東北大学 大学院理学研究科・理学部

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人工知能の力を借りて化学反応の様子を探る
ミクロな世界を支配する方程式の高速計算を実現

発表のポイント

● 分子の性質や化学反応を記述する方程式を解くために機械学習を利用

● 従来法と比べて計算時間を100分の1未満に短縮

● 重水素医薬品の開発などの応用展開に期待



概要

あらゆる物質を構成する原子・分子は、我々の住むマクロな世界とは異なる物理法則に支配されています。量子力学と呼ばれるこの特別な物理法則は、分子の持つ多種多様な性質の源であり、電子デバイスなどの形で我々の生活を支える重要な技術にも応用されています。量子力学の基本方程式であるSchrödinger方程式は約100年前に発見され、以来この方程式を解くための理論手法の開発が盛んに行われてきました。しかし、依然としてこの方程式を厳密に解くことができるのはごく限られた単純な分子に留まっており、社会課題の解決に向けた応用展開には多くの困難が残されています。 東北大学大学院理学研究科の小柴拓実大学院生、菅野学助教、河野裕彦名誉教授らの研究チームは、2種類の機械学習を用いることで、Schrödinger方程式を効率的に解くことができることを見出しました。計算時間を従来の100分の1未満に短縮し、より幅広い種類の分子で計算を実行可能としました。

本理論は分子の性質を高速かつ高精度に計算することを可能とし、これまで実験主体であった化学研究に大きなブレイクスルーを与えます。特に近年注目を集める新規な重水素化医薬品の創出などの応用が期待されます。

本研究成果は、2025年6月7日に米国化学会発行のThe Journal of Physical Chemistry Lettersに掲載されました。



詳細な説明

研究の背景

あらゆる物質は原子・分子によって構成されています。分子などのミクロな物質は量子力学と呼ばれる特別な物理法則に従っており、これはSchrödinger方程式と呼ばれる微分方程式の形で表現されます。Schrödinger方程式は身の回りの様々な現象を記述する重要なものであり、その適用範囲は材料工学や医療などの幅広い分野に及びます。1926年に発表されて以来、この方程式を解くための試みが数多くなされてきました。しかしながら、依然としてSchrödinger方程式はごく限られた場合でしか解くことは叶っていません。

現代の理論化学では「電子と比べて重くて動きが遅い原子核には、ミクロな世界の量子力学ではなくマクロな世界を記述する古典力学を用いてよい」という、二種類の異なる物理法則を適用する近似を基礎としています。しかし、原子核の中でも10−24 g程度と特に軽い水素などにマクロな世界の法則を適用することは難しいでしょう。実際に実験的にもこの近似を破る現象が数多く観測されており、従来の近似を越えた理論の開発が求められています。

この近似を越えた理論は計算コストの面で大きな課題を抱えています。実は、計算自体は原理的に可能なのですが、膨大な時間が必要となります。原子数が増えるにしたがって必要な計算時間は指数関数的に増大するため、ごく限られた分子を除いて計算は事実上不可能です。これは富岳(理化学研究所にある世界最高水準のスーパーコンピュータ)などの計算機の高性能化が進んでも解決できない問題です。一方で応用展開の際には巨大で複雑な分子を相手取る必要があります。こうした分子にも対応できる解法の開発が強く望まれています。


今回の取り組み

この論文では、比較的大きな分子でもSchrödinger方程式の解が得られる手法を提案しました。巨大で複雑な分子であっても、働き(機能)に関与するのはその一部に限られている場合がほとんどです。そこで、機械学習を用いて分子の機能に関与する肝要な部分を抽出します。この小さい領域のみに注目してSchrödinger方程式を解くことで、巨大な分子であってもその働きの機能解析が可能となります(図1)。

今回はこの理論を水素トンネリングの解析に適用しました。トンネリングはミクロな世界を支配する量子力学特有の効果であり、原子が化学反応の障壁を「すり抜ける」現象です。壁に阻まれる化学反応が実際には速やかに進行するなど、トンネリングに起因する興味深い現象が数多く見出されています。このような量子効果は軽い粒子で顕著となり、特に最も軽い元素である水素を取り扱う際には欠かせない効果です。しかしながら、その理論解析にはSchrödinger方程式を扱う必要があるため、多くの困難を抱えていました。本研究で提案した理論は従来の100倍以上の速度で計算を可能とし、従来は不可能であった大きな分子でも計算可能であることを実証しました(図2)。


今後の展開

重水素は水素と同じ化学的性質を持ちながら、質量のみが異なる原子です。しかし、この違いによって物質の化学的性質を大きく変化させることが分かっています。特に医薬品を重水素置換した重水素化医薬品は、その新規な生理活性によって新薬の候補として研究されてきました。2017年に初めて重水素化医薬品の利用が承認されて以来、ますます注目を集める物質群となっています。しかし、このように重水素置換による様々な効果が応用展開されている現在においても、なぜ性質の変化が起こるのかは謎に包まれています。特に化学結合の形成や切断(水素転移など)に直接関与しない部位への重水素置換に起因する二次の同位体効果が注目されていますが、この摩訶不思議な効果のメカニズムは分かっていません。本研究は重水素が引き起こす様々な効果のメカニズムを解明し、今後の重水素医薬品の研究開発を大きく加速すると期待されます。



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図1. ボールの軌道(左)と化学反応(ここでは2つの酸素原子間の水素原子の移動)(右)の解析をする際に考慮すべき自由度と無視してよい自由度。例えば、ボールの軌道を予想するためには、主にボールの大きさを考慮し、一方でボールの柄は考えなくてよい。同様に、化学反応を考える際には関与する原子の運動は考慮する必要があるが、他方で反応に関与しない離れた位置にある原子は無視してよい。このような各原子の運動がどの程度化学反応に関与しているかの特徴を機械学習によって解析し、重要な運動のみを抽出することで計算の効率化を図る。


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図2. 水溶液中で酸として働く化学種であるヒドロニウムイオンH3O+の計算結果。H3O+は三角錐型の構造をしており、この「傘」の反転に対応する2つの安定構造が存在する(左)。この構造の変化には障壁が存在するが、トンネル効果によって障壁を透過して高速でパタパタと往復している。本研究では、この運動の様子を計算し(右)、従来法の100倍以上の計算速度を実証した。本理論はこのような非調和性を伴う多原子分子の振動運動への応用も可能である。



謝辞

本研究はJSPS科研費(JP24K08333)、量子化学探索研究所、松尾学術振興財団の支援を受けて遂行されました。また、本研究における一部の計算結果は東北大学サイバーサイエンスセンターにて得られました。



論文情報

タイトル:Machine Learning-Enhanced Structure-Based Gaussian Expansion for Efficient Wavepacket Calculations
著者:Takumi Koshiba, Manabu Kanno*, Fuminori Misaizu, and Hirohiko Kono*
*責任著者:東北大学大学院理学研究科 助教 菅野学、名誉教授 河野裕彦
掲載誌:The Journal of Physical Chemistry Letters
DOI:10.1021/acs.jpclett.5c01254
URL:https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.jpclett.5c01254



問い合わせ先

東北大学大学院理学研究科化学専攻[web]
助教 菅野 学(かんの まなぶ)
TEL: 022-795-7729
Email: manabu.kanno.d2[at]tohoku.ac.jp
※ [at]を@に置き換えてください



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