東北大学 大学院理学研究科・理学部

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室温で水素ガスと重水素ガスを簡単に分離
冷却不要の省エネルギーな重水素ガス製造技術の実現に期待

発表のポイント

● マンガン(Mn)錯体においてKubas相互作用(注1)を利用した室温領域での可逆的水素吸脱着を実現しました。

● 水素(H2)ガスと重水素(D2)ガスで4.2 kJ/molという既存物質に対して約2倍の吸着エネルギー(注2)の差を実現し、室温でのH2/D2の分離能を実証しました。

● 現行の液体水素の蒸留に替わる省エネルギーでのD2ガス製造への応用展開が期待されます。

□ 東北大学ウェブサイト



概要

水素ガスの同位体であるD2ガスはエレクトロニクスや紫外線ランプなど様々な分野で利用されており、その需要は今後さらに高まっていくと予想されています。現在D2ガスは-250℃で液体水素の蒸留によって生産されています。しかし水素の液化に多くのエネルギーを消費するため、より省エネルギーの分離法が望まれています。

東北大学大学院理学研究科の北山拓大学院生、坂本良太教授、高石慎也准教授の研究グループは、北海道大学大学院地球環境科学研究院の野呂真一郎教授、和歌山大学システム工学部の吉田健文講師、高輝度光科学研究センターの宇留賀朋哉主席研究員との共同研究により、化学親和性量子ふるい(CAQS)と呼ばれる水素の量子性を利用した同位体分離法とKubas相互作用を活用することで、室温領域での水素分子の可逆的吸脱着を可能にし、CAQS機構(注3)に基づくH2/D2分離能を実証しました。本技術により蒸留に比べて遥かに省エネルギーでのD2製造が可能になると期待されます。

本研究成果は、2025 年 2月4日付け (現地時間) で英国王立化学会Dalton Transactions誌 にオンライン掲載されました。



詳細な説明

研究の背景

水素の安定同位体である重水素(D)は、核磁気共鳴(NMR)溶媒、カナダの重水炉での中性子減速材、生体反応のトレーサー、紫外線ランプなど、古くから幅広い用途で使用されています。近年では、シリコン半導体表面のD処理によるデバイスの長寿命化や、D置換による有機EL(OLED)発光分子の耐久性向上が明らかとなり、Dの需要は今後さらに増加すると予想されます。

Dは主に海水中にわずかに存在しており、工業的にはH2O + HDS ⇆ HDO + H2Sの化学交換を利用したGirdler-Sulfide(GS)法や液体水素の蒸留法(-250℃)などで分離濃縮し製造されています。しかしながらGS法では有毒のH2Sを用いること、蒸留法では水素の冷却に多くのエネルギーを必要とすることなどの課題を抱えており、安全かつ省エネルギーな分離濃縮法の開発が求められています。

そのような中、2015年に提案された化学親和性量子ふるい(CAQS)と呼ばれる新しい同位体分離法が注目されています。この手法は水素分子が金属原子に物理吸着(注4)する際に生じるH₂とD₂の吸着エネルギー差を利用します。しかし、水素分子の物理吸着エネルギー自体が非常に小さい(< 15 kJ/mol)ために、これまでCAQSの作動温度は-100℃以下の低温に限られていました。


今回の取り組み

本研究グループでは、水素の吸着エネルギーを増加させるため「Kubas相互作用」と呼ばれる相互作用に注目しました。Kubas相互作用とは、低酸化数の遷移金属錯体において見られるH₂分子と金属原子との間に働く引力的相互作用(図1左上)であり、これを利用することで単なる物理吸着よりも大きい吸着エネルギーが期待できます。本研究では、[Mn(dppe)2(CO)](BArF24)錯体(図1右上)を対象とし、H2では 50.2 kJ/mol、D2では54.4 kJ/molという物理吸着では到達不可能な吸着エネルギーを実現し、室温領域での水素吸着を可能にしました。さらに、4.2kJ/molという吸着エネルギーの同位体差が、CAQS機構に基づくことを明らかにしました。

また、理想吸着相溶液理論(Ideal adsorption solution theory :IAST)(注5)を用いたH2/D2混合ガスの分離シミュレーションを行ったところ、一度の吸脱着サイクルで、D2ガスを約2倍濃縮できることが示され、室温で混合ガスの吸脱着を繰り返すだけでD2ガスの濃縮が可能であることが分かりました(図2左)。破過実験(注6)においてもH2のほうがD2よりも先に出てくる現象を見出しました(図2右)。

なお、本研究では、大型放射光施設SPring-8(注7)のBL36XUを使用してXAFS計測を行いました。


今後の展開

本研究では、固相の金属錯体におけるKubas相互作用を利用することで、CAQS機構に基づく室温領域でのH2/D2分離を実現しました。今後はより分離能の高い錯体の開発および本錯体系を用いたD2濃縮への応用が期待されます。


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図1.本研究で用いた錯体の水素/重水素吸脱着機構(上)・水素/重水素吸着等温線(左下)・それぞれの吸着等温線から予測される H2/D2 分離能(右下)

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図2. IAST理論から予測される選択的な D2 の吸着挙動 (左) 、および 破過実験(40℃)における特異的な H2/D2 分離能(右)



謝辞

本成果は科学研究費補助金基盤研究 (B) (23H02054, 19H02729)、JST A-STEP (育成型、JPMJTR20T9)、量子化学探索研究所、公益信託ENEOS水素基金からの助成を受けて実施されました。



用語説明

注1. Kubas相互作用:水素分子の電子と遷移金属の電子の間に働く引力的相互作用。物理吸着(注4)に比べて吸着が強くなる。
注2. 吸着エネルギー:吸着反応に必要なエネルギーで、通常は負の値をとります。本稿では簡単のため絶対値を示しており、この値が大きいほど吸着されやすいことを意味します。厳密には吸着エンタルピー。
注3. CAQS機構:2015年に独マックスプランク研究所のM. Hirscher教授らによって提唱されたH2/D2分離機構。金属に吸着したH2およびD2の分子振動数の差を利用してそれらを分離する機構。
注4. 物理吸着:弱い分子間力(van der Waals 相互作用)による吸着。水素分子の場合、吸着には-100℃以下の低温が必要。
注5. 理想吸着相溶液理論:複数の単成分ガスの吸着データを基にして、混合ガスにおける各ガスの吸着量を計算するための理論。
注6. 破過実験:吸着物質を充填したカラム管中に混合ガスを流して、ガスの排出時間を測定する実験。
注7. 大型放射光施設SPring-8:理化学研究所が所有する兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っています。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。SPring-8では、放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。



論文情報

タイトル:Hydrogen Isotope Separation at Exceptional High Temperature Using Unsaturated Organometallic Complex
著者: Taku Kitayama, Tamon Yamauchi, Kaiji Uchida, Shunya Tanaka, Ryojun Toyoda, Hiroaki Iguchi, Ryota Sakamoto, Hao Xue, Naoki Kishimoto, Takefumi Yoshida, Tomoya Uruga, Shin-ichiro Noro, and Shinya Takaishi*
*責任著者:東北大学大学院理学研究科 准教授 高石慎也
掲載誌:Dalton Transactions
DOI:10.1039/D4DT03018D



問い合わせ先

<研究に関すること>
東北大学大学院理学研究科化学専攻[web]
准教授 高石 慎也(タカイシ シンヤ)
TEL:022-795-6545
Email:shinya.takaishi.d8[at]tohoku.ac.jp

<報道に関すること>
東北大学大学院理学研究科
広報・アウトリーチ支援室
TEL:022-795-6708
Email:sci-pr[at]mail.sci.tohoku.ac.jp
*[at]を@に置き換えてください



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