● 記憶や感情のコントロールに重要な海馬(注1)から内側前頭皮質(注2)への神経接続を詳細に解析しました。
● これまで見逃されていた背側海馬の後部と背側脚皮質(注3)をつなぐ神経回路の構成を明らかにしました。
● この新たな回路は、記憶に基づいた感情の調節や自律神経の制御に関わっている可能性があります。
嫌な記憶を思い出すと、胸が苦しくなったり冷や汗が出たりすることがあります。こうした「記憶」と「感情・自律神経」の連携は、危険を避けて生き延びるうえで重要なしくみです。
東北大学大学院生命科学研究科の大原慎也准教授らの研究グループは、記憶の中枢である海馬と、意思決定や感情の制御に関わる内側前頭皮質とをつなぐ神経回路を、最先端の神経科学的手法を用いて詳細に解析しました。その結果、これまであまり注目されてこなかった背側海馬の後部(dcHPC)が、自律神経系や情動の制御に関与する背側脚皮質(DP)と強く結びついていることが明らかになりました。さらに、この神経回路が多くの抑制性ニューロン(注4)に接続していることも判明し、dcHPCがDPの活動を抑制的に調整している可能性が示されました。
この発見は、記憶・感情・自律神経が脳内でどのように連動しているのかを理解するうえで、重要な手がかりとなります。
本研究結果は、2025年5月28日に北米神経科学学会による学術誌Journal of Neuroscienceに掲載されました。
過去の嫌な記憶を思い出すと、胸が苦しくなったり、冷や汗をかいたりします。こうした「記憶」と「情動・自律神経」の結びつきは、過去の経験をもとに危険を予測し、回避行動をとるために重要なしくみです。
こうした記憶と情動の連携に関しては、これまで腹側海馬(ventral hippocampus, vHPC)と呼ばれる海馬の一部を中心に研究されてきました。腹側海馬は、感情の制御や意思決定に関わる内側前頭皮質(medial frontal cortex, MFC)と強くつながっており、不安障害やうつ症状との関係も指摘されています。一方で、背側海馬は、エピソード記憶や空間の詳細な情報処理を担う領域として知られています。しかし、この背側海馬が、情動や自律神経とどう関係しているかは、ほとんどわかっていませんでした。
本研究では、海馬から内側前頭皮質への神経のつながりを、最先端の神経回路トレーシング法と電気生理学的手法を使って詳細に調べました(図1A)。背側海馬の後部(dorsal-caudal hippocampus, dcHPC)と接続するMFCニューロンを標識した結果、MFCの腹側部にある背側脚皮質(dorsal peduncular cortex, DP)に標識ニューロンが多数観察されました。これにより、dcHPCがDPと強く結びついていることが明らかになりました(図1B)。DPは、扁桃体(注5)や視床下部(注6)といった、感情や自律神経の制御中枢に信号を送ることが知られている領域です。
また、dcHPCからの入力を受けるDPの神経細胞のうち、約40%が「抑制性ニューロン」でした(図1A)。これは、海馬からの記憶情報が、DPの活動を調整している可能性を示唆しています。
一般的に、脳の神経回路は似た働きをする領域同士がつながる傾向があります。そうした中で、記憶や認知を担うdcHPCが、感情や自律神経の調節に関わるDPと強くつながっているということは、これまでの理解を覆す意外な発見です。
次のステップとして、今回明らかになったdcHPC-DP回路が、実際にどのような行動選択や感情のコントロールに関わっているのかを実験で解明していく予定です。この回路の異常が、うつ病や不安障害、ギャンブル依存症などに関与している可能性もあり、新たな治療ターゲットとしての応用も期待されます。
図1 (A) 背側海馬後部(dcHPC)から内側前頭皮質への入力解析。ニューロンからニューロンへと伝播するアデノ随伴ウイルスベクター セロタイプ1(AAV1)をdcHPCに注入することで、dcHPCニューロンと接続している内側前頭皮質ニューロンを赤色蛍光タンパク質mCherryで標識(マゼンタ)。さらに、抑制性ニューロンを染色(黄色)することで、dcHPC入力を受ける内側前頭皮質の抑制性ニューロンを特定した(右図の白矢印)。(B)本研究で明らかにした海馬と内側前頭皮質を結ぶ神経回路の模式図。背側海馬後部(dcHPC)は、感情の調節や自律神経の制御に関わる背側脚皮質(DP)と接続する。
本研究は科学技術振興機構(JPMJPR21S3, JPMJMS2292)と日本学術振興会(21H00178, 23H00073)の支援を受けて行われました。
注1. 海馬:記憶の中枢である「海馬」は細長い形をした脳領域で、齧歯類(ラット、マウス)では背腹軸に沿って展開しています。海馬の働きは背側部と腹側部で異なり、背側部は空間認識や記憶の正確さに関係し、腹側部は不安やストレスなどの感情や自律神経の働き(心拍や呼吸など)に関わっています。
注2. 内側前頭皮質:内側前頭皮質は、「考える」「選ぶ」「感情をコントロールする」といった高度な機能を担う脳領域です。この脳領域も、背側と腹側で役割が異なり、背側部は記憶や注意など認知的な働きをするのに対し、腹側部は感情の制御に関わります。
注3. 背側脚皮質:内側前頭皮質を構成する亜領域のひとつで、最も腹側に位置します。扁桃体や視床下部とつながっており、感情や自律神経の制御に関わります。
注4. 抑制性ニューロン:GABAという神経伝達物質を使って、他のニューロンの興奮を抑え、情報をコントロールする役割を担っています。
注5. 扁桃体:恐怖や怒りなどの感情を引き起こす情動の中枢領域。
注6. 視床下部:体温、食欲、睡眠、ホルモンの分泌、心拍や血圧など、体のバランスを保つ働きを担い、情動やストレスとも深く関わっています。
タイトル:Dorsal-caudal and ventral hippocampus target different cell populations in the medial frontal cortex in rodents
著者:Paola Alemán-Andrade, Menno P. Witter, Ken-Ichiro Tsutsui, Shinya Ohara*
*責任著者:東北大学大学院生命科学研究科 准教授 大原慎也
掲載誌:Journal of Neuroscience
DOI:10.1523/JNEUROSCI.0217-25.2025.
<講座に関すること>
東北大学大学院生命科学研究科 兼担 理学部生物学科[web]
准教授 大原 慎也 (おおはら しんや)
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東北大学大学院生命科学研究科広報企画・評価分析室
高橋 さやか(たかはし さやか)
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