お知らせ

記憶を生み出す脳細胞の再編成を視る-ストレスがシナプス構造を書き換える仕組みを明らかにした技術革新-

発表のポイント

● 脳内で情報伝達を担うシナプスは、さまざまな構造や機能を持つことが知られていますが、ひとつの細胞内でこうした多様性が生じるメカニズムは不明でした。

● モデル生物のショウジョウバエを用いて、特定の神経細胞に存在するシナプス構造を高精度に可視化できる技術を開発し、ひとつの神経細胞の中にシナプス構造や機能が異なる区画があることを初めて発見しました。

● 空腹や睡眠不足といったストレス状態の変化によって、記憶を形成する神経細胞のシナプス構造が再編成されることを発見し、その仕組みを明らかにしました。

□ 東北大学ウェブサイト



概要

脳は膨大な数のシナプス(注1)を介して情報をやり取りすることで、記憶を形成し行動を制御しています。シナプスにはさまざまな構造や機能がありますが、ひとつの神経細胞の内部でその構造がどれほど多様であり、この違いがどのように決まるのかは、これまでほとんど分かっていませんでした。

東北大学大学院生命科学研究科の谷本拓教授らの研究グループは、モデル生物のショウジョウバエを用いて、空腹や睡眠不足といった生理的ストレスが神経細胞内の再編成を促し、ヒトのノルアドレナリンに相当するオクトパミン(注2)という神経伝達物質を介して起こる仕組みを明らかにしました(参考文献1)。さらに、特定の神経細胞のシナプスだけを選択的かつ高精度に可視化できる革新的な技術を確立しました。これにより、記憶を司る神経細胞のシナプスは、接続する相手細胞によって構造が区画化されていることを初めて発見しました。

今回の成果は、「生理的ストレスや内部状態に応じて、神経回路がどのように書き換えられ、行動を変えるのか」という根本的な問いに対し、細胞内の微細構造のレベルから新たなメカニズムを提唱するものです。本成果は、2026年3月18日付で科学誌 eLife に掲載されました。



詳細な説明

研究の背景

脳内の神経回路は無数のシナプスによって情報を伝達し、その活動を柔軟に変化させることで行動を制御しています。近年、シナプスの構造が神経細胞の種類ごとに異なることが知られており、同じ神経細胞の内部でも構造の違いが存在することを示す証拠も見つかってきています。しかし、その生物学的意義や制御メカニズムはほとんど分かっていません。また、生物は空腹や睡眠不足などの生理的ストレスによって行動が変化することが知られていますが、こうした生理的状態の変化がシナプス構造や活動に対してどのように作用するのかについては、依然として不明な点が多く残されています。



今回の取り組み

谷本教授らが指揮した国際研究チームは、遺伝学が高度に発達したモデル動物であるショウジョウバエを用いて、この課題にアプローチしました。以前の報告では、生理的ストレスが神経細胞内の再編成を促し、オクトパミンという神経伝達物質を介して起こる仕組みを明らかにしました(参考文献1)。

研究グループは遺伝子編集技術CRISPR/Cas9により、シナプスに局在する主要構造タンパク質Bruchpilot(Brp)に分割型蛍光タンパク質(split-GFP)を導入し、標的細胞で相補断片を発現することで蛍光再構成を誘導し、細胞種特異的に内在性シナプス構造を可視化する技術を確立しました。さらに、共焦点蛍光顕微鏡画像からシナプスの大きさやBrp分子の数などを自動測定・解析するツールを開発しました。この可視化技術を脳内の記憶中枢であるキノコ体(注3)を構成する複数の神経細胞種に適用し、細胞種間のシナプス構造の特徴と類似性を解析しました。

その結果、匂い記憶を担う主要な細胞種であるケニオン細胞において、単一細胞内であっても、シナプス構造が大きく異なる区画に分かれており、それぞれの区画が別々の細胞と接続していることが初めて明らかになりました。ケニオン細胞は匂い刺激に応答し、その匂いと同時に報酬や罰などの経験に応じてシナプスの出力を調節します。このため、記憶のように経験に基づいて起こる行動変化には、ケニオン細胞内のシナプスの多様性が重要な役割を持つことが予想されます。

そこで研究グループは、ショウジョウバエを絶食(空腹)や断眠(睡眠不足)の状態にしたうえで、ケニオン細胞のシナプス構造の違いを測定しました。その結果、シナプス構造が生理的ストレスに応じて区画ごとに再編成されることが明らかになりました。さらに、このシナプス再編成が、神経伝達物質オクトパミンによって制御されていることを突き止めました。昆虫のオクトパミンは、ヒトのノルアドレナリンと同様に、ストレス状態により変化する物質です。すなわち、内部状態に応じた行動変化の背景には、オクトパミンが媒介するシナプス構造の再編成があり、これが出力調節を実現しているという新たな制御メカニズムが示唆されました。


今後の展開

本研究は、細胞内のシナプスのパターンがストレスに応じてダイナミックに変化し、神経回路の機能を調節するという新たなモデルを提唱しました。「生理的ストレスや内部状態に応じて、神経回路がどのように書き換えられ、行動を変えるのか」という根本的な問いに対し、細胞内の微細構造のレベルから理解するうえで重要な一歩となる成果です。

さらに、今回開発した技術を他のモデル生物に応用することで、動物種を越えたシナプス構造の比較解析へと発展することが期待されます。将来的には、さまざまな動物に共通する睡眠・摂食の異常に関わる分子基盤や、シナプスの構造変化を伴う疾患の理解にもつながる可能性があります。


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図1. 各神経細胞種のシナプス密度と個体差。細胞の種類ごとに異なる個体差を持つ。


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図2. 単一細胞内でのシナプス構造差(左)と摂食状態に応じた再編成(右)。空腹状態では、細胞内でのシナプス構造の差が小さくなる。(参考文献1の図を改変)



謝辞

本研究は、文部科学省・日本学術振興会 科学研究費補助金(JP25H00986、JP22H05481、JP22KK0106、JP20H00519)、国立研究開発法人科学技術振興機構 次世代研究者挑戦的研究プログラム(JPMJSP2114)、東北大学 新領域創成のための挑戦研究デュオ(FRiD)の支援を受けて行われました。



用語説明

注1. シナプスは神経細胞間で電気信号や化学信号を伝える接続部位で、神経回路の情報伝達を担う。
注2. オクトパミンは昆虫における神経伝達物質で、哺乳類のノルアドレナリンに相当する働きを持つ。
注3. キノコ体はショウジョウバエの脳にある学習・記憶を担う中枢構造で哺乳類の海馬に相当する機能を持つ。



論文情報

タイトル:Profiling presynaptic scaffolds using split-GFP reconstitution reveals cell-type-specific spatial configurations in the fly brain
著者:Hongyang Wu, Yoh Maekawa, Sayaka Eno, Shu Kondo, Nobuhiro Yamagata, Hiromu Tanimoto*
*責任著者:東北大学大学院生命科学研究科 教授 谷本 拓
掲載誌:eLife
DOI:10.7554/eLife.107663.3



参考文献1

タイトル:Octopamine signaling regulates the intracellular pattern of the presynaptic active zone scaffold within Drosophila mushroom body neurons
著者:Hongyang Wu, Sayaka Eno, Kyoko Jinnai, Yoh Maekawa, Kokoro Saito, Ayako Abe, Darren W Williams, Nobuhiro Yamagata, Shu Kondo, Hiromu Tanimoto*
*責任著者:東北大学大学院生命科学研究科 教授 谷本 拓
掲載誌:PLOS Biology
DOI:10.1371/journal.pbio.3003449



問い合わせ先

<研究に関すること>
東北大学大学院生命科学研究科、兼担 理学部生物学科[web
教授 谷本 拓(たにもと ひろむ)
TEL: 022-217-6223
Email: hiromut[at]m.tohoku.ac.jp

<報道に関すること>
東北大学大学院生命科学研究科広報室
高橋 さやか(たかはし さやか)
TEL:022-217-6193
Email:lifsci-pr[at]grp.tohoku.ac.jp
*[at]を@に置き換えてください



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