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マウス神経細胞において抗うつ薬3種が異なる遺伝子発現を誘導することを発見
発表のポイント
● 選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)(注1)に属する抗うつ薬、フルオキセチン、セルトラリン、シタロプラムがマウスの神経細胞の遺伝子発現プロファイルにもたらす影響を解析しました。
● これら3種の抗うつ薬は様々な遺伝子の発現を変動させ、また各薬剤は異なる遺伝子発現プロファイル(注2)を生じさせることを明らかにしました。
● 取得した遺伝子発現変動データに対して自己組織化マップ(注3)を用いた解析を行うことで、特定の薬剤に対してのみ強く発現変化を示す遺伝子群を同定しました。
● これらの知見は、抗うつ薬の未知の作用機序の解明や、新しい治療法開発に貢献することが期待されます。
概要
うつ病は世界的に深刻な精神疾患であり、その治療には選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)がよく使用されます。しかし、ある抗うつ薬で十分な効果を得られなかった患者に対し、異なる抗うつ薬を投与すると治療効果が生じる場合があるなど、その機序には不明な点があります。
東北大学大学院生命科学研究科の山本創大学院生(研究当時)、安部健太郎教授らは、SSRIに属する3種の抗うつ薬をそれぞれ投与した培養マウス神経細胞を用いて、遺伝子発現解析を実施しました。その結果、これら抗うつ薬は同じ作用原理で機能すると考えられているにも関わらず、異なる遺伝子発現変化を誘導することが明らかにされました。
本研究は、抗うつ薬が多様な作用メカニズムを有することを示唆するものであり、より効果的な治療戦略の確立や新規薬剤の開発につながることが期待されます。
本研究成果は11月1日付で科学誌iScience (電子版)に著者校正版がオンライン掲載されました。
詳細な説明
研究の背景
うつ病は、気分の落ち込みや社会的機能の低下などを長期にわたって引き起こす精神疾患であり、慢性的な脳の機能障害と考えられています。うつ病治療では、モノアミン仮説(注4)に基づいて作製された抗うつ薬がよく使用されていますが、症状が改善するまでに時間がかかることや、治療薬の効果に個人差があることなどが課題となっています。
安部健太郎教授らの研究グループは、SSRI型の抗うつ薬の投与が実験動物脳内の遺伝子発現パターンを変化させることを報告していました(Yamamoto et al., Neuropsychopharmacology 2025)。しかし、観察された遺伝子発現変化が、SSRIの主効果であるシナプスでのセロトニン量増加によって生じているのか、あるいは別の分子経路も介して生じているのかは不明でした。
今回の取り組み
今回、東北大学大学院生命科学研究科の山本創(やまもと はじめ)大学院生(研究当時)、安部健太郎(あべ けんたろう)教授(高等研究機構・言語AI研究センター・総合知インフォマティクスセンター兼任)らは、セロトニン産生細胞を含まない大脳皮質の培養神経細胞に対して、広く処方されているSSRI型の抗うつ薬である、フルオキセチン、セルトラリン、シタロプラムをそれぞれ投与し、遺伝子発現解析を実施しました。その結果、3種の薬剤が神経細胞内の遺伝子発現プロファイルを変化させることが明らかになり、さらに薬剤ごとに遺伝子発現への影響が異なることが見出されました。これは、セロトニンの再取り込み阻害を目的として作られた薬剤の効果としては想定されない結果と言えます。
次に研究グループは、トランスクリプトーム解析の結果に対して自己組織化マップを用いた解析を実施し、各抗うつ薬に対して特異的に発現変動を示す遺伝子群を明らかにしました。また、同定されたこれらの遺伝子群の中には、生体マウスに抗うつ薬を投与した際も、同様の発現変動を示す遺伝子も存在することを明らかにしました。この結果は、同じ分子標的に作用するように作製された抗うつ薬でも、セロトニンとは別の副次的経路を介して脳に異なる影響を及ぼし得ることを示唆します。
今後の展開
本研究では、フルオキセチン、セルトラリン、シタロプラムがセロトニンを介さないメカニズムにより遺伝子発現に影響していることを、マウスモデルにおいて見出しました。類似する結果がヒトを対象とした解析でも確認されるならば、ヒトで観察される抗うつ薬の治療効果の個人差はこのような副次的影響によって説明される可能性があります。本研究では、各抗うつ薬が有する作用機序は明らかにはされていませんが、これまでの知見から、それぞれ異なる分子に影響する可能性が提唱されています。今後、各種の抗うつ薬の詳細な作用機序と、それらメカニズムとうつ病との関連性の解析が進むことで、より効果的な抗うつ薬の開発や、うつ病の病理解明につながることが期待されます。
図1. 本研究のイメージ
本研究では代表的なSSRI型の抗うつ薬3種を培養したマウス神経細胞およびマウス生体に投与し、それが引き起こす遺伝子発現の変化を調べました。
図2. 本研究の成果の概要
本研究では、フルオキセチン、セルトラリン、シタロプラムを投与した胎児マウスの大脳皮質から得た培養神経細胞において、遺伝子発現のパターンが変化することを明らかにしました。この遺伝子発現変動データに、データを低次元空間において近傍に再配置する自己組織化マップを用いた解析を実施することで、各薬剤に特異的に影響を受ける遺伝子群を探索しました (図A)。本研究では、検出された遺伝子群を6×6の36ノードで可視化しました (図B左)。各点は、ノード30に分類された遺伝子がそれぞれの薬剤を投与した際に示す変化量を表します (図B右)。
謝辞
本研究は科研費JP24H01218、 JP22H05482、 JP25H01037、 JP24KJ0393(特別研究員奨励費)、東北大学研究プログラム 挑戦研究デュオ Frontier Research in Duo (FRiD)、JP21gm6110011(AMED-PRIME)、JPMJSP2114(JST SPRING)の支援を受けて行われました。
用語説明
注1. 選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI):うつ病の原因の仮説の一つ、セロトニン仮説では、脳内で神経伝達物質セロトニンの働きが低下することが症状に関わると考えられています。SSRI(selective serotonin reuptake inhibitor)は、放出されたセロトニンを回収する輸送体を選択的に阻害し、シナプス間隙のセロトニン濃度を高めることで神経伝達を強めることを想定して作られた抗うつ薬であり、現在臨床で広く用いられています。
注2. 遺伝子発現プロファイル:組織や細胞の中の多数の遺伝子発現を網羅的・体系的に表したデータのことを指す。これを解析することで、特定の条件下で活性化する遺伝子群や、細胞状態・刺激応答の違いなどを比較・解析できます。
注3. 自己組織化マップ解析:自己組織化マップ(Self-Organizing Map, SOM)は、人工ニューラルネットワークの一種で、高次元データを低次元のマップに配置して可視化・分類する手法です。入力データの類似性に基づき、近いもの同士が近接する位置にマッピングされるため、複雑なデータから特徴的なクラスターを視覚的に把握できます。
注4. モノアミン仮説:うつ病の発症を神経伝達物質モノアミン(セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンなど)の働きの低下によって説明する仮説です。その中でも特にセロトニン機能に着目したセロトニン仮説は抗うつ薬SSRIの開発につながり、うつ病研究や治療の理論的基盤となっています。しかし、効果の発現には個人差や時間遅延があるため、セロトニン以外の機構も症状に関与することが近年指摘されています。
論文情報
タイトル:Distinct genetic responses to fluoxetine sertraline and citalopram in mouse cortical neurons
著 者:Hajime Yamamoto, Kentaro Abe*
*責任著者:東北大学大学院生命科学研究科 脳機能発達分野 教授 安部健太郎
雑誌名 :iScience
DOI :10.1016/j.isci.2025.113800
問い合わせ先
<研究に関すること>
<研究に関すること>
東北大学大学院生命科学研究科 兼担 理学部生物学科[web]
教授 安部 健太郎
TEL: 022-217-6228
Email: k.abe[at]tohoku.ac.jp
<報道に関すること>
東北大学大学院生命科学研究科広報室
高橋 さやか(たかはし さやか)
TEL:022-217-6193
Email:lifsci-pr[at]grp.tohoku.ac.jp
*[at]を@に置き換えてください
Posted on:2025年11月 4日