りの格子の振動(波立ち)の時間的特性の詳細な検討も、小野助教の提案したモデルの検証に向け必要となり、これらの基礎研究に引き続き取り組みます。実用化に向けた課題として、本研究チームの用いたBiFeO3単結晶薄膜は、非常に良質な試料ですが、取扱いの容易性、作製速度や分極の大きさ、光励起への耐性など種々の検討課題があります。現在さまざまなマルチフェロイック材料が報告されており、物質系の拡張による特性の改善と実際のデバイス組み込みが、次の課題です。このような課題を物質科学と光科学分野の協力で解決しながら、電子デバイスの超高速化への貢献を目指します。
本研究における電子回折観測用試料作製については東京科学大学コアファシリティーセンターの支援のもと実施しました。本研究は日本学術振興会 科学研究費助成事業(課題番号 JP18H05208、JP20K14394、JP21K03461、JP23K13052)の支援のもと実施しました。
(1)マルチフェロイック物質:永久磁石内では結晶を構成する原子の持つスピンが、自発的にある方向を向き秩序化している。また、強誘電体内では、(電気)分極がある方向を向き秩序化している。このような特定の方向を持つ秩序が、複数互いに相関を持ちつつ共存している物質。電場を加えることで、磁石の向きを変えるような通常想定しない現象が起こるため、磁気―電気エネルギー変換等の応用が期待される。
(2)光パルス:カメラのフラッシュランプのように、極短時間だけ発生した光。
(3)分極:固体中で、正の電荷と負の電荷が空間的に分離することで、反転対称性を破った状態。その大きさや向きを保持し、外部電場に応じて切り替わることで、情報を記録するメモリとして応用されている。
(4)電子線パルスを用いた最新の構造測定装置:電子は、波としての性質を持つため、結晶にあたると、結晶中の原子による散乱波が干渉を起こし、回折像が観測される。この回折像を解析することで、結晶構造の情報を得ることが出来る。光励起による構造変化の様子を、試料を励起するパルス光と時間的同期のとれた電子線パルスを用いることで、ストロボ撮影のように時々刻々測定する装置。
(5)格子の振動(フォノン:結晶中の波):結晶格子は、規則正しく原子が整列し結合することでエネルギー的に安定化している。エネルギーが加わり安定構造から少しずれた時に、安定構造を中心として起こる構造変化の振動。
掲載誌:Communications Materials
論文タイトル:Photocontrol of ferroelectricity in multiferroic BiFeO3 via structural modification coupled with photocarrier
著者: Kou Takubo, Atsushi Ono, Shunsuke Ueno, Samiran Banu, Hongwu Yu, Kaito En-ya, Ryota Nishimori, Makoto Kuwahara, Toru Asaka, Kei Maeda, Daiki Ono, Keita Ozawa, Takuma Itoh, Kei Shigematsu, Masaki Azuma, Tadahiko Ishikawa, Yoichi Okimoto, Masaki Hada, and Shin-ya Koshihara
DOI:10.1038/s43246-024-00698-8
<研究に関すること>
東北大学大学院理学研究科物理学専攻[web]
助教 小野 淳(おの あつし)
電話:022-795-6365
E-mail:ono[at]cmpt.phys.tohoku.ac.jp
<報道に関すること>
東北大学大学院理学研究科
広報・アウトリーチ支援室
電話: 022-795-6708
Email:sci-pr[at]mail.sci.tohoku.ac.jp
*[at]を@に置き換えてください