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無重力下の触覚刺激の減少が神経・筋の機能の低下や老化ダメージの増加を引き起こす -若田宇宙飛行士が「きぼう」で実施した線虫実験により実証-
発表のポイント
● 宇宙無重力下で生まれ育ったモデル生物線虫C. エレガンス(注1)では、運動性の低下、からだの発育抑制が観察されます。
● 今回の宇宙実験では、新たに神経シナプス伝達(注2)の低下が示され、刺激を感受する複数のメカノ受容体(注3)遺伝子の発現も低下していました。
● 加齢個体では宇宙無重力下での運動神経ネットワークの損傷や筋ミトコンドリアの崩壊などの老化ダメージが増加しました。
● これらのダメージは、培養条件にビーズを加えて物理的な刺激を増やすことで改善され、宇宙無重力環境で浮遊により低下する触覚などへの刺激を積極的に維持・介入することの重要性が示唆されました。
概要
宇宙の無重力環境では、自重を支える必要がなくなるため、宇宙飛行士や宇宙マウスの実験で、骨や筋肉が急速に萎縮することが報告されています。東北大学大学院生命科学研究科・スペースクロステック研究センター 教授 東谷篤志とJAXA 宇宙環境利用推進センター 研究開発マネージャ 東端晃らの研究グループは、その要因の一つとして宇宙では浮遊することで接触を介した触覚刺激が低下する可能性があることを報告してきました。
今回、研究グループは、モデル生物線虫C. エレガンスを、宇宙無重力下で育て、小さなプラスチックビーズを加え、触覚刺激の効果を調べました。ビーズを入れないで育成した線虫では、これまでと同様に、運動性の低下やからだの発育の抑制が観察され、さらに新たに成長期の個体において神経シナプス伝達の低下、加齢した個体では、老化に伴うダメージの増加が確認されました。一方、培養条件にビーズを加えて物理的な刺激を増やすことでこれらのダメージが抑制されることが分かりました。また遺伝子発現解析から、宇宙無重力下では、接触などの刺激を感受・応答する複数のメカノ受容体遺伝子の発現が低下し、触覚刺激などの入力そのものが減少している可能性が強く示唆されました。本Neural Integration System (NIS) 宇宙実験(注4)は、国際宇宙ステーション(ISS)「きぼう」日本実験棟において、若田光一宇宙飛行士の操作により実施されました。
本成果は、科学誌FASEB Journalにおいて、2026年6月16日付で掲載されました。
詳細な説明
研究の背景
国際宇宙ステーション(ISS)の運用開始から約20年が経過し、近年では民間宇宙船の運用も本格化するなど、これまでに数百人を超える人類が宇宙空間に進出してきました。さらに、月や火星を目指すアルテミス計画など、有人による長期宇宙探査に向けた取り組みも進められています。一方、宇宙の無重力環境では自重を支える必要がなくなるため、宇宙飛行士や宇宙マウスの実験において、骨や筋肉が急速に萎縮することが報告されています。
モデル生物の一つである線虫C. エレガンスは、卵から約4日で成虫となり、体長約1 mm、重さ1~2 µg(百万分の1 g)、およそ1,000個の細胞からなる極めて小さな生き物です。一方で、ゲノムに含まれる遺伝子数は約1万9千個と多く、その約8割がヒトとも共通することから、基礎研究だけでなく創薬研究や宇宙実験にも広く利用されています。
研究グループがこれまで行ってきた宇宙無重力下での線虫実験では、再現性よく、からだの成育が抑えられ運動性が低下すること、さらに神経伝達物質の一つであるドーパミン量も低下することを見いだしてきました。加えて、その要因の一つとして、宇宙では線虫が浮遊することで接触を介した触覚刺激が低下する可能性があることも報告してきました(参考文献1-3)。
今回の取り組み
研究グループは今回、ISSの「きぼう」において、若田光一宇宙飛行士の操作により、宇宙無重力下で線虫を培養する際に、培養液とほぼ同じ比重(約1.0 g/cc)をもつ小さなプラスチックビーズを加え、その効果を調べました。併せて、神経シナプス小胞、運動神経ネットワーク、筋細胞ミトコンドリアをそれぞれ可視化できる線虫株や、野生型に加えて、弱い接触刺激を感受するメカノ受容体mec-4遺伝子の欠損変異体などを用い、JAXAの協力のもと、国内外の共同研究体制によるNIS宇宙実験を行いました。 その結果、これまでの宇宙実験と同様に、運動性の低下やからだの発育の抑制が観察されるとともに、成長期の個体において、線虫の「脳」に相当する頭部神経環でシナプス小胞が蓄積している様子が認められました。これは、無重力下で育つことが神経シナプス伝達の低下につながることを示す結果です(図1)。さらに、加齢した個体では、運動神経ネットワークの損傷や筋ミトコンドリアの崩壊など、老化に伴うダメージが増加していることも明らかになりました(図2、3)。
遺伝子発現解析の結果、宇宙無重力下では、接触刺激などを感受・応答する複数のメカノ受容体遺伝子の発現が低下しており、触覚刺激入力そのものが減少している可能性が強く示唆されました。さらに、これらの変化は培養条件にビーズを添加して物理的刺激を増加させることで改善されることが明らかとなりました。
また、メカノ受容体 mec-4 遺伝子の欠損変異体では、複数のメカノ受容体遺伝子において、無重力下での発現低下およびビーズ添加による発現誘導が野生型とは異なるパターンを示しました(図4)。この結果は、弱い接触刺激を感受するmec-4メカノ受容体が、1G条件下における触覚刺激応答にも関与する分子であることを強く示唆しています。
以上の結果から、1Gの液体培養環境では、線虫が緩やかに沈降し培養バッグ底部と接触することで得られる弱い触覚刺激が、ドーパミンをはじめとする神経伝達系を介して筋の発達や成長因子の増加を促し、個体の健全性を高めるとともに、その後の老化過程においても神経および筋の加齢損傷を抑制する方向に作用している可能性が示唆されました。一方、宇宙無重力環境では触覚刺激の低下がこれらの過程に対する負の要因となることが示唆されました。
今後の展開
近年、幼児への優しいマッサージなどの刺激が、成長因子や各種神経伝達物質の放出を促し、神経・脳の発達に良い影響を与えること、また、優しい皮膚やフェイスマッサージが肌や口腔機能の維持に役立つことなど、穏やかな触覚刺激入力の重要性が報告されています(参考文献4, 5)。
本研究は、こうした知見と整合的に、宇宙においても触覚刺激の低下が神経・筋の機能や老化ダメージに影響し得ることを示すものです。今後、人類がより長期間にわたり宇宙滞在や深宇宙探査を行うにあたり、従来指摘されてきた自重の消失や体液シフトに加えて、触覚刺激の低下が新たな健康リスク要因となる可能性が示唆されました。
これまでも、長期宇宙滞在に向けて無重力下でも使用できるさまざまな運動器具が開発され、宇宙飛行士には毎日2時間程度の運動が推奨されていますが、今後は手足や背中などを穏やかに刺激するマッサージチェアなどの開発も、健康リスクの軽減に有効となるかもしれません。
ヒトを含む宇宙環境でのこうした介入の科学的検証や、地上における加齢に伴うフレイルなどへの対策としての触覚刺激介入の効果検証が今後期待されます。
図1. 宇宙無重力下で育成した線虫における神経シナプス伝達活動
A:軌道上の遠心機による人工1G区と無重力(µG)区で育成した線虫における、シナプス小胞輸送関連遺伝子群の発現変動(1G/µG)と、無重力区にビーズを添加して培養した条件での発現変動(µGB/µG)を示す。無重力(µG)では、多くのシナプス小胞輸送関連遺伝子の発現が低下した一方、ビーズ添加条件(µGB)では発現の回復傾向が認められた。寒色は発現低下遺伝子、暖色は発現上昇遺伝子を示す。
B, C:線虫の「脳」に相当する頭部神経環におけるシナプス小胞を、GFP蛍光シグナルとして観察した代表画像(B)および各個体における蛍光シグナル強度の分布(C)を示す。人工1G区では、シグナルが検出限界以下の個体が約4割、弱いシグナルを示す個体が約6割であった。一方、無重力(µG)で育成した線虫では、強いシグナルを示す個体が約3割、弱いシグナルが約5割、残り約1割が検出限界以下であり、シナプス小胞の異常蓄積に伴う神経伝達活動の停滞が示唆された。さらに、ビーズ添加条件(µGB)では、すべての観察個体が弱いシグナルを示し、強いシグナルを示す個体の割合が有意に低下するなど、過剰なシナプス小胞蓄積の改善傾向が認められた。
図2. 線虫の運動神経(DD/VD)における軸索ネットワークの宇宙無重力下での加齢変化
A:軌道上の遠心機による人工1G区、無重力(µG)区、および無重力区にビーズを添加した条件(µGB区)で育成したL4幼虫(D01:上段)および老化成虫(D10:下段)の腹側中央部におけるDD/VD運動神経軸索のGFP蛍光像を示す。無重力(µG)区の老化個体では、軸索の顕著な分断および断片化が観察された。
B, C:軸索上に形成される凝集体数の加齢に伴う蓄積(B)および軸索切断(C)を示す観察個体の割合を示す。いずれも無重力(µG)区の老化個体において有意な増加が認められ、ビーズ添加条件(µGB)ではこれらの損傷が抑制された。
図3. 線虫の体壁筋細胞における筋ミトコンドリアの宇宙無重力下での加齢変化
A:軌道上の遠心機による人工1G区、無重力(µG)区、および無重力区にビーズを添加した条件(µGB区)で育成した老化成虫(D10)の体壁筋細胞における核およびミトコンドリアのGFP蛍光像と、ファロイジン染色(赤)による筋線維の可視化を示す。無重力(µG)区の老化個体では、核の萎縮に加え、ミトコンドリアの退縮および膨潤が観察された。
B, C:筋細胞ミトコンドリアの加齢に伴う退縮および膨潤を示す個体の割合(B)と、ミトコンドリア内Ca2+濃度の変化(C)を示す。無重力(µG)区の老化個体では、損傷ミトコンドリアの有意な増加およびCa2+の過剰蓄積が認められ、ビーズ添加条件(µGB)ではこれらの変化が抑制された。
図4. 野生型ならびにmec-4欠損変異体の宇宙無重力下でのメカノ受容体遺伝子群の発現変化
地上1G区、無重力(µG)区、および無重力区にビーズを添加した条件(µGB区)で育成した野生型(WT)ならびにmec-4欠損変異体の若い成虫における主なメカノ受容体18遺伝子の発現変化割合を示した。*は統計的に有意な発現変動がみられた遺伝子を示す。
謝辞
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)革新的先端研究開発支援事業「メカノバイオロジー機構の解明による革新的医療機器及び医療技術の創出」研究開発領域「筋萎縮の病態に迫るミトコンドリアのメカノバイオロジー」の支援を受けて宇宙実験に使用した複数の線虫株を作成するとともに、同ムーンショット型研究開発事業「ミトコンドリア先制医療」の分担支援を受けて加齢線虫における遺伝子発現の網羅的な解析、文部科学省科研費学術変革領域研究(A)「宇宙が映す生命」(JP25H01374)の分担支援でGO解析等を実施しました。また、掲載論文は、「東北大学2026年度オープンアクセス推進のためのAPC支援事業」によりOpen Accessとなっています。
用語説明
注1. 線虫 Caenorhabditis elegans(C. エレガンス):体長約1 mmの小型の線虫で、飼育が容易で世代時間が短く、ヒトと多くの遺伝子を共有していることから、遺伝子機能解析や老化研究、創薬研究などの分野において世界各国で広く利用されているモデル生物です。これまでに、線虫を用いた研究成果に関連して4件のノーベル賞が授与されています。
注2. 神経シナプス伝達:神経細胞の終末部から、ドーパミン、セロトニン、アセチルコリンなどの神経伝達物質がシナプス小胞からシナプス間隙(細胞間のすき間)へ放出され、それが次の神経細胞や筋肉細胞へ信号として伝わっていく仕組みのことです。
注3. メカノ受容体:物理的な力や圧力を感知し、それを神経信号や生化学的シグナルに変換するセンサータンパク質で、触覚、聴覚、平衡感覚、さらに圧や筋肉の伸びの検知などに関わるイオンチャネル分子です。
注4. Neural Integration System(NIS)宇宙実験:モデル生物線虫を用いて、宇宙の微小重力環境、すなわち力学的な刺激が著しく低下する環境が加齢にどのような影響を与えるかを明らかにすることを目的とした宇宙実験です。神経ネットワーク、筋、ミトコンドリアへの影響を解析し、その知見を宇宙での長期有人活動および超高齢化社会における健康維持に役立てることを目指したJAXAの宇宙ライフサイエンス実験です。
https://humans-in-space.jaxa.jp/kibouser/subject/life/70647.html
https://humans-in-space.jaxa.jp/kibouser/pickout/73464.html
参考文献
1. A. Higashibata,,, 11名,,, A. Higashitani*, Microgravity elicits reproducible alterations in cytoskeletal and metabolic gene and protein expression in space-flown Caenorhabditis elegans. npj Microgravity. 2016;2: 15022.
https://www.nature.com/articles/npjmgrav201522
2016年1月 東北大学プレスリリース
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2016/01/press20160122-01.html
2. A. Higashitani*, 他8名. Histone deacetylase HDA-4-mediated epigenetic regulation in space-flown C. elegans. npj Microgravity. 2021;7: 33.
https://www.nature.com/articles/s41526-021-00163-7
2021年9月 東北大学プレスリリース
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2021/09/press20210902-01-space.html
3. S. Sudevan,,,(10名),,,A. Higashitani*, Loss of physical contact in space alters the dopamine system in C. elegans. iScience. 2022;25:103762.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2022.103762.
2022年2月 東北大学プレスリリース
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2022/02/press20220201-03-space.html
4. Q. Li, W. Zhao, K.M. Kendrick. Affective touch in the context of development, oxytocin signaling, and autism. Front Psychol. 2022; 13:967791. doi: 10.3389/fpsyg.2022.967791.
https://www.frontiersin.org/journals/psychology/articles/10.3389/fpsyg.2022.967791/full
5. T. Kalisch, M. Tegenthoff, H.R. Dinse. Improvement of sensorimotor functions in old age by passive sensory stimulation. Clin Interv Aging. 2008;3(4):673-90. doi: 10.2147/cia.s3174. https://doi.org/10.2147/CIA.S3174
論文情報
タイトル:Reduced Mechanical Tactile Stimulation Under Space Microgravity Affects Synaptic Signaling and Contributes to Neuromuscular Aging in Caenorhabditis elegans
著者:Atsushi Higashitani*,Je-Hyun Moon, Jong-In Hwang, Nahoko Higashitani, Toko Hashizume, Ahmad Aisha Abu, Kazuki Ooizumi, Ibuki Sazuka, Yoshimitsu Hashizume, Masumi Umehara, Alfredo V. Alcantara Jr, Ban-seok Kim, Timothy Etheridge, Nathaniel J. Szewczyk, Takaaki Abe, Jin I. Lee, Akira Higashibata
*責任著者:東北大学大学院生命科学研究科・グリーン未来創造機構 スペースクロステック研究センター(兼務)教授 東谷 篤志
掲載誌:The FASEB Journal
DOI:10.1096/fj.202600867RR
問い合わせ先
<研究に関すること>
東北大学 大学院生命科学研究科、兼担 理学部生物学科[web]
同 グリーン未来創造機構 スペースクロステック研究センター
教授 東谷 篤志(ひがしたに あつし)
Email: atsushi.higashitani.e7[at]tohoku.ac.jp
<報道に関すること>
東北大学大学院生命科学研究科広報室
高橋 さやか(たかはし さやか)
TEL:022-217-6193
Email:lifsci-pr[at]grp.tohoku.ac.jp
*[at]を@に置き換えてください
Posted on:2026年6月24日