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細胞膜の海を探る
生きた細胞で「長距離膜粘度」を発見
発表のポイント
● 独自に開発した膜粘度(注1)を測定する方法を細胞に初めて適用することによって、これまで困難だった「生きた細胞の膜粘度測定」に成功しました。
● 生きた細胞膜の粘度はモデル細胞膜(注2)より1万倍も高いことを見出しました。
● 分子の熱運動に由来する「短距離粘度」からは予想できなかった「長距離膜粘度」という新しい概念を提案しました。
概要
細胞を囲む細胞膜は海の表面のようにゆらゆらと流れる「流動性」をもっています。この流れやすさは「膜粘度」と呼ばれ、細胞内での物質輸送や細胞機能に深く関わっています。従来は技術的な制約から、モデル細胞膜(細胞膜を模した人工膜)を用いた膜粘度測定にとどまっていました。
東北大学、国立遺伝学研究所、北海道大学の共同研究チームは、独自に開発した粘度測定法を用いることで、生きた細胞膜の粘度測定に成功しました。細胞膜に力を加えて細胞全体(マイクロメートルスケール)に流れを起こし、その流れのパターンから膜粘度を測定した結果、生きた細胞膜の粘度はモデル細胞膜と比べて1万倍も高いことを明らかにしました。これは、モデル細胞膜には存在しない、細胞骨格(注3)や膜タンパク質などの複雑な構造が流れを妨げているためです。本研究では、分子の熱運動から得られる「短距離膜粘度」に加えて、細胞全体の構造に影響される「長距離膜粘度」という新しい概念を提案しました。今回の成果は、生細胞の物理的性質の理解を大きく前進させるものであり、将来的には細胞機能の解明や病理研究への応用が期待されます。
本成果は9月5日に米国生物物理学会の学会誌、Biophysical Journalに掲載されました。
詳細な説明
研究の背景
私たちの体は数えきれないほどの細胞からできています。そして一つ一つの細胞は、外側を「細胞膜」という膜で区切られています。この細胞膜は、壁のように硬い仕切りではなく、脂質からできた柔らかい膜で、その下には「細胞骨格」と呼ばれるタンパク質の足場があり、形を支えています。細胞膜は柔らかいだけでなく、海の表面のようにゆらゆらと流れる「流動性」をもっています。この「流れやすさ」は「膜粘度」と呼ばれ、細胞内での物質輸送やさまざまな細胞機能に深く関わっています。これまでの測定は、細胞膜の主成分である脂質のみで人工的に作製したモデル細胞膜に留まっていました。生きた細胞膜は脂質が作る膜にタンパク質が埋め込まれ、さらに細胞膜表面から糖鎖が伸び出た複雑な構造をしています。このため、モデル細胞膜の粘度測定から得られた知見を、そのまま生細胞に適用することはできませんでした。
今回の取り組み
研究チームでは、生きた細胞膜にも適用可能な膜粘度測定法を開発しました。今回、この測定手法を用いて受精直後の線虫の卵の細胞膜粘度の測定に挑戦しました。
従来の膜粘度測定は、分子のランダムな熱運動に着目したものが主流でした。このような分子スケール(ナノメートル)での運動は、細胞の骨格構造や膜に埋め込まれたタンパク質の影響をほとんど受けません(図1a)。今回は、図2aに示すように細胞膜に力を加えて細胞全体のスケール(マイクロメートル)で膜を流動させ、その流れのパターンから粘度を測定しました(図2b)。その結果、生きた細胞膜の粘度は、モデル細胞膜より1万倍も大きいことが明らかになりました。モデル細胞膜の流れやすさが水くらいだとすると、生きた細胞膜ははちみつのように流れにくいということです。これは、タンパク質や細胞骨格が膜の流れを妨げるためです(図1b)。本研究では、生細胞の膜粘度測定から、従来の「短距離粘度(分子スケールの運動に由来)」に加えて、「長距離粘度」という新しい概念を提案しました。
今後の展開
今回提案した生きた細胞の「長距離粘度」は、細胞分裂など細胞スケールの膜の流れをともなう細胞機能の制御機構の理解に役立つと期待されます。また、今回は受精直後の生きた細胞の膜粘度を測定しましたが、未受精卵の粘度と比較することで、「生きていること」に特徴的な膜の性質を明らかにできる可能性があります。さらに、正常細胞と疾患細胞を膜粘度という物理量の観点から区別することができれば、病理の分野への応用も期待されます。

図1. 細胞膜の構造と(a)短距離粘度、(b)長距離粘度の概念図。(a) 脂質のランダムな熱運動はタンパク質や細胞骨格に妨げられない。(b)細胞全体に流れ(青矢印)が起きると、脂質の運動はタンパク質に妨げられる。

図2. (a)線虫の受精卵の極点に、針のようなピペットで水流を当てて膜の流れを促す様子。(b)膜につけた蛍光ビーズの動きを撮影し、動画の各フレームに擬似カラーをつけて重ね合わせることで可視化した流れの様子。
謝辞
本研究は、科研費(JP23K25834)、国立遺伝学研究所公募型共同研究NIG-JOINT(4B2021, 28A2022, 83A2021)の支援を受けて行われました。
用語説明
注1. 膜粘度:細胞膜の「流れやすさ」を表す物理量。
注2. モデル細胞膜:実際の細胞膜ではなく、脂質だけで人工的に作った膜。
注3. 細胞骨格:細胞の内部を支える繊維状の構造。
論文情報
タイトル:Long-range viscosity of the plasma membrane of a living cell measured by a shear-driven flow method
著 者:Yuka Sakuma, Kazunori Yamamoto, Saya Ichihara, Toshihiro Kawakatsu, Kenya Haga, Masayuki Imai, Akatsuki Kimura
東北大学大学院理学研究科 准教授 佐久間由香*, 北海道大学遺伝子病制御研究所 特任助教 山本一徳, 国立遺伝学研究所 博士研究員 市原沙也, 東北大学大学院理学研究科 教授 川勝年洋, 東北大学大学院理学研究科 技術専門職員 芳賀健也, 東北大学大学院理学研究科 教授 今井正幸, 国立遺伝学研究所 教授 木村暁
*責任著者 東北大学大学院理学研究科物理学専攻 准教授 佐久間由香
雑誌名:Biophysical Journal
DOI:10.1016/j.bpj.2025.09.005
問い合わせ先
<研究に関すること>
東北大学大学院理学研究科 物理学専攻[web]
准教授 佐久間 由香(さくま ゆか)
TEL:022-795-7755
Email:sakuma[at]bio.phys.tohoku.ac.jp
<報道に関すること>
東北大学大学院理学研究科 広報・アウトリーチ支援室
TEL:022-795-6708
Email:sci-pr[at]mail.sci.tohoku.ac.jp
*[at]を@に置き換えてください
Posted on:2025年9月12日